飲む(『イエメンを知るための63章』より)
アラビア半島の南西の「角」に位置する国イエメンについて知らずとも、モカコーヒーの名前を聞いたことがないという人は多くないでしょう。近年ではチョコレートシロップをかけたカフェラテのことを「カフェモカ」と呼んだりもしますが、元来モカとはイエメンの港町のこと。かつてこの町から、対岸のエチオピア産なども含めた大量のコーヒー豆がヨーロッパに向けて輸出され、地名がブランド化した経緯がありますが、現代のイエメンで飲み物といえばコーヒーというわけでもないようです。『イエメンを知るための63章』(佐藤寛、馬場多聞編著)より、知られざるイエメンの飲料事情をご紹介しましょう。
飲む~コップの中のイエメン~
イエメンでもっともよく飲まれている飲料は、やはり水であろう。サナア市内において上水道の整備も進んでいるものの、屋上の給水タンクに貯めた水や給水車から購入した水を飲むことが依然として多い。むしろ、市内の給水場でポリタンクに詰められたものの方が衛生的によいということで、そちらを購入していることがままある。どこの商店でもこのポリタンクが売られており、使い切るとポリタンクごと交換してもらえるようになっているので、便利である。また、ペットボトル入りのミネラルウォーターも広く見られる。イエメンの地名を冠したシャムラーンやハッダといったものが以前より売られているが、最近では新規参入が目立つ一方、老舗の「シャムラーン」のボトルやロゴを真似た「サフマーン」や「ギーラーン」が登場し、紛らわしくなっている。特に短期旅行者の場合は、給水タンクやポリタンク入りの水よりも、これらのペットボトル入りの水の方が、衛生面では安心できる。
コーヒーのことを、アラビア語ではカフワ(サナア方言ではガフワ)という。これが訛ってヨーロッパへ伝わり、コーヒーと呼ばれるに至った。イエメンとコーヒーのつながりは切っても切れないものであるが(第34章参照)、現在のイエメンでいわゆるコーヒーが飲まれる機会は限られている。「本格的」な「イエメン・コーヒー」を飲もうと思ってお店を探そうにも、ブラジル・コーヒーを出す外資系のお店(スターバックスを模したスター・バニーなど)を紹介される始末である。また、ようやく見つけ出したと思っても、ギシルしか提供しないというところもある。ギシルは、コーヒー豆の殻をカルダモンやショウガ、丁子とともに煮出したもので、コーヒーの味はまったくといっていいほどにしない。むしろ薬膳の何かのようで、ほかの飲料とは異なり、大量の砂糖を用いるものではないため、健康にはよさそうに思われる。一方で、コーヒー豆を煮出したものは、一般にブンと呼ばれる。こちらは私たちが知っているコーヒーであるが、トルコのようにコーヒーの粉を煮出したものも見られ、トルコから逆輸入された可能性もある気がする。
ギシルを飲む男たち(馬場多聞撮影)
コーヒーよりもむしろ、紅茶の方が一般に飲まれている。イギリス統治時代に南イエメンから入ったものと想像されるが、現在では街中のここかしこに紅茶屋を見つけることができる。大別すると、シャーイ・アフマル(普通の紅い紅茶)とシャーイ・ハリーブ(牛乳あるいは練乳入りの紅茶)の2種類があり、客はいずれかを選んで注文する。だいたい、年季がはいったおじさんが、黙々と紅茶を煮出してガラスのコップについで手渡してくれる。「普通の紅い紅茶」とはいっても、中には大量の砂糖やミント、カルダモンなどが入っていることが当たり前であるため、それらが不要な場合はあらかじめ念押ししておく必要があるが、こちらの思いが通じることはなかなかない。練乳入りの紅茶もまた非常に甘く、カロリーの補給になる。筆者がサナアに住んでいた頃には、ワーディー・サーイラ沿いにあった「アリーの紅茶屋」で気難しいアリーが入れる紅茶をふーふーしながら旧市街が夕日に輝くさまを眺めるのが日課であった。なおインスタント紅茶として、リプトンと、それより廉価な「イエメントン」が出回っている。食堂で注文すると、だいたいいずれかのティーバッグと大量の砂糖が入ったものが、ガラスのコップに入って出て来る。
一方で、街中では至る所にジューススタンドが見られる。店頭に果物とミキサーが並べられているため、すぐにそれと理解することができる。ここでは、マンゴーやバナナ、レモン、イチゴ、パイナップル、グァバといった果物を牛乳や氷とともにミキサーにかけて、アスィール(果物シェーク)として提供している。かなり濃厚であるため、これ一杯で結構おなかにたまるのだが、店内や店のすぐそばで棒状のパンであるルーティーにバターを挟んだものやケバブサンドなどの軽食も販売されているので、あわせて飲み食いをするとちょうどいい朝食あるいは昼食となる。野菜が不足しがちなためにビタミン補給にもなる。大変に甘くて美味しいのだが、それもそのはずで、よくよく見てみるとミキサーに大量の砂糖を投入しているのである。糖分の過剰摂取に気を付けたい。
ほか、街中では欧米から輸入された様々な飲料が売られている。コーラやセブンアップ、ファンタ、カナダドライ、またエナジードリンクを、特に若者層は好んで飲んでいるように見える。缶やペットボトル、瓶で売られており、瓶であればお店に返却するとペイバックがある。そしてこれらの飲料は、同時に、カート〔編集部注:覚醒作用を持つ葉を噛んで用いられる嗜好品〕の汁を飲み込むためにも用いられる。カートを噛むイエメン人に好きな飲み物をきくと、十中八九、カートとの組み合わせを前提とした好みを教えてくれる。カートとの飲み合わせとして最もよく見られるのはきんきんに冷えたペットボトル入りの水であるが、それに次いで甘い炭酸飲料であるセブンアップなどが好まれている。カートの苦みを相殺するのでいいのかもしれない。なお、これらの甘い飲料を水煙草のフィルターに用いると、水煙草の味がほのかに甘くなる。さらに近年では、アデンで展開するショッピングモールなどにおいて、スムージーやシェークが供されるようになってきているようである。
他方で、お酒の入手はなかなかに難しい。人口のほぼすべてがムスリムによって成り立っていることもあって、イエメン国内ではお酒は生産されていないと言われている。かつてはユダヤ教徒がワインの製造を行っていたが、ユダヤ教徒が消えつつある現在にあっては(第27章参照)、それも難しい。サナアでは外資系の高級ホテルでのみお酒を飲むことができたが、ホーシー派政権下においてどのような状況になっているのか、わからない。一方で、対岸のジブチなどから密輸入されるお酒も見られた。その中には、きちんと包装された瓶に入っているウィスキーもあれば、ペットボトルに移し替えられたものもあった。後者のものを隠し持っているイエメン人と出会い、一緒に飲んだこともあるのだが、もはやアルコール臭がする何かでしかなく、とても飲めたものではなかった。お酒が好きな人にとっては、イエメンでの暮らしは大変なものとなるだろう。
(馬場多聞)