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「松明運動」と「お金はどこに行った運動」(『現代ホンジュラスを知るための55章』)

中米の国ホンジュラスは、美しい自然に囲まれ、豊かな文化や歴史がある半面、政府関係者による度重なる汚職や麻薬組織との癒着の問題が取り沙汰され、希望を失った市民がアメリカへ一斉に渡るなど、経済格差や貧困が拡大しています。『ホンジュラスを知るための60章』の刊行から8年を経た、独立200周年のタイミングで、そんなホンジュラスの光と影を描き出した新刊『現代ホンジュラスを知るための55章』から、今回は汚い政治家や軍・警察組織、メディアに対して、市民がNOを突き付けた2つの抗議運動とその結末に関する章をご紹介します。

「松明運動」と「お金はどこに行った運動」~ホンジュラスの根深い汚職・無処罰問題~

2020年8月上旬の早朝、首都テグシガルパの主要道路の1つであるスヤパ通りの跨道橋に「お金はどこに行った?」という文字が車道いっぱいに落書きされているのが発見された。

「お金はどこに行った?」という落書き 

出典:ラ・プレンサ紙(2020年8月9日付)

 

これは当時、ホンジュラスでも大流行していた新型コロナウイルスに対して、ホンジュラス政府が感染予防対策や経済対策を発表しながらも遅々として進まず、一方で、緊急事態対処常設委員会(COPECO)による人工呼吸器調達手続き時の約200万米ドルの不正疑惑や、政府機関内(Invest-H)の簡易仮設病院の調達にかかる不正疑惑が発覚していた。その直後に今回の落書き事件が発生したのは、政府の汚職に対して不満を持つグループの仕業と言われている。

汚職問題は、この国の歴史の一部のようなものであるが、特に2014年からの国民党政権では、与党政治家、政府高官による汚職問題や麻薬組織との癒着疑惑など次々に問題が発覚していた。加えて、国民党政権の意向によって選出される最高裁判事など裁判所や検察の脆弱性によって、起訴されない、もしくは微罪に終わることで市民の不満は高まっていた。

2014年1月のエルナンデス大統領就任直後には、ホンジュラス社会保険庁(Instituto Hondureño de Seguro Social: IHSS)を舞台にした大規模な公金横領などの汚職問題が発覚した。容疑は社会保険庁のセラヤ長官(Mario Zelaya)をはじめとした同庁幹部による、4年間で総額3億5000万米ドルにのぼる巨額の使途不明金、不正流用、空出張、不正入札などであった。これは国民党が絡んだ組織的汚職であると指摘されている。なぜなら、その資金が当時の大統領候補者だったエルナンデスにも流れており、ロボ前政権の大臣らが社会保険庁の調達における収賄で刑事訴追されているからである。さらに、ロボ前大統領の側近で汚職疑惑発覚時は国会副議長であった政治家とその親族が所有する薬卸会社と社会保険庁との取引における詐欺、エルナンデス政権の環境副大臣とその兄妹などによる幽霊会社を使った架空取引など、400人以上が捜査対象者となる大疑獄事件に発展した。

逮捕されたカルロス・モンテス前労働副大臣は、公判で、政府系金融機関である生産・住宅銀行(BANHPROVI)のフアン・カルロス・アルバレス社長と結託して社会保険庁の資金1800万レンピラ(約75万米ドル)を同銀行を経由してマネーロンダリングした後、国民党の選挙資金として流用したと証言している。アルバレス社長は、エルナンデス政権のリカルド・アルバレス副大統領の兄弟であり、アルバレス副大統領も捜査対象になっている。また、大統領の姉イルダ・エルナンデスの関与も疑われている。彼女はセクター大臣在任中、首都近郊に大邸宅を新築するなどの不正蓄財の疑惑を持たれていたが、2017年12月にヘリコプター事故で死亡したため、捜査は進んでいない。これらの疑惑について、エルナンデス大統領は、社会保険庁の資金を自身は受け取っていないものの、選挙資金として国民党が受け取ったことは認めている。

長期逃亡の後に逮捕されたセラヤ社会保険庁長官をはじめ関与していた被告たちの裁判は、裁判所の手続き上の問題などを理由にして4年を経ても遅々として進んでいない。また、大統領への疑惑もうやむやになったままである。この事件の余波をうけて、労働者の医療サービスのよりどころであった全国の社会保険庁病院(Hospital IHSS)が破産状態になり、多くの患者の治療が滞った。その結果、多くの患者がまともな治療も受けられず死亡しているとの告発も起きている。

また、2017年11月の大統領選挙直後には、ロボ前大統領の妻が、大統領夫人時代に退任6日前というタイミングで公金1220万レンピラ(約51万米ドル)を引き出し、自身の個人口座に振り込んだ公金の不正支出の容疑で逮捕されている。この事件に関しては、ホンジュラス反汚職・無処罰サポート・ミッション(Misión de Apoyo contra la Corrupción y la Impunidad en Honduras:MACCIH)がロボ政権のほかの政府高官の関与についても言及しているが、ほかにも2011年から2015年までに合計70の小切手(合計9400万レンピラ)が不正に振り込まれており、余罪が追及されている。特に市民団体「ホンジュラス汚職評議会(CNA)」は、彼女が麻薬組織の所有している建物の購入を通じてマネーロンダリングを幇助していること、そしてその証拠として彼女が麻薬組織に振り出した300万レンピラの小切手が存在していることを裁判所に告発した。判決は懲役58年の有罪であったがその後、裁判手続き不備を理由に再審理となり、釈放されてしまった。

その直後には、MACCIHがエルナンデス大統領の姉であるイルダ・エルナンデス情報戦略大臣や現役大臣婦人などが関与しているとされた農業開発銀行(BANADESA)の約50万米ドルに及ぶ車両調達に関する汚職で告発をおこなった。同銀行の資金を使って購入した車両を国民党の選挙に利用していた、と言われている。

また、首都の公共交通網(Bus Rapid Transit:BRT)建設では、当時のテグシガルパ市長であるリカルド・アルバレス前副大統領に対して告発がなされた。BRTは2012年に建設が開始され、2017年に運用開始されるはずの首都の新交通システムであるが、一部専用道路と停留所の建設だけで中断してしまった。2014年にはかたちだけの開通式までおこなっている。第1期5000万ドル、第2期3000万ドルの融資は、2017年には建設がされないまま返済が始まっている。もちろんアルバレスなど関係者は汚職で告発はされているが、検察はいまだ捜査していない。

このように大統領経験者や国民党政治家が絡んだ汚職の発覚、麻薬組織との癒着問題が後を絶たなかった。しかし、こうした問題が立て続けに起こっても、メディアの反応は鈍かった。その背景には、国内大手メディアの政府との癒着とも取れる蜜月関係がある。政府の社会支援プログラム「ボーノ100000」や「ZEDEs」などの広報と称して、莫大な宣伝費が国内の主要テレビ、ラジオ局、新聞社に費やされており、メディアによる政府に対する追及が緩くなっていた。

反政府抗議デモ(中央:リブレ党マヌエル・セラヤ元大統領)

こうした政権のガバナンス手法と、とめどなく続く政治家や軍・警察の汚職、麻薬組織を中心とした犯罪組織との関与に対して市民の不満が爆発した。治安、汚職問題や犯罪者の無処罰問題の改善を求めた市民が、2014年4月頃から主に毎週金曜の夕方に社会正義を求めて「汚職と無処罰に対する松明行進(Marchas de Antorchas contra la Corrupución y la Impunidad)」と呼ばれる大規模な平和的デモ行進をはじめた。参加者は「怒れる市民(Los Indignados)」と名づけられ、従来の労働者組合や農民団体のみならず、SNSを通じてこうした動きを知った学生や若者、主婦などといった一般市民も多く参加している。その市民らがエルナンデス大統領と国民党に対して、「Fuera JOH!(エルナンデス、やめろ!)」というキャッチフレーズとともに抗議行動を広げていった。参加者が手に持つキャンドルは社会保険庁の汚職で機能が低下した病院で亡くなった人々に捧げられ、トーチは汚職や犯罪者の無処罰といった「ホンジュラスの闇」を照らす象徴として用いられた。市民の要求は、政治から独立し、政府高官も捜査対象とする捜査機関を設立することと、検察ではなく独立した訴追機関である「ホンジュラス無処罰対策国際委員会(Comisión Internacional contra la Impunidad en Honduras:CICIH)」を創設すること、そして大統領、検事総長・副長に対する弾劾裁判を実施することであった。ホンジュラス無処罰対策国際委員会は、すでにグアテマラで実績を持つ「グアテマラ無処罰問題対策国際委員会(CICIG)」にならった組織を想定していた。

エルナンデス政権は当初、こうした抗議行動を無視していた。しかし、2015年6月から8月にかけて、合計で270を超える抗議行動が全国で同時発生するなど活動が激化した。そのため政権側は対話を余儀なくされ、「国民大対話(Gran Dialogo Nacional)」を開催した。結果的には「ホンジュラス反汚職・無処罰サポート・ミッション(MACCIH)」の設立が提案され、2016年1月に米州機構と政権が設置に合意した。

MACCIHには、市民運動側が要求した大統領などへの弾劾や公訴権がなかったが、ホンジュラスの市民による抗議運動がもたらした成果として注目を浴び、また同国の無処罰・汚職問題解決の第一歩として迎えられ、その動向に市民の注目が集まった。

しかし、わずか4年後には国会がMACCIHの米州機構との延長を承認せず、ホンジュラスから撤退してしまった。米州機構はもちろん米国など各国から落胆と失望の声明が発表された。それは2021年1月のバイデン政権発足後の国民党政権に対しての汚職、無処罰への厳しい対応につながっていくことになった。

(中原篤史)

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著者略歴

  1. 中原 篤史(なかはら・あつし)

    ホンジュラス国立フランシスコ・モラサン教育大学技術イノベーション研究所客員教授東北大学大学院専任助手のほか、独立行政法人国際協力機構(JICA)技術協力専門家などとしてグアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、コロンビアで勤務。
    主な著書・論文:『ホンジュラスを知るための60章』(共編著、明石書店、2014年)、「途上国の地方行政能力強化に関する一考察―ホンジュラスにおける地方自治体間協力組織の取り組み」(『国際協力研究』第40号、JICA 国際協力総合研修所、2004年)、「ホンジュラス教育セクター会合議長・副議長の1年半」(『ラテンアメリカ時報2015/16年冬号』日本ラテンアメリカ協会、2016年)、「ホンジュラス内政の不安定化と市民社会」(『ラテンアメリカレポート』Vol.35 No.1269号、アジア経済研究所、2018年)、「それでもホンジュラス人は米国を目指す―ホンジュラスにみる政府のガバナンス問題」(『ラテンアメリカ時報2019年冬号』、日本ラテンアメリカ協会、2019年)

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