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セント・デイヴィッズ・デイ(『ウェールズを知るための60章』より)★ラグビーワールドカップ2019日本大会出場国特集★

セント・デイヴィッズ・デイ ~いちばん大切なウェールズの祝日~

 キリスト教が生活習慣のベースになっている地域には、守護聖人という思想がある。聖人とは存命中キリストの教えに忠実に従い、実行し、今は天国にあって人々の祈りを神に取り継いでくれると教会が公に認めた人たちのこと。そして守護聖人とは、個人の場合は洗礼名や誕生日の聖人が、特定の職業や活動、病気、さらに町や国にはそれぞれにゆかりの聖人が、特別に目をかけて神にとりなしてくれる、というものだ。

 英国を構成する4つの国のそれぞれの守護聖人は、イングランドが聖ジョージ、スコットランドが聖アンドリュー、アイルランドが聖パトリック、そしてウェールズが聖デイヴィッドだ。このうち聖デイヴィッドだけが生まれ育った国の守護聖人で、竜退治の伝説がある聖ジョージは中東の出身、聖アンドリューはキリストの十二使徒のひとり、クローバーの葉で三位一体を説いた聖パトリックは西ウェールズ生まれという説もある。

 なぜ聖デイヴィッドがウェールズの守護聖人になったかというと、それはもちろん、彼が母国でのキリスト教の布教に多大な貢献を果たしたからだ。キリスト教はイングランドよりも先にウェールズで人々に受け入れられ、彼が生まれた5世紀後半にはすでに修道院も建てられていた。ケレディギオンの族長の息子だったと言われるデイヴィッドは修道院に入って聖職者となり、仲間たちと布教の旅に出る。そして、訪れた集落や村で人々を改宗させていった。彼はとても禁欲的な人物で、食事も野菜とパンと水しか口にしなかったため、“水の男”と呼ばれた。自己節制と修練は弟子たちにも求められたが、このような厳しさにもかかわらず、彼の清廉さと慈愛深さは多くの人々を魅了したという。

 西暦530年頃、ウェールズの最南西端にある故郷の谷に、デイヴィッドは活動拠点となる修道院を開設した。ここが現在はセント・デイヴィッズと呼ばれる地で、その祈りの場は大きく発展し、セント・デイヴィッズ大聖堂となっている。デイヴィッドは589年もしくは601年の3月1日に永眠し、遺体は聖堂内に埋葬された。

 死後も彼の徳性を偲ぶ人は絶えず、多くの巡礼者がセント・デイヴィッズを訪れたため、1120年にローマ教皇はデイヴィッドを聖人と認定。次いで、ウェールズの守護聖人となることも宣言した。さらにセント・デイヴィッズへの2回の巡礼はローマへの巡礼に、3回ならばエルサレムへのそれに等しいとまで定められた。

 ところで、聖人には奇蹟譚がつきものだ。聖デイヴィッドにも、修行中に盲目の師の目を見えるようにした、あるいは、遠くの群衆にも彼の説教が聞こえるようにと聖霊が白いハトの形になって肩に止まり、拡声器の役割を果たした、などの伝説がある。そのため、彼の聖画には肩にとまるハトが描かれていることが多い。また、ウェールズのシンボルであるリーキ(セイヨウニラネギ)は、サクソン人との戦いの際にかぶとにリーキを付けて敵味方を見分けろと、デイヴィッドがアドバイスしたことが由来とされている。

[写真]セント・デイヴィッズ大聖堂内にある聖デイヴィッド像。右肩にハトがとまっている。(筆者撮影)

 もちろん、6世紀の人物なので彼にまつわる話のどこまでが史実なのかはわからない。祈りが聞き届けられるよう聖デイヴィッドにとりなしを頼む人も、現代では少ないだろう。それでも守護聖人の祝日である3月1日は、ウェールズ人にとって“我らの国の日”であり、自分たちのアイデンティティを確認する大切な一日だ。これは、英国の他の3人の守護聖人と違って、聖デイヴィッド自身がウェールズ人であったことも関係しているのではないだろうか。この地に生まれこの地で育ったという同胞への親しみが、愛国の日という意識を高めているような気がする。

 先に少し触れたが、聖人の祝日はその聖人が死んだ日、つまり帰天した日である。誕生日の聖人を守護聖人とするのは、その日に天から降りてきた赤ん坊がその聖人の生まれ変わりであるとも考えられるからだ。私は1990年から1991年にかけて首都カーディフの郊外にある小学校で日本の文化や現状を紹介する活動をしていたのだが、赴任してすぐ、児童たちに「好きな食べものは?」とか「兄弟は?」など、子どもが知らない人に訊ねるであろうお定まりの質問攻めにあった。その中にあったのが、「誕生日は?」。何の屈託もなく「3月1日」と答えたその瞬間、職員室に大きな歓声があがった。意味がわからず驚いていると、校長先生が「セント・デイヴィッズ・デイよ! あなたはウェールズに来るように運命づけられていたんだわ!」。そのときには聖デイヴィッドはおろか、その祝日の重要性もわからなかったので、ただ面映ゆいだけだったが、3月1日の当日には先生や子どもたちはもとより、教会の牧師さま、父兄の人たちまでが一緒に誕生日の歌をウェールズ語で歌ってくれたことは、今でも胸が温まる思い出だ。

 さて、セント・デイヴィッズ・デイの祝い方としては、まず民族衣装を身に着けること。これは小学校の女子生徒たちに多く、ウェールズ産のフランネルで作ったスカートとエプロンと肩掛け、それにフリルの付いた山高帽がお約束だ。男の子には特徴的な民族衣装はないが、みなウェールズのシンボルであるダフォディル(黄色のラッパ水仙)かリーキを胸に飾る。また、学校や市町村の単位でパレードやコンサートが行われたり、家庭では伝統的なウェールズ料理を楽しんだりする。ウェールズ内に点在する古城の多くはウェールズ旗を掲げ、入場無料となる。黒地に黄十字のセント・デイヴィッズ旗も、そこかしこに翻る。

[写真]最近は民族衣装だけでなく、このようにダフォディルの被りものをつけてパレードに参加することも。この被りものはラグビーやサッカーの国際試合の応援席でもよく見られる。© Crown copyright (2019) Visit Wales

 首都カーディフでのイベントは年々盛大となり、ナショナル・セント・デイヴィッズ・デイ・パレードには多くのグループが旗を掲げて参加する。民族や宗教とは無関係の、ウェールズの歴史と文化を称えるための行進だ。沿道の観客の歓声も大きく、パレードが始まると一気にお祭りムードに。終点では特別コンサートも催される。

[写真]首都カーディフで行われるセント・デイヴィッズ・デイ・パレード。この日のために作られたペンブルックシャー・バナーを掲げて行進するフィッシュガード・アート・ソサエティー。© Fishguard Arts Society

 残念ながら、スコットランドとアイルランドの守護聖人の祝日とは異なり、セント・デイヴィッズ・デイは休日ではない。ウェールズでは公休日にしてほしいという請願がウェールズ人の約90%もの賛同を得て2007年に英国政府に提出されたが、当時の首相で労働党党首だったトニー・ブレアは法律改正を拒んだ。だが、10年後の総選挙前に同党党首のジェレミー・コービンは「わが党が政権を奪還した暁には、イングランドとウェールズの守護聖人の祝日をそれぞれの国での休日とする」という公約を発表した。保守党の勝利でこの公約は果たされなかったわけだが、近い将来、3月1日は愛国の日として公休日になるかもしれない。それこそが、ウェールズ人にとっての独立記念日だろう。EUからの離脱などではなく。(廣野史子)

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著者略歴

  1. 廣野 史子

    関西ウェールズ協会代表、ライター。
    1990年から91年まで、ウェールズの首都カーディフの郊外にあるセント・ニコラス小学校で、日本文化や日本の現状を紹介する活動に従事。学校生活と一般家庭でのホームステイでウェールズの一般的な暮らしを体験する。帰国後、ウェールズと日本の交流を目的とする非営利の友好団体である関西ウェールズ協会の設立(2000年)に参加。関西ウェールズ協会は活動目的のひとつに日本でのウェールズ紹介を挙げており、2007年以降、「ウェールズ文化祭」を年に1度開催。代表として、企画、準備、実施のすべてに関わっている。ライターとしては、様々な広告制作のほか、ウェールズに限らず英国関連雑誌で記事を執筆。『イギリス文化辞典』(丸善出版)の執筆者のひとり。また自身のウェブサイト『ガイドブックに載ってない英国ウェールズ案内』https://walesbanzai.jimdo.com/ でウェールズ情報を発信している。

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