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モルディブの環境と気候変動(『モルディブを知るための35章』より)

モルディブの環境と気候変動――沈みゆく国の生存戦略

モルディブ共和国は、インド・ケーララ州の南西484キロメートルのインド洋上に浮かぶ島国である。1192の島々で構成され、このうち約200島に人が居住し、145島がリゾート島となっている。これらの島々は大小26のドーナツ型の環礁上に形成されたサンゴ洲島で、南北に820キロメートル、東西に130キロメートルの広がりを持つ。気候区分においては熱帯モンスーン気候に属し、平均気温は27℃~30℃で寒暖の差が少ない。雨量は年間を通して一定量以上あり、8~12月が特に多くなる。海水温は12月を除き28~30℃で、珊瑚の生育に適した環境にある。

こうした安定した気候と豊かな海洋資源の一方で、人口の増加と集中、ゴミ問題など、陸地面積が限られているがゆえの問題は深刻だ。すべての島の面積を合わせても東京23区の半分程度しかなく、政府は埋め立てによる土地造成を進めている。首都機能を有するマーレ島はもともとの面積の二倍近くにまで拡大しているほか、住宅政策の一環としてフルマーレ島を、空港整備のためにフルレ島を、ゴミの最終処分場としてティラフシ島の埋め立てを行った。こうした埋め立てを行うための土砂を確保するのは土地のないモルディブでは困難であることから、土地造成は海外からの土砂輸入と資金援助によって進められている。

モルディブ政府が土地造成を急ぐ背景には、島嶼国モルディブが直面する気候変動の問題がある。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第5次評価報告書によると、1901年から2010年の約110年の間に海面は約19センチメートル上昇しており、モルディブは今後100年間の海水面の上昇によって国土の大半が水没する危機に瀕している。また、海面上昇にともない防潮堤などの既存の防災施策の効果が低減することで、地震による津波やサイクロンによる高潮、慢性的な洪水などに対する災害脆弱性が高まっている。

もともと、モルディブに暮らす人々は長い間災害と隣り合わせの生活をおくってきた。海抜が低い島嶼国である以上、サイクロンなどの暴風雨、洪水、地震による津波の被害は避けられない。避難しようにも高台すらない島々が大半を占める中、人々はその都度災害による被害を克服し、防災のための知恵を絞ってきた。しかし、ときに自然はそれを上回る力で島々を襲い、人々の生活を根こそぎ奪っていった。

1987年には高潮で全島の三分の一が冠水。浸水によって市街地の衛生状態が悪化し、伝染病が蔓延した。モルディブはそれ以前から護岸施設を設置していたが、それは珊瑚塊を積み上げたものの表層をモルタルで固めた程度の不十分なものであったことから、期待されていた防災機能を果たせなかった。

被災後、モルディブ政府からの要請を受けた日本政府は、首都のマーレ島に全周6キロメートルに渡る護岸工事を実施し、脆弱な護岸施設をコンクリート製のテトラポットに変えた。これにより、2004年のスマトラ島沖地震によって発生したインド洋津波の被害を最小限に抑えることができたとされるが、それでもマーレ島を推定3メートルの津波が襲い、モルディブ全体で死者・行方不明102名、1万2000人以上が被災した。同津波によるモルディブの被害総額は4億1000万ドルに及ぶ。

また、インド洋大津波以降、各地で地下水の塩分濃度の上昇が見られ、いくつかの島で乾季の水不足が問題となっている。2030年までの世界の開発目標を定めた「持続可能な開発目標(SDGs)」の17ゴールの中でも、安全な水の確保はゴール6に掲げられている重要課題である。国連広報センターによると2030年までに世界の淡水資源が必要量の40%不足し、深刻な水不足で7億人が避難民となる可能性がある。海に浮かぶモルディブ、中でも離島で暮らす人々は、災害だけでなく、水の確保においても脆弱な立場にあると言える。

これまで述べてきたような災害被害の拡大や水不足を背景に、モルディブの人々の間で「昔は砂浜だったところが海に沈んでしまった」「井戸の地下水を使っていたけれど、しょっぱくなって、使えなくなってしまった」等のストーリーがよく聞かれる。一方で、気候変動とこうしたモルディブを襲う災害・水不足の問題の因果関係は明確に証明されているわけではない。実際、地球温暖化による長期的な海面上昇よりも、サイクロン・高潮・地震などの自然災害による直接被害のほうが島民の生活に大きな影響を与える。そのため、災害の被害拡大が気候変動によるものなのか、災害を発生させる外力の大きさによるものなのかを判断するのは極めて困難である。年間数ミリの海面上昇よりも、干満の差による土壌侵食や、人口増加と土地不足に端を発する災害高リスク地域への住民移動のほうが、被害を拡大させると指摘する専門家もいる。

とはいえ、中長期的にみれば海面上昇は科学的に証明されており、その影響がモルディブのような海に浮かぶ国々に大きくみられるのは確かである。政府統計によると、モルディブの全陸地の80%以上は海抜1メートルに満たない。また、全島の住民の生活行動範囲の44%、主だった121の島々における住宅の50%以上が海岸線から100メートル以内のところにある。予想される経済損失も甚大で、4つの国際空港はすべて海岸線から50メートル以内にあり、観光客用宿泊施設の99%が海岸線から100メートル以内に位置している。基盤産業である水産業関連施設の70%も海岸線から100メートル以内に設置されていることから、海面上昇による浸水や島土の侵食が経済に与える影響は計り知れない。また、気温が変化し、海水中の二酸化炭素濃度が上昇することで、観光客を魅了していた珊瑚には白化現象がみられる。砂浜や熱帯植物の減少、デング熱の増加も報告されており、これらはモルディブ最大の産業である観光業にとって大きなリスク要因となっている。

気候変動の脅威はいまでこそ科学的根拠にもとづいて世界的に共有されたものであるが、ここにくるまでにモルディブは気候変動との戦いの必要性を国際的な場で訴えつづけてきた。モルディブは1987年の国連総会において、気候変動に取り組む必要性を提唱した初めての国である。また、環境保護を訴え、2020年までに二酸化炭素の排出量と吸収量とがプラスマイナスゼロの状態になるカーボンニュートラルを目指すなど、持続可能な開発に向けた進歩的な取り組みを行ってきた。

2007年11月には低海抜諸国による気候変動に関する会議を開催。会議には国土の水没が懸念されるツバル、ミクロネシア、キリバス、パラオなど、海抜が低く、気候変動のリスクに最もさらされている国々、26か国の代表が参加した。

2009年には、水没する危機に瀕する低海抜諸国の現状をアピールするため、当時の大統領であるモハメド・ナシードおよび閣僚がスキューバダイビングの装備に身を包み、海底で二酸化炭素の排出量削減を訴える請願書への署名を行った。同大統領は、対症療法であるとしながらも海岸の盛り土の推進、さらには将来国民が移住できるように観光収入で海外の土地を購入する計画まで発表した。また、同じ年の12月にコペンハーゲンで開かれた気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)において二酸化炭素排出削減を呼びかけた。ナシード元大統領のこうした活動は、映画「南の島の大統領:沈みゆくモルディブ」に克明に記録されている。

海抜が低いモルディブは、もともと災害に対する脆弱性が高い。加えて、多くの島々に人口が点在していることから全国一律の防災対策をとるのが極めて困難である。一般的に、いつ来るかわからない災害に対する備えに税金を使うことに対して国民の理解を継続的に得るのは難しく、モルディブにおいても対策の大部分を海外援助に依拠してきた。気候変動が現状のモルディブにどれだけの被害を与えているのかに関しては、まだ十分な証明がなされていないが、海面が上昇することで中長期的に問題が顕在化するのは確かである。世界に対して気候変動対策を訴えることで、国際社会から国土と環境の保全、および防災のための継続的な支援を得ることが、モルディブ政府の戦略の一つの柱であるといえる。 

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著者略歴

  1. 日下部 尚徳(くさかべ・なおのり)

    1980年生まれ。東京外国語大学講師。南アジア地域研究、国際協力論、開発社会学の視座から、バングラデシュの社会経済動向や貧困・災害などに関する調査研究を行う。
    主な著作は、「脆弱な土地に生きる――バングラデシュのサイクロン防災と命のボーダー」(共著『歴史としてのレジリエンス』京都大学学術出版会、2016年)、「バングラデシュにおけるNGOの活動変遷」(共著『学生のためのピース・ノート2』コモンズ、2015年)、「NGOと平和構築」(共著『現場〈フィールド〉からの平和構築論』勁草書房、2013年)など。

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