明石書店のwebマガジン

MENU

東京オリンピックとザンビア(『ザンビアを知るための55章』より)

 世界中で猛威をふるう新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響がなければ、2度目の東京オリンピック・パラリンピック大会が開催され、今日はパラリンピックの会期中だったはずでした。振り返ると、56年前の東京オリンピック閉会式の日、悲願の独立を達成したアフリカの国がありました。初めてオリンピックに参加したばかりか、開会式と閉会式で異なる国名(地域名)を名乗ることになった空前絶後の出来事の顛末を、本シリーズ最新刊『ザンビアを知るための55章』よりご紹介します。

東京オリンピックとザンビア ~日本に響き渡った「ザンビア、バンザイ」の声~

こんなことはオリンピック史上初めてのことだ。メダルこそとれなかったが、オリンピック初参加、そして独立、こんなうれしいことはない。
(毎日新聞夕刊、7面、1964年10月22日)

 1964年10月24日、ザンビアと日本の両国が同時に歴史的なイベントを迎えた。ザンビア時間で午前0時(日本時間の午前7時)、イギリスによって統治されていた北ローデシアが、ザンビア共和国として独立を果たした。当時、北ローデシアの首相であったケネス・カウンダは、統一民族独立党(UNIP)を率いて、そのままザンビア共和国の初代大統領になった。ザンビア独立の10時間後の日本時間で午後5時、日本では15日にわたった東京オリンピックが閉会式を迎えた。94の国と地域から5558人が参加した祭典が幕を閉じたのである。

 冒頭の言葉は、北ローデシア選手団を率いるジョージ・クレイグ団長が、閉会式と祖国の独立を目前に控え、感極まって興奮しながら述べた感想である。北ローデシアは、東京オリンピックで初めてオリンピックに参加した。このとき初参加の国は18ヵ国であり、そのうち12ヵ国が独立したばかりのアフリカの国々であった。12ヵ国の中で最も新しい国がザンビアであり、東京オリンピックの開催期間中に独立を果たした。

 国際オリンピック委員会(IOC)には、北ローデシアとして登録されていた。開会式の際には独立前であったことから、ザンビアとしての参加は認められなかった。しかし当時のIOCのアベリー・ブランデージ会長の配慮によって、開会式では北ローデシア旗、閉会式ではザンビア旗を掲揚することが認められた。また国名のプラカードも、閉会式の際には「ZAMBIA」のプラカードに変更され、開催国として最後に入場する日本を除いて、アルファベット順で最後の
93番目の入場に変更された。選手団はこの異例の取り扱いに感謝し、世界が見守る閉会式の場で、新しい国旗を掲げられることに誇りをもっていた。

 北ローデシアの選手団は12名の選手と団長1名、役員2名の合計15名で、1964年の東京オリンピックに参加した。選手12名のうち2名のみが黒人であった。また女性選手は1名のみであった。選手の内訳は陸上5名、競泳2名、ボクシング2名、レスリング2名、フェンシング1名であった。16歳から34歳の若い選手たちは、1964年10月3日から24日まで日本に滞在した。

表 1964 年東京オリンピック北ローデシア選手団参加種目一覧

陸 上 男子100m、男子200m、男子110mハードル、男子マラソン
競 泳 男子400m自由形、男子1500m自由形、男子200m平泳ぎ、男子400m個人メドレー
ボクシング 男子バンタム級、男子フェザー級
レスリング 男子フリースタイルフェザー級(現60kg級)、男子フリースタイルミドル級(現84kg級)
フェンシング

女子フルーレ個人

 

 オリンピック期間中のザンビアの独立は、日本の新聞にも大きく取り上げられ、選手団の喜びと熱気を手に取るように感じることができる。毎日新聞は1964年10月22日の夕刊で、「独立おめでとう 五輪初参加の北ローデシア 閉会式に晴れて 『鷲』の新国旗喜びの行進」という見出しで、ザンビアの独立を祝う記事を掲載している。クレイグ団長が、ベンバ語で独立のことを「ウブチュングワ」ということを紹介したうえで、記者に対して日本語訳を尋ね、「独立、ドクリツ、どくりつ」と紙に書いた写真が掲載されている。記事が掲載された22日、選手団一同がケネス・カウンダ新大統領にあてて祝電を打っていたこともわかる。記事の中では、新しいザンビアの国旗について詳細に紹介されている。

新国旗は緑地に羽ばたく鷲をあしらい、右下に赤、黒、オレンジ色の縦線を配したもの。緑はザンビアの豊かな自然を象徴し、赤は自由のための闘い、オレンジ色は鉱物資源を意味する。鷲は自由と困難をのりきるたくましい力のシンボルである。

 
ザンビアの国旗
(編集部注:書籍版には新しい国旗を広げる北ローデシア選手団の写真を掲載しております)

 読売新聞は10月23日から25日まで、連日ザンビアの独立に関する記事を掲載した。23日の夕刊では、「胸張る『ザンビア』勢 あす選手村でも祝典 閉会式は『金のワシ』国旗で」という見出しで、選手団がザンビアの独立と同時に祝典を開催することを報じている。翌24日の夕刊では、「『ザンビア、バンザイ』 新国旗あげて独立祝う」という見出しで、祝典の様子が報じられた。ザンビア時間午前0時にあわせて、東京・代々木の選手村では、ユニオンジャックのついた北ローデシア旗がおろされ、ザンビア旗が掲げられた。参加した全員がザンビアに届かんばかりの声で、「ザンビア、バンザイ」と叫んだという。

 北ローデシアの選手団は、大会中メダルを獲得することなく、注目もされなかった。しかしザンビアは、独立のニュースによって日本中に知られることになった。北ローデシアの選手団がザンビアの選手として閉会式に参加し、新しい国旗を誇らしげに掲げていたことは、東京都が発行した公式の報告書にも記載されている。多くの日本人やオリンピック関係者が、ザンビア独立のときを北ローデシア選手団とともに迎え、その瞬間を祝った。選手村の村長は新しいザンビアの国旗のついたケーキを贈り、ともに独立を喜んだという。当時大会組織委員会の国旗担当であった吹浦忠正氏は、事前にザンビア独立の情報を得ており、ひそかに新国旗を準備し、独立の瞬間にあわせて選手村に駆けつけたことを後年、語っている。また独立のお祝いとして、千羽鶴を贈ってくれた人もいるという。北ローデシアの選手団は、堂々と初参加の東京オリンピックという大舞台で新しい国家の独立という晴れ姿を披露し、ザンビアという新生国家が誕生したこと、今後の意気込みを日本中そして世界中に知らしめたのである。

 これまでのオリンピックでザンビアは銀メダル1個、銅メダル1個の合計2個を獲得している。1984年のロサンゼルスオリンピックにおいて、ケイス・ムウィラ選手がボクシング男子ライトフライ級(48キログラム級)で銅メダルを獲得し、1996年のアトランタオリンピックでは、サミュエル・マテテ選手が陸上男子400メートルハードルで銀メダルを受賞している。

 2020年7~9月には、2度目の東京オリンピック・パラリンピック(東京2020大会)が開催される予定であった。しかし2019年末に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が発生し、世界各地に爆発的に拡大したことで、東京2020大会は2021年7~9月に延期されることになった(2020年7月現在)。そんな状況においても、各競技のザンビアの選手たちは練習をつづけ、成果を出している。少し紹介しておこう。2020年6月現在、延期となる東京オリンピック大会には陸上(男子200メートル)、ボクシング(男子フライ級、男子フェザー級、男子ウェルター級)、女子サッカーでザンビア代表選手の出場がすでに内定している。さらに柔道や競泳での出場も期待されている。またパラリンピック大会では、日本人の協力のもと練習する陸上選手の出場が期待されている。ザンビアの選手団が活躍し、ふたたびザンビアの国旗が競技場に掲げられることを期待している。

(原 将也)

参考(Webあかしを離れます):
オリパラこぼれ話:二つの国名で五輪に参加 アフリカ大陸の北ローデシア - 毎日新聞

タグ

著者略歴

  1. 原 将也(はら・まさや)

    神戸大学大学院人間発達環境学研究科助教。専門は地域研究、地理学。
    主な著作・論文:「ザンビア北西部における移入者のキャッサバ栽培と食料確保」(『アジア・アフリカ地域研究』16 巻1 号、2016 年)、「アフリカ農村における移入者のライフヒストリーからみる移住過程――ザンビア北西部の多民族農村における保証人に着目して」(『E-journal GEO』12 巻1 号、2017 年)、「ザンビア北西部におけるルンダによるキャッサバ栽培――キャッサバのイモの収穫方法に着目して」(『アフリカ研究』94 号、2018 年)

関連書籍

閉じる