華僑・華人とは(『華僑・華人を知るための52章』より)
かつて「日の沈まぬ国」と呼ばれたのはスペインとイギリス。翻って現代、世界中にあまねく分布する「チャイナタウン」を総体として見れば、「日の沈まぬ街」とでも言えるかもしれません。一口にチャイナタウンと言ってもその景観や機能は多様ですが、もちろん共通するのは中国にルーツを持つ「華僑・華人」の営みがそこにあること。故郷を離れて異国で懸命に生計を立て、それぞれの地域に順応して数世代にわたるコミュニティを築いた彼らの歴史と現在を多角的に描いた新刊『華僑・華人を知るための52章』(山下清海 著)より、歴史的経緯を踏まえて「華僑」「華人」という呼称を論じた章をご紹介します。「華僑」という用語がとかく日本では使われますが、そう呼ばれることを好まない「華人」もいることは是非知っておきたい事情です。
華僑・華人とは ~落葉帰根から落地生根へ~
「華僑〈かきょう〉」という用語は、中国で古くから用いられてきたものではない。「華僑」以前に多く使われてきた中国語として「唐人〈とうじん〉」がある。唐(618~907年)は海陸にわたって名を世界にとどろかし、海外の中国人は唐人と呼ばれてきた。世界各地に見られるチャイナタウンは、中国語では「唐人街」と呼ばれることが多い。
「華僑」は、1870~80年代に清国が結んだ国際条約の結果として生じた、自国臣民の保護という事態の所産である。在外居留の商民を定義する必要に迫られて「僑居華民〈きょうきょかみん〉」という四字句を用い、二字熟語に倒置して「華僑」という用語を新造したことに始まるという。「僑居」とは「仮住まい」という意味で、海外で仮住まいをし、いずれ中国に帰る「華民」(中国人)を、「華僑」と呼んだ。
ハワイ・ホノルルのチャイナタウンにある「国父孫中山先生」の像。孫中山〈ちゅうざん〉は「中国革命の父」孫文のこと。兄を頼り若くして渡ったハワイで民主主義を知り、革命運動においても日本など海外を長く拠点とし、華僑・華人の支援を求めた。「中山」という号も、日本の中山〈なかやま〉姓に由来する。(筆者撮影)
海外で刻苦奮闘して、いずれは故郷に錦を飾る気持ちでいる中国人が、厳密な意味での華僑であった。「落葉帰根〈らくようきこん〉」――すなわち、葉が落ちて根に帰るように、海外に出た人も、最後は故郷へ戻るという伝統的な考えがあった。しかし、移住先での定住化が進む中で、「落地生根〈らくちせいこん〉」――土地に根づく、すなわち、海外で生き抜いていくという考え方に変化していったのである。
第二次世界大戦前、海外に居住する中国出身者の中には、「華僑」的な意識をもっていた者が少なくなかった。彼らが「国語」という時、いわゆる北京官話を意味した。中華民国時代に北京官話は「国語」(英語ではマンダリン “Mandarin”)と呼ばれ、台湾では今でも「国語」という言い方がされている。中華人民共和国では、「普通話〈プートンホワ〉」(標準中国語)と呼ばれるようになった。
第二次世界大戦後の植民地の独立や、1949年の中華人民共和国の成立など、「華僑」を取り巻く状況は大きく変化した。これに伴い、社会主義体制下の中国に「帰国」するのをあきらめ、居住国の国籍を取得したり、現地の人たちと結婚したりして、「華僑」の現地社会への定着化が進んでいった。このような人たちは、意識の面でも、もはや「中国人」ではない。厳密な意味での「華僑」は減少し、これに代わり「華人」という呼び方が一般化していった。
もっとも、「華人」という呼称は、近年になって用いられてきた呼び方ではなく、第二次世界大戦前から華僑や中国人の同義語としても使われてきた。日本においても、日中戦争時に「内地」の労働力不足を補うために、日本の企業が中国大陸から雇用した中国人労働者のことを、「華人労務者」と呼んでいた(本書第2章参照)。
世界の華僑・華人がもっとも集中する東南アジア、特に中国語を用いる住民が多いシンガポールやマレーシアでは、かつて「国語」と呼ばれていた標準中国語も、「華語」あるいは「華文」と呼ばれるようになった。今日、マレーシアの比較的若い華人の会話の中に出てくる「国語」は、マレー語(マレーシアの公式な呼称では「マレーシア語」)を指すようにもなった。
日本の年配者の間では、「華人」という用語があまり浸透していないが、現在日本で使用されている文部科学省検定済みの地理教科書では、用語として「華人」が使われており、若年層にはすでになじみのある語句となっている(本書第2章参照)。
中国では1955年以降、それまでの血統主義的国籍法を放棄し、中国籍を保持している「僑民」(海外居住者)を「華僑」、中国人の祖先をもつが外国籍の者を「華人」と呼んでいる。このため、中国要人の公式な発言や公的機関が発表するステートメントでは、「華僑華人」(中国では中点「・」を用いない)という表現が用いられる。中国の大学や研究機関に所属する研究者が執筆する図書や論文でも、例えば北京で発行された『世界華僑華人詞典』のように「華僑華人」が使用される。
日本においては、いわゆる「華僑」に関する研究に取り組んでいる研究者の中で、「華僑」「華人」「華僑・華人」「華僑華人」のいずれを用いるかは、研究者それぞれによって異なっている。歴史分野は研究対象とする時期が古いため、一般に「華僑」が用いられてきた。横浜、神戸、長崎をはじめ日本の「華僑」の中には、日本国籍を取得した者も増加しているが、そのような人びとに対しても、「華僑」と「華人」を厳密に分けて論じることは難しく、両者の総称として「華僑」が用いられることが少なくなかった。
一方、東南アジアを研究対象としてきた研究者は、「華僑」および「華人」の総称として、「華人」を用いることが多い。少なくともシンガポールやマレーシアにおいて「華僑・華人」を研究している研究者は、「華人」を用いる者がほとんどといっても過言ではない。
シンガポールの華裔館〈かえいかん〉(本書第52章参照)が1998年に刊行した英文書 The Encyclopedia of the Chinese Overseas は、「華僑・華人」研究にとって重要な事典である。シンガポールの研究者が中心になって翻訳出版された中国語版の書名は『海外華人百科全書』である。なお、「華裔〈かえい〉」は、華僑・華人の子孫を指す。
華僑は英語で overseas Chinese (Chinese overseas とも)、華人は ethnic Chinese と表現される。単に Chinese と表記されるだけで、華僑、華人のいずれか、あるいは両方の意味合いを含んでいることも多い。日本では漢字を用いるため、「華僑」「華人」「華僑・華人」「華僑華人」にするか、訳語の選択もきわめて悩ましい問題である。
オーストラリア、「シドニー第2のチャイナタウン」と呼ばれるカブラマッタ。インドシナ系華人の「再移民」が多く、看板には漢字のみならずベトナム語やカンボジア語が見られる。(筆者撮影)
シンガポールに留学し、若い時に東南アジアを主要なフィールドとしてきた私自身も、基本的に論文や学術図書を執筆する際には、国籍を問わず、海外に居住する中国出身者とその子孫の総称として、「華人」を用いてきた。シンガポールでは、華人が日常の生活の中で自らを指して「華僑」という言葉を用いることはほとんどない。彼らは、自分たちのことを「華人」と表現する。
ところが、シンガポールをはじめとする東南アジアの華人は、日本のビジネスパーソンや観光客からしばしば「あなたたち華僑は……」と呼ばれる。漢字を用いる日本社会で、長い間、「華僑」という用語が定着してきたためである。例えば、日本人がシンガポールの華人に「あなたたち華僑は……」と言えば、だれもが不快に感じるのである。そして、「私たちはシンガポーリアン(シンガポール人)です。シンガポールの華人です」と言うであろう。
私自身、そのような場面に居合わせたことが幾度かある。「日本人はどうして私たちのことを『華僑』と呼ぶんだ。私たちは華僑ではなく華人だ」と、その場では言わないで、後で私に不満を述べるシーンに幾度も出くわした。多くの日本人が、東南アジアの華人をいまだに「華僑」と呼び、「商売上手で、現地の経済を牛耳っており、現地社会へなかなか同化しない」という第二次世界大戦前と同様の偏ったイメージでみていることに対し、不愉快に思っている華人が少なくないことを日本人は認識する必要がある(本書コラム1参照)。
華人の中でも、商業活動に従事する者は「華商」とも呼ばれる。農業や鉱山労働に従事する者も多かったが、「華僑」とほぼ同義語として「華商」が用いられてきた。日本では次章で述べるように、「華僑」の「僑」が戦後制定された当用漢字(のち、常用漢字)に含まれないこともあり、新聞などのマスコミが「華僑」の言い換えとして「華商」を用いることも少なくなかった。
外国に居留している中国人労働者という意味で「華工」も多く用いられた。中国語で「工人」は労働者という意味である。
本書では、狭義の「華僑」および「華人」の総称として、基本的に「華人」を用いることにする。また、必要に応じて「華僑・華人」も併用する。また、改革開放後の中国から海外に出て行った人たちと、それ以前から海外に住んでいる人たちとを比較する場合には、適宜、「新華僑」「老華僑」という表現も用いることにする。
(山下清海)