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イギリスの植物(『イギリスを知るための65章【第2版】』より)★ラグビーワールドカップ2019日本大会出場国特集★

イギリスの植物 〜オークとバラから見えるもの〜 

オーク

 いずれの文化においても太古の昔から巨木は、その生命力に対する畏怖からであろうか、信仰の対象となっている。日本の神社でも巨大な杉の木がご神木として崇められ、しめ縄が施されている。北欧においては、クリスマスの元になったとされる冬至のお祭りユールに際して樅の木を飾る風習があった。現在のクリスマス・ツリーである。暗く厳しい北欧の冬にあっても青々とした葉をつけている針葉樹の樅の木は、人々に強い生命力を感じさせたのであろう。同じように、イギリスの森で神秘的な力を持つ巨木として人々に崇められてきたのは、ブナ科のオークであった。とりわけ深い森の中で巨大に育ったオークは、イギリスがキリスト教化する以前から、「森の王」として人々に畏れられ敬われていた。

 イギリスにはキリスト教以前の古い習俗、すなわち異教的な習俗が残っていることがある。たとえば、厳しい冬が過ぎて命にあふれる夏の到来を祝う五月祭などもその一つである。五月祭のときには、人々は森に行きサンザシの枝や草花を採り、それで森から切り出した柱(メイ・ポール)を飾り付け、そのまわりでダンスを踊った。古い時代にはこの日の森は性的にも解放された特別な空間であったことが知られている。森は異教的な世界であり、同時に遠い時代から神秘的力の潜む場所であった。そして森の中の巨大なオーク、とりわけ自然の力である雷(雷神)に打たれた巨大なオークは、「森の王」として畏怖され尊敬されたのである。

 17世紀になるとピューリタン革命が起こり、チャールズ1世が処刑され、チャールズ2世はフランスへの亡命を余儀なくされた。その後イギリスはオリバー・クロムウェルによっていわばキリスト教原理主義の共和国となる。ピューリタンの政治は五月祭を異教的なものとして禁止し、一時はクリスマスも排除しようとした。

 クロムウェル没後、王位奪還のためチャールズ2世はスコットランドに上陸、イングランドへの進行を試みたがウースターの戦いで敗れ、共和軍に追われて北へ向かって敗走した。チャールズ2世は逃げる途中で巨大なオークの木の中に身を隠し、追撃する共和軍をやり過ごし無事に逃げることができた。いわゆる「ロイヤル・オーク」の伝説である。その後王政復古がなってチャールズ2世がロンドンに入った5月29日は「ロイヤル・オーク・デイ」と呼ばれるようになり、禁止されていた五月祭もこのとき復活した。ことの真偽はともかく、異教的なものを一切排除しようとしたピューリタン革命に対して、キリスト教以前からイギリス人の心の古層に潜むオークの巨木に対する信仰が、遠い昔のイングランドの象徴として蘇えったことは間違いない。

 「ロイヤル・オーク」のみならず、イギリスには様々なエピソードにまつわり名前のつけられたオークの巨木が点在する。「修道院長のオーク」「議会のオーク」「女王様のオーク」「ロビン・フッドの食糧倉庫」等々である。オークはまた軍艦の用材としてイギリス海軍建設に重要な役割を果たした。また現代では先に述べた図案化されたオークの枝が自然保護団体ナショナル・トラストのシンボルとなっている。そしてオークの実ドングリは図案化されてナショナル・トレイルの標識に使われている。

 

バラ

 暗く長いイギリスの冬が終わり、やがて夏が訪れるとイギリスじゅうの庭には赤、白、ピンクと様々な色のバラが咲き乱れる。オークがイギリスを象徴する木であるとすると、バラはイギリスを象徴する花である。そして日本の桜が日本文化の表象であるように、バラはイギリスのみならず広くキリスト教世界においては一つの文化的表象である。

 キリスト教世界ではバラの花は、聖母マリアを象徴する花であった。聖母マリアを「神秘のバラ」と呼ぶのも、大輪のバラの花に完璧さと清純さを見たのであろう。さらにまた、純白と燃えるような赤のもたらす印象から、白バラは清純無垢な聖なるものを、赤バラはヴィーナスの美に象徴される官能的なものを象徴していた。イギリスの文学においても、白バラを清純な女性のプラトニックな愛の、そして赤バラを官能的な女性の象徴とした例をあげることができる。

 また、バラの花はその大きな丸い姿から完璧な円環の世界の表象として、ヨーク大聖堂を始めとした大聖堂の窓のデザインのモチーフとしても使われている。イギリスのみならずヨーロッパの文明の中で、バラの持つ文化的表象性には大きなものがある。

ヨーク大聖堂のバラ窓[提供:VisitBritain]

  先にも述べたように、バラは女性の清純な姿や精神の表象であるのみならず、女性の官能的なエロスの表象でもある。したがって、美しい女性をバラの花として表現した例は歴史や文学や美術の中にも見ることができる。中世にはヨーク公リチャードの妻で美人の誉れ高かったシシリー・ネヴィルはその生地レイビーにちなんで「レイビーの白いバラ」と呼ばれた。18世紀にはスコットランドの詩人ロバート・バーンズが「おー、わが恋人は赤き薔薇のごとく」と歌った。近いところでは、ダイアナ皇太子妃の葬儀に際してエルトン・ジョンが『キャンドル・イン・ザ・ウィンド』の曲に乗せて、ダイアナ妃への追悼として「さようならイギリスのバラ(Goodbye England’s Rose)」と歌ったのは記憶に新しい。

 しかしながら、文化的表象としてのバラのみならず、イギリスには政治的な意味を持つバラがある。中世のイギリスで王位継承をめぐって戦われたバラ戦争の結果として、ヘンリー7世によって採用されたバラの図案「チューダー・ローズ」である。バラ戦争とは、エドワード3世の四男ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントにつながるランカスター家と、五男ヨーク公エドマンドにつながるヨーク家が、それぞれ赤バラと白バラを徽章(バッジ)とした軍旗を用いて王位継承をめぐって戦った戦争である。イギリスの歴史では通常「バラ戦争(The Wars of Roses)」と呼ばれているが、しかしこのことばは歴史上使われたことばではなく、19世紀初頭にウォルター・スコットが小説『ガイアスタインのアン』の中で「赤と白のバラの闘い(the wars of the White and Red Roses)」と述べたことにより定着したものである。

 バラ戦争は1485年8月ボズワースの戦いでランカスター家の血を引くチューダー家のヘンリー7世が勝利して終結した。ヘンリーはその後ヨーク家のエリザベスと結婚、ここに両家の和解が成立し、ヘンリー7世はその後ランカスター家の赤いバラの花弁を外側にヨーク家の白いバラの花弁を中央部に配したバラの徽章をチューダー家の徽章とした。これが「チューダー・ローズ」であり「イングランドのバラ(Rose of England)」である。

  

チューダー・ローズ 

 チューダー・ローズはいわば和解の印のバラであったことから、「ユニオン・ローズ」とも呼ばれてその後の王朝でも使用され、現在でもロンドン塔の衛兵や近衛兵の礼装など王室ゆかりの物や場所で見ることができる。

 イギリスのバラに対して、スコットランドはアザミ、アイルランドはシャムロック(クローバー)、ウェールズはリーキ(西洋ネギ)とラッパ水仙がそれぞれの国を象徴する花となっている。(近藤久雄)

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著者略歴

  1. 近藤 久雄

    同志社大学経済学部卒。龍谷大学大学院博士課程文学研究科英文学専攻修了。
    現在、龍谷大学名誉教授。
    主な著作:「イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑴」(『龍谷紀要』2012年)、「イギリス近代小説の勃興と文化的ナショナリズム⑵」(『龍谷紀要』2013年)、『市場化する大学と教養教育の危機』(共著、洛北出版、2009年)、『ことばと国家のインターフェイス』(共著、行路社、2012年)。

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