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スマート・ネーション(『シンガポールを知るための65章【第5版】』より)

日本にとってシンガポールは魅力的な観光地というだけでなく、重要な貿易相手国であり、20世紀以後、カルチャーやコミュニティなどで何かとつながりが深い国です。そんなシンガポールは今や日本を上回る経済力を誇り、2014年からはテクノロジーを活用して、行政の効率化や新たなビジネスの創出を目指す取り組みが生活や経済活動のあらゆる場面で進んでいます。そんなデジタル化著しい現在のシンガポールでの生活とコロナ禍での対応が理解できる1章を新刊『シンガポールを知るための65章【第5版】』からご紹介します。

スマート・ネーション ~デジタル化、新型コロナで加速~

ショッピングモールに入る時には入り口に貼られたQRコードに、スマートフォンをかざしてチェックイン。そして、またスーパーマーケットに入る時には再びスマートフォンをQRコードにかざして、チェックイン。新型コロナウィルス感染防止対策で導入された入退室システム「セーフエントリー」の使用が2020年5月12日に義務化されて以来、シンガポールではすっかり日常化した光景だ。

ショッピングモールやオフィスなどに入口には「セーフエントリー」を使って
入場するためのQRコードが用意されている(2020年8月15日撮影)

 

新型コロナウィルスの感染防止策のひとつの柱として政府が重視したのは、感染者の徹底した追跡調査である。セーフエントリーは政府による追跡調査を補完し、効率的に行うために導入された。このシステムは、スマート・ネーションの取り組みの一環として開発されたものだ。

 

スマート・ネーションとは何か?

スマート・ネーションとは、リー・シェンロン首相が2014年11月24日、「シームレス(円滑で利用しやすい)なテクノロジーを活用することで、すべての人に刺激的な機会をもたらし、意味のある充実した生活ができる国」と定義したように、人工知能(AI)や、データアナリティクス技術など最新の情報通信技術(ICT)を用いて、人々の生活を豊かにすると共に、新しいビジネス機会の創出を狙った国家構想だ。

政府がICTの活用を推進するのは、スマート・ネーションの取り組みが初めてではない。1980年に行政機関へのコンピューター導入とコンピューター産業の育成を柱とする5年計画「国家コンピューター化計画」が導入されて以降、中期的な計画に基づくICT導入が進められてきた。ただ、これまでICTインフラの整備や産業振興に力を入れていたのに対し、スマート・ネーション構想ではICTを活用してシンガポールが抱える社会や経済上の課題を解決することにフォーカスしている。

その後、スマート・ネーション構想の下、日々の暮らしから、ビジネス、行政などあらゆる場面で、デジタル技術を活用した様々な実験的な取り組みが行われている。たとえば国民向けの保健サービスでは、健康情報や食事管理、万歩計など人々の健康向上を目的とした携帯アプリ「ヘルシー365」の導入や、心臓発作などを起こした場合に近くにいる応急措置のボランティアに通知するアプリ「マイリスポンダー」などがある。また、相手の携帯電話番号が分かればスマートフォンを使って即時決済ができる「ペイナウ」に代表されるキャッシュレス化に向けた取り組みも進んでいる。さらに、政府が保有する個人情報を、民間企業を含む第3機関にも事前承諾の上、提供を認める「マイ・インフォ」がある。たとえば、銀行で口座開設したい場合、マイ・インフォを使えば、口座開設のフォーム記入の手間が削減されるだけでなく、政府がその本人を確認するため、銀行側で本人を認証する必要がなくなるメリットがある。

このほか、電子政府サービスにアクセスする際のパスワードとして2003年から「シングパス」が導入されている。2018年10月からはこのシングパスのセキュリティー強化のため、携帯アプリを使って本人を認証する「シングパス・モバイル」が新たに導入された。

シングパス・モバイルの画面:携帯を使って納税や、社会保障サービスなどにアクセスできるだけでなく、
セーフエントリーを使って入退室する際に毎回個人情報を入力することなく、
政府が保有する個人情報を使って自動入力できる

 

シングパス・モバイルは新型コロナウィルス対策でも活用されている。2020年5月から、冒頭の「セーフエントリー」で本人認証するのに、シングパス・モバイルのアプリを開いて、QRコードをかざせば自動的に本人の必要な情報が自動登録できるようになった。その後、同アプリ上の記録を通じて確認された感染者が同じ時間に同じ場所を訪れていたか通知する機能も追加された。

 

デジタル化におけるGovtechの重要な役割

このセーフエントリーやシングパス・モバイルを開発したのが、政府テクノロジー庁(GovTech)である。同庁は2016年10月、行政サービスのデジタル化を中心にスマート・ネーション構想の執行機関として情報通信省の下に創立された。翌2017年5月からGovTechは、首相府管轄下に移行している。

GovTechが新型コロナウィルス対策に必要なシステムを迅速に開発できるのは、庁内にエンジニア人材を自前で抱えていることがある。同庁の職員は2020年7月時点で2800人で、このうち約1000人がエンジニアだ。自前で開発できる体制を庁内につくることで、必要なシステムを速やかに開発し、仕様変更できる体制もとれている。

「セーフエントリー」は2021年に入り、さらに進化を遂げている。同年5月、セーフエントリーの機能は、濃厚接触者を確認するためのアプリ「トレーストゥゲザー」に統合された。現在では、ショッピングモールやレストランに入る際に、同アプリが入ったスマートフォンをかざせば出入りが記録される。トレーストゥゲザーには新型コロナウイルスのワクチン接種記録も掲載され、ワクチン・パスポートのような役割も果たす。このトレーストゥゲザーを開発したのも、Govtechである。

トレーストゥゲザーのアプリ画面:濃厚接触の確認だけでなく、ショッピングモールなどの出入りを記録する
「セーフエントリー」の機能のほか、ワクチン証明の役割を果たす

 

シンガポールがテクノロジーを活用した新型コロナウィルスの感染対策を導入できたのも、スマート・ネーション構想に基づくデジタル化を推進し、必要な基盤が政府内にすでにできていたことは大きい。

新型コロナウィルス流行に伴い、在宅勤務やオンラインショッピングが増え、キャッシュレス化が進行するなど、一層のデジタル化が否応なく進んでいる。日々の生活やビジネスの場面でのデジタル化を、スマート・ネーションの取り組みが支えている。

(本田智津絵)

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著者略歴

  1. 本田 智津絵(ほんだ・ちづえ)

    ジェトロ・シンガポール事務所 シニアアナリスト 。
    1997年よりシンガポールに滞在。総合流通グループでの貿易実務業務や、通信社の記者を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所に入構し、シンガポールの経済や政治、イノベーション政策に関する調査を担当し、現在に至る。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。

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