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娘の不登校から見た日本の学校や社会のあれやこれや——子ども・若者支援の専門家が20年目に当事者になった話

学級崩壊の毎日

 

やってきた保護者会

「教員配置の遅れ」により担任の決まらない中で始まった小学校2年生の新年度。崩壊した学級の中、ピンチヒッターの先生が立ち歩く子を怒鳴るのを毎日聞いていた娘は、すっかり萎縮して「先生、怖い」と言って、帰ってくるようになりました。

 

そんな中、始業式から1週間経った日、定例の保護者会が開かれました。全国的に同様の状況が頻発して、教員不足が大きくクローズアップされ、テレビや新聞での報道も相次いでいました。このまま担任が来なかったらどうなるのか、学校としてどうしていくのか、疑問がたくさんあり、元々出席予定だった私に加え、連れ合いも急遽午後有給休暇を取って、夫婦で保護者会に出席しました。

 

会場の体育館に着くと、拍子抜けしたことに、受付には新しい先生がいらして、今日着任しましたとご挨拶しながら受付をされていました。会が始まり、最初に挨拶した校長も、東京都全体として教員が不足している状況を説明し、「わが校には今日なんとか新しい担任が着任しました」と新しいクラス担任の先生を紹介してくれます。まるで今日保護者から吊し上げられないようになんとか間に合わせたんじゃないか、蕎麦屋の出前みたいな話だなぁ、と思いながらもホッと一息です。

 

その後、教室に移動して先生の自己紹介がありました。教員免許はありながらも、学校ではなく、民間企業で教育関係の仕事に携わってきた方だそうです。一念発起して初めて教員として働くことにした、という社会人としてはベテランの新任教員の方でした。しっかりした語り口は、多くが不安や不満を持ってやってきただろう保護者たちがホッとできるものでした。

初めての欠席

新しい先生が着任したものの、この週内の金曜日までは前の仮担任の先生が授業を持って担任されるとのことでした。娘は1週間ですっかり疲れ切り、結局金曜日は学校をお休みし、休息することにしました。1年生の時は、皆勤だった娘ですから、小学校入学以来、初めての欠席です。

 

不登校やひきこもりの子どもたち、若者たちと過ごしてきた私ですから、娘についても無理せず休みながらでもいいよね、と思うものの、実際には親としては困ってしまいました。というのも、小学校2年生の子どもを一人で1日家に居させるわけにも行きません。カレンダーを見ると、出張や外出などなく、勤務先で1日過ごす予定の日だったので、事業拠点の一つであるプレーパーク*内のフリースペースに娘を一緒に連れて行って今日1日を凌ぐことにしました。

 

実は、フリースペースのスタッフたちには、こんなこともあるかもしれないと、事前に相談をしていました。30年の歴史を持つこの法人では、働くスタッフの子どもたちが不登校になることもこれまでもちろんあり、「みんなそうしてきたから、連れておいでよ」とベテランのスタッフが、ごく当然のように言ってくれていたのでした。娘もプレーパークには何度か遊びに行ったことがあり、フリースペースには、日中でも学校に行かずに通ってきている子がいるのを知っていたので、特段疑問を抱かずに一緒に来てくれました。

 

娘は比較的スムーズに場に馴染んでくれたので、私は予定していた打ち合わせのために、歩いて15分ほどのところにある別の事業拠点に移動しました。その拠点では、コミュニティカフェを運営しており、ハンドドリップのコーヒーを淹れてくれるのは、小学校2年生から不登校で、この法人のフリースペースで育ったマスターです。コロナ禍で勤めていた会社を離職していたタイミングで、立ち上げの企画をしていたコミュニティスペースでカフェマスターに就任してくれていました。

 

「娘が今日学校休んだから、フリースペースに連れてきてるんだよね。クラスが学級崩壊しちゃってるんだけど、先生が他の子のことを怒鳴ってるのがキツイって。」

 

薫り高い渋みの効いたコーヒーを飲みながら今日のわが家の娘の事情を話すと、マスターからはこんな反応が返ってきました。

 

「あー。俺が学校行かなくなった時と一緒。それ、きついよね」

 

――そうだよねぇ、1日中先生が怒鳴っているような環境にいるのは、辛いよねぇ。

 

私は妙に納得して、1日中上司が誰かのことを怒鳴っている職場で静かに黙って働かないといけなかったら、大人でも辛くて転職考えるよね、と思ったりしたのでした。

 

打ち合わせを終えて夕方フリースペースに戻ると、娘は楽しそうに1日を過ごしていたようでした。そんな姿を見て、親としては今日娘が学校辛い、行きたくないと言えて良かったな、思いました。

 

ただ、娘本人は、そうは簡単ではなさそうです。事務所に戻ってきたスタッフが、娘が「今日学校休んじゃった。」「今頃みんな何してるかなぁ?」と学校のことを気にしていたと教えてくれました。私も、親としてやるせない気持ちになりました。

 

――そうだよね。毎日楽しく学校に行くのが当たり前だったんだもんね、学校行かない子がいるのが当たり前の世界ではなかったんだもんね。

 

近年、子育ての分野では、脳や心の健やかな発達のために「怒鳴らない子育て」が推奨されています。しかし、その先に入学していく小学校では相変わらず先生は怒鳴っているんだなぁ、担任が怒鳴らなくて済む学校って実現しないもんかなぁ。ふとそんな風に考えてみる帰り道でした。

ちびっこ探偵団現る

娘は、翌週から、緊張や不安がありながらも、少しずつ元気を取り戻して学校に通っていました。しかし、正式な担任の先生が着任され、仮担任だった先生への「怖い、怖い」が終わった後は、元々の心配が再浮上してきました。去年のクラスに比べ動き回ってしまったり、口より先に手が出てしまったりする子が多く、クラスの環境がかなり変わってしまっています。そのため、不安定な日々は結局続いたのです。1、2週間学校に頑張って通っては、1日、2日休んでという生活に入りました。

 

立ったり歩いたりできる体育や図工に比べて、国語や算数など教室の中で座っていなければならない科目が特に大変で、日々トラブルの中断の連続だそうです。たとえば、ある日のこと。2時間目の音楽の時間から登校して行ったのですが、授業の後半は事件が起こって、先生が怒っており、楽器を少し触っただけ。3時間目は運動会に向けて体育でダンスをやり、4時間目の算数は事件が発生し授業にならず、5時間目の道徳の時間には校長先生が出動してみんなにお説教したんだとか。

 

また、別のある日のこと。ある子が教室から出て行ってしまい、続いてみんながその子の捜索に出かけ、校内を3時間目から4時間目まで捜索して授業にならず、騒然としていたそう。娘や他の女の子たちも捜索活動に参加したそうです。

 

「で、その子はいたのかな?」と尋ねると、なかなか見つからなかったのだそう。

 

「でも、玄関に靴があって上履きがなかったから、まだ学校にいるね、ってみんなでわかったの」

「みんな…ちびっ子探偵団みたいね…」

 

立ち歩くだけでなく、いろいろな授業妨害もあるようでした。例えばある時間のこと。プロジェクターを使おうと立ち上げたところで、電源コードを引き抜く児童がいて、先生がお説教して、またプロジェクターを立ち上げ、また引き抜かれ、というのを繰り返し、まるで授業にならなかったそうです。

 

娘の話を聞くに、どうも国語や算数の授業がわからないからこうなっているのではないようです。その子達は答えがわかっているから、つまらないのだろう、と娘は言います。こうした妨害をする子の何人かは、1年生の時も娘が同じクラスで、「塾で先にやっているから、答えを言っちゃって、うるさい。」と言っていた子たちなのです。 

育まれる先生との信頼関係

そんな毎日話題満載の娘ですが、一つ良かったと思っていることがありました。それは、少しずつ担任の先生に信頼を寄せ始めたようだったということです。放課後児童クラブに行く前に、娘や他の女の子たちの話を聞いてくれていました。また、娘が休むと私にも必ず電話をくれ、今日やったことや翌日の準備などを伝えてくれました。時折、私が専門家として感じることを伝えると、真摯に耳を傾けてもくれました。保護者である私も、忙しい中での丁寧な対応をありがたく思っていました。

 

「先生、せっかく学校の先生になったのに、こんなクラスでかわいそう」

 

娘は、しばしばそう口にしていました。先生の努力も虚しく、クラスが落ち着く気配はまるでありませんでした。

 

*プレーパーク:冒険遊び場。すべての子どもが自由に遊ぶことを保障する場所であり、子どもは遊ぶことで自ら育つという認識のもと、子どもと地域と共につくり続けていく、屋外の遊び場のこと。(NPO法人冒険遊び場づくり協会ホームページより)

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著者略歴

  1. 鈴木 晶子(すずき・あきこ)

    NPO法人パノラマ理事、認定NPO法人フリースペースたまりば事務局次長・理事、一般社団法人生活困窮者自立支援全国ネットワーク研修委員。臨床心理士。
    1977年神奈川県に生まれ、幼少期を伊豆七島神津島で過ごす。大学院在学中の2002年よりひきこもりの若者の訪問、居場所活動に関わり、若者就労支援機関の施設長などを経て2011年一般社団法人インクルージョンネットかながわの設立に参画、代表理事も務めた。その傍らNPO法人パノラマ、一社)生活困窮者自立支援全国ネットワークの設立に参画。専門職として、スクールソーシャルワーカーや、風俗店で働く女性の相談支援「風テラス」相談員なども経験。内閣府「パーソナル・サポート・サービス検討委員会」構成員、厚生労働省「新たな自殺総合対策大綱の在り方に関する検討会」構成員等を歴任。2017年に渡米。現地の日系人支援団体にて食料支援のプログラムディレクター、理事を務めた。2020年帰国。現職。著書に『シングル女性の貧困――非正規職女性の仕事・暮らしと社会的支援』(共編著、明石書店、2017年)、『子どもの貧困と地域の連携・協働――〈学校とのつながり〉から考える支援』(共編著、明石書店、2019年)他。

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