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アジア系とは~アメリカにおけるアジア系という共通アイデンティティ~(佐原彩子)

アメリカに暮らすアジア系にスポットを当て、そのエスニシティの多様性やそれぞれがたどった歴史や文化、現在のアメリカ社会におけるアジア系の広がりを描き出した『アジア系アメリカを知るための53章』(李里花編著)が刊行されました。今回はその中から、「アジア系アメリカ人」としての人種意識はいつ芽生えるようになったのか、どのようにアジア圏の異なる国やルーツを持つ人々が共通認識を持つようになったのか、そのきっかけとなった事件や社会背景についての章を公開します。

 

アメリカにおけるアジア系という共通アイデンティティは、1960年代に出現した現象である。アジア圏の異なる国や地域の出身者やそうした祖先をもつ人びとが、アメリカにおいてアジア系という一つの集団と見なされる、あるいは自らそれを標榜するという状況が浸透してきた。このアジア系アメリカ人という集団意識は歴史・社会的構築物であり、極めてアメリカ社会に特有な人種意識である。

19世紀後半からアジア系アメリカ人は排外主義の標的となり、その存在は必ずしもアメリカ主流社会に歓迎されてはこなかった。各アジア系の集団は、レイシズムに基づく暴力にさらされ、法律上も帰化不能外国人と見なされるなど差別の対象とされてきた。また第二次世界大戦中には、日系アメリカ人がその3分の2はアメリカ市民であったにもかかわらず、敵性外国人と見なされ収容された。こうしたアジア人およびアジア系に対する差別の問題は、当時は日系・中国系など各エスニック・マイノリティ集団に対する個別のものと見なされ、アジア系全体に対するものとは理解されなかった。さらにそうした差別に対して、アジア系全体が連帯して声を上げることも起こらなかった。

しかし、第二次世界大戦後にエスニックな違いを超えたアジア系アメリカ人としての人種意識が醸成される状況が生み出された。当時、アジア系の主流集団であった中国系・日系アメリカ人のうち、アメリカ生まれ人口が初めて移民世代を数で超えた。このアメリカ生まれ世代は、第二次世界大戦後にアジア系集団内で相互交流するようになった。英語を母語とする世代の増加にともない、高等教育を受けるアジア系アメリカ人が増加したことによって、各エスニック集団がその集団に閉じた空間から出て、大学キャンパスなどで出会ったのである。これにより、主流社会におけるマイノリティとしてのアジア系意識が刺激されることによって、アジア系の新しい世代は、それまでかれらに付随していた出身国や出身地の違いなどをもっとも重要な事柄とは見なさなくなっていった。アジア系アメリカ人は、文化的に必ずしも類似しているわけではなかったが、主流社会でのアジア系に対するハラスメントや人種暴力にさらされてきていた点では共通していた。

1964年公民権法成立にいたる公民権運動の高まりとブラックパワー運動は、アジア系アメリカ人にアメリカ社会におけるマイノリティ権利運動の雛形を提供した。さらに、反植民地運動や脱植民地運動がアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国で展開されたことによって、かれらの出身国や出身地に由来する人種的・文化的なプライドを高めたことは、アジア系アメリカ人学生が人種・エスニシティ概念に基づいてアジア系として連帯する気運を高める刺激となった。このような状況のなかで、アジア系アメリカ人学生はアジア系として自らを集団化し、非白人学生の連帯の一部へと自らを位置付けることによって大学運営側と対峙し、アメリカの多様な社会のあり様を反映したカリキュラムの実現を求めたのだった。アジア系アメリカ研究が大学プログラムとして発足することによって、様々なカリキュラムを通じて日系や中国系などの歴史がアジア系の共通の歴史として学ばれ共有されていった(第27章参照)。

ブラックパンサー党のラリーに参加するリチャード・アオキ 1968年(CIR Online, CC BY 2.0)

 

さらに日米貿易摩擦が激化し、反日感情が高まっていた1982年、ミシガン州デトロイトで中国系アメリカ人2世のヴィンセント・チンが日本人と間違われて2人の白人男性に撲殺された事件は、アジア系アメリカ人がレイシズムの暴力にさらされている現実を露呈し、アジア系アメリカ人に対する暴力を人種憎悪犯罪と理解する機会を提供することとなった。27歳で結婚式を間近に控えていたチンが独身最後のパーティを友人と開催していた際、2人の白人男性と言い争いとなり、かれらに追跡され野球バットで撲殺された。チンを人間と見なさないような暴力が振るわれたにもかかわらず、その殺人が罰金刑で済んでしまったことは、アジア系アメリカ人が強い怒りを感じる事件となった。チンが日本人に向けられた憎悪によってたまたま犠牲になってしまった残念な事件と理解されたのではなく、チンがアジア系であるからこそ殺されたという、その根底に存在したアジア人およびアジア系アメリカ人に対するレイシズムと刑事司法制度での差別的構造が問題視された。そのため、様々な抗議運動が展開され、アジア系アメリカ人の市民権を擁護するための非営利団体の設立が相次ぐこととなった。この事件以降、西海岸や東海岸で盛んであったアジア系アメリカ人運動が、中西部でも展開されることにより全米的な市民運動へと拡大した。

ヴィンセント・チン殺害に対する抗議デモ 1983年


このようなアジア系アメリカ人のための社会運動の広がりは、アジア系アメリカ史がアメリカ社会におけるアジア系の存在を可視化するだけでなく、アジア系に対する不正義を正すための理解をもたらしたことに支えられていた。アジア系アメリカ史は、1882年の中国人排斥法はすべてのアジア人に対する非人道的扱いであり、日系人の収容はすべてのアジア系に対するレイシスト的な扱いであり、これらの延長線上にチンに対する暴力があるという理解を成立させ、アジア系への公正な扱いを求める声を高めることになったのである。


しかし、アメリカの主流社会でのアジア系に対する理解は大きく進んではこなかった。とりわけ近年の新型コロナウイルスの流行にともない、感染の発生源とされた中国への反感が中国系だけでなく日系やフィリピン系など様々なアジア系へのヘイトクライムを増加させた。そうした暴力およびレイシズムに抗うため、2020年に「ストップAAPIヘイト通報センター」が設立された。AAPIは、アジア系アメリカ人と太平洋島嶼人の頭文字を取ったものである。こうしたカテゴリーの拡張によってアジア系というカテゴリーはさらに広い地域と多様性を含み、反レイシズム運動を進める原動力となっている。ただし近年のアジアからの移民増加は、そうした反レイシズム運動に与しないアジア系集団の増加をもたらしており、旧来のアジア系集団との軋轢を生んでいる。(佐原彩子)

 

【参考文献】

Choy, Catherine Ceniza, Asian American Histories of the United States, Boston: Bacon Press, 2022(『アジア系のアメリカ史』(再解釈のアメリカ史・3)佐原彩子訳、勁草書房、2024年).

Espiritu, Yen Le, Asian American Panethnicity—Bridging Institutions and Identities, Philadelphia: Temple University Press, 1992.

Maeda, Daryl J., Chains of Babylon: The Rise of Asian America, Minneapolis: University of Minnesota Press, 2009.

Wei, William, The Asian American Movement, Philadelphia: Temple University Press, 2010.

ロナルド・タカキ『もう一つのアメリカン・ドリーム―アジア系アメリカ人の挑戦』阿部紀子・石松久幸訳、岩波書店、1996年。

スーチェン・チャン著/トーマス・J・アーチディコン編『アジア系アメリカ人の光と陰―アジア系アメリカ移民の歴史』住居広士訳、大学教育出版、2010年。

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著者略歴

  1. 佐原彩子

    共立女子大学国際学部教授。アメリカ研究(移民・難民)。主な業績に、兼子歩・貴堂嘉之編『ヘイトに抗するアメリカ史』(第8章「刑罰国家化時代の移民行政―「非合法外国人」と「外国人犯罪者」という移民像」担当、2022年、165-183頁、彩流社)、樋口映美編『歴史との対話』(「難民のトラウマ経験と戻らない家族」担当、2023年、53-67頁、彩流社)など。

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