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バスク地方の主要都市(『現代バスクを知るための60章【第2版】』より)

スペインとフランスにまたがるバスク地方。かねてから独特の言語や文化が注目されてきましたが、独立を求めた武装組織の解散もあり、飲食(ガストロノミー)、観光、文化、芸術、スポーツ、研究開発イノベーションなど、多方面でのグローバルな存在感を近年急速に高めています。また、今年2023年は「日本・バスク交流年2023」です。国内でさまざまな交流イベントなどが開催されており、注目度もいや増すことでしょう。このたび約10年ぶりに改訂を果たした新刊『現代バスクを知るための60章【第2版】』から、彩り豊かな歴史とともにバスク地方のいくつかの都市を解説したコラムをご紹介します。

バスク地方の主要都市

バスク地方最大の都市は、ビスカイア県の県都ビルボ(Bilbo)だ。スペイン語式のビルバオ(Bilbao)が公称となっている。市の人口は34万人だが、周辺の市町村を併せた広域都市圏には、約90万人の人口が集まる(2021年)。ビルボ空港の年間利用客数が、新型コロナウイルス感染症が蔓延する直前の2019年には年間590万人(スペイン第12位)に達していたように、ビルボはバスク地方の空の表玄関でもある。

じつは「ビルボ」という単語は、シェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』と『ハムレット』の中で、それぞれ《鉄製の足枷》と《剣》の意味で用いられている。ここに「鉄」との関連が示唆されるとおり、古来ビルボ周辺は、良質な鉄鉱石の産地として高名を馳せてきた。そうして19世紀後半からは、鉄鋼・造船・金融を中心にスペイン経済の近代化を牽引した。近代工業化の過程においては、一方でスペインの社会主義の一基盤が、他方でバスク・ナショナリズムの温床もまた、このビルボの土地から生まれたのであった。

その後、1970年代の石油危機は同市の産業基盤に壊滅的な打撃を与えたが、1997年にグッゲンハイム美術館を誘致して都市再生を図り、バスク地方の新たなイメージ創出につながったことは、今もって世界的に高い関心を呼んでいる(第42章参照)。

ビルボ以上に国際的知名度が高いのが、「カンタブリア海(ビスケー湾)の真珠」の異名を誇るドノスティアであろう。このギプスコア県都の公称は、ドノスティア/サン・セバスティアン(Donostia/San Sebastián)と2言語併記される。人口18万人のこの都市が国際的に知られるようになった契機は、19世紀半ばにスペイン王室がこの地を夏の避暑地に選んだことにさかのぼる。その後、内戦を経て樹立されたフランコ独裁政権(1939~1975年)も王室の慣行を踏襲したため、毎年7月から9月までの夏季は、マドリードの首都機能が事実上ドノスティアに移転したのであった。

国内外の富裕な有閑階級や政財界の要人が集まるようになったドノスティアには、彼らの滞在先となる豪奢な屋敷が林立し、彼らの気晴らしを満足させるサービス産業が発展していった。1897年に竣工したカジノ(現在は市庁舎)はその典型で、伊藤博文らを随行させた有栖川宮威仁親王の一行が、完成したばかりのこの「娯楽所」を訪問した記録も残っている。その後も、国際映画祭(1953年~)、ジャズ・フェスティバル(1966年~)など、国際的評判を勝ち得る催事を相次いで立ち上げ、ドノスティアには莫大な文化資本が蓄積された。フランコ体制の崩壊とともに王室外交に幕が下りた後も、今度は「新バスク料理」運動を基軸として、ガストロノミー産業でもって世界に打って出ている(第51章参照)。

ドノスティアは、欧州的文化を表現する都市として2016年には「欧州文化首都」に選出され、2019年には欧州評議会から「ヨーロッパ賞」を授与されるなど、欧州基準に基づく文化価値の創出を志向する性格の強い、グローカルな都市だと言える。


かつてはカジノだったドノスティア市庁舎(筆者撮影)

ビルボとドノスティアほど知名度は高くないものの、重要度の高い都市が、人口24万人を抱えるバスク地方第2の都市ガステイスだ。公称はビトリア=ガステイス(Vitoria=Gasteiz)と2言語併記される。アラバ県の県都であると同時に、バスク州の事実上の州都でもある。

その地政的条件によりカスティーリャ的要素が色濃く残るアラバの土地にバスク州の州都が置かれたのは、政治的判断によると一般に信じられている。金融・経済のビルボ、文化のドノスティア、そして政治のガステイス、と3都市間で役割分担を図り、同時にバスク意識の低かったアラバの「再バスク化」を狙ったのだと。

たしかに、1979年にバスク州が形成され、州政府や州議会が設置されると、公用語のバスク語運用能力を有する一定の人口がガステイスに流入し、いまではアラバ県の人口のじつに75%がガステイスに集中している。また、公共行政の委託事業に関連して州の外からの労働者が恒常的に流入するガステイスは、外国人労働者の人口比が13%と、州の中で最も高い。だが皮肉なことに、州の中では例外的に、反バスク・ナショナリズムと反移民の立場をとる政治勢力の強い都市となっている。

なお、都市計画という点で、ガステイスは水利をめぐる環境に配慮した都市整備が国際的な評価を呼び、乾燥した内陸に位置しながらも、2012年にはストックホルム、ハンブルクに次いで「欧州グリーン・キャピタル」に選ばれ、2019年には国連環境計画(UNEP)の「グローバル・グリーン・シティ賞」を受賞している。


ガステイス市の街角。州議会の後方にマリアインマクラーダ大聖堂(筆者撮影)

四つめの都市は、人口20万人のイルニャ(Iruña. イルニェアIruñeaとも)である。スペイン語名のパンプローナ(Pamplona)の方が名高い。ローマ帝国のポンペイウスによって築かれ、中世以降は、これまたシェイクスピアをして『恋の骨折り損』の冒頭で「ナファロアは世界の驚嘆とならんや」と言わしめた、かつてのナファロア王国の都であり、現在はナファロア州の州都だ。毎年7月に催される「サン・フェルミンの牛追い祭り」は、ヘミングウェイの『日はまた昇る』に描かれて以来、同市の代名詞となっている。

なお、フランス領バスク地方では、19世紀初頭にナポレオンがスペインに侵攻して以来、リゾート開発された沿岸部とその内地に小綺麗な都市が連なるが、最大の都市バイオナ(Baiona. フランス語でバイヨンヌBayonne)でも、その人口は5万人をわずかに超える程度だ。

人口の都市部への集中は近年の世界的傾向である。バスク語現代作家のベルナルド・アチャガがいみじくも命名したように、7領域から成るバスク地方を人口320万人の一都市とみなし、「エウスカル・イリア Euskal Hiria《バスク都市》」と称することもある。「エウスカル・エリアEuskal Herria《バスク地方》」をなぞっていることは言うまでもない。

(萩尾 生)

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著者略歴

  1. 萩尾 生(はぎお・しょう)

    東京外国語大学世界言語社会教育センター教授。専門はバスク地域研究/言語社会学。著書にEgile nafarren euskal literaturaren antologia(共著、Nafarroako Gobernua, 2018年)、『世界歴史大系 スペイン史2』(分担執筆、山川出版社、2008年)、Identidad y estructura de la emigración vasca y navarra hacia Iberoamérica (Siglo XVI-XXI)(分担執筆、Thomson Reuters/Aranzadi、2015年)などが、訳書にB. エチェパレ『バスク初文集――バスク語最古の書物』(共訳、平凡社、2014年)、M.モンテロ『バスク地方の歴史――先史時代から現代まで』(単訳、明石書店、2018年)、J. アリエール『バスク人』(単訳、白水社、1992年)、L.=J.カルヴェ『社会言語学』(単訳、白水社、2002年)などが、論文に“External Projection of the Basque Language and Culture. The Etxepare Basque Institute and a Range of Public Paradiplomacy”, BOGA - Basque Studies Consortium Journal, 1, 1, 2013などがある。

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