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食生活(『リトアニアを知るための60章』より)

食生活 ~蜂蜜とすりおろしじゃがいもと森の恵み~

 一言でリトアニア料理と言っても、時代や地域によって多様性があるが、全体として見れば、北欧諸国の料理と共通した食材を用いながら、歴史的に関わりの深い近隣諸国の調理法を取り込んだ、農民の田舎料理である。誰もが知る代表的な郷土料理には二つある。一つは、すりおろしたじゃがいもで作るラグビーボール型のだんご料理ツェペリナイで、その名は20世紀初頭に硬式飛行船の開発に成功したドイツのツェッペリン伯爵に由来する。もう一つは、この国の夏を彩る鮮やかなピンク色の冷製ボルシチ、その名もシャルティバルシチェイ。いずれも20世紀半ばに普及した比較的新しい料理だが、リトアニア料理店ならどこでも食べられる。

 さて、それ以外に名の知れたリトアニアの民族料理は多くはない。だが、何日かリトアニアに滞在すれば、そんなことよりもっと大切なことに気づくだろう。そう、リトアニアでは、ふつうの食べ物がきちんとおいしいのだ。滋味溢れる黒いライ麦パン、森でつんできた新鮮なベリーやきのこ、ハーブの入ったまろやかな風味のチーズ、煙の匂いのするじっくり燻(いぶ)したハムやソーセージ。あの国の自然そのものの、飾り気のないまっとうなおいしさだ。

 中でもとびきりおいしいのは蜂蜜だと私は思う。加工していないぽったりした蜂蜜のかたまりを食べたのは、リトアニアが初めてだった。蜂が蜜を集めた花の種類によって、蜂蜜の色や味がまったく異なることを知ったのも。古来、リトアニア人は蜜蜂をこよなく愛する民族で、今でも田舎へ行けばあちこちで蜜蜂の巣箱を見かける。養蜂が特殊な職業でなく、ふつうの暮らしに溶け込んでいるこの国には、蜂蜜で味つけする料理や飲み物のレシピが豊富にある。たとえば、長い伝統を持つミドゥスは、古代から広くヨーロッパで飲まれてきた蜂蜜酒の一種で、祭日や祝宴の席に必ず登場する。

 蜂蜜の他にも、リトアニア人の食生活を語る上で欠かせないものがある。すりおろしたじゃがいもである。じゃがいも専用の電動おろし機は、日本の炊飯器並みに普及している台所の電気製品で、一家に一台あると言われるほどの必需品。かき氷機にも似たこの機械で、リトアニア人は日々シャカシャカとじゃがいもをすりおろす。冒頭に挙げたツェペリナイの他にも、パンケーキ、パイ、腸詰めにしたソーセージなど、すりおろしじゃがいもを大量に使うレシピは山ほどあり、そのどれもが、もちもちした食感でやみつきになるおいしさである。

じゃがいもすりおろし機

じゃがいもすりおろし機

 また、リトアニア人の日々の食卓に欠かせない食べ物は、ライ麦パンである。そもそもリトアニア語では、8月は「ライ麦刈り」、9月は「ライ麦蒔き」という名がついており、ライ麦は古くから大切な農作物であった。中でもライ麦パン(通称「黒パン」)は、古来、様々な祭事や宗教的儀式に用いられ、フォークロアの中にもあらゆる食べ物のシンボルとして登場する。トーストせずにそのまま食べる他、かりかりに焼いてすりおろしにんにくで味つけしたり、サイコロ状に切って揚げ、野菜、豆、チーズなどと和えてサラダにしたり、スープに入れたりと、幅広く活躍する。

 スープは、リトアニア語では「飲む」のではなく「食べる」という。肉や魚、豆、様々な野菜がたっぷり入ったスープは確かに食べ応えがある。夏は冷たいベリーのスープ、秋にはきのこのスープを毎日食べて、季節ごとに森の恵みを丸ごと味わう。穀物や野菜を煮込んだミルクスープもよく食べる。ロシア料理として知られるボルシチは、リトアニアでも人気のメニュー。冒頭で挙げたシャルティバルシチェイは、リトアニアの夏の風物詩とも言える。初めて食べる人がみな驚嘆する派手なピンク色は、ビーツを煮たスープにサワークリームを混ぜることによって生まれるもの。そこに、リトアニア人のハーブとして知られるディル、きゅうり、ゆで卵などを加えると、サラダのような爽やかなボルシチができあがる。

 さて、リトアニアは知る人ぞ知るハーブの国である。料理は一般的に塩や砂糖で味つけしたマイルドな薄味で、伝統的にハーブがよく使われるが、とくにディルとキャラウェイシードは、びっくりするほど色々なものに入っている。また、古来、ハーブティーをよく飲む。かつては、どんぐり、大麦、小麦など、身近な木の実や穀物の実を煎(い)ってコーヒーも手作りしたが、現代では、輸入物のコーヒーが好まれる。その他の伝統的な飲み物に、その名も可愛らしいスラとギラがある。スラは、早春まだ芽吹く前の楓や白樺の木から採取した樹液のことで、森の香りが楽しめる健康的な清涼飲料。ギラは、ロシアのクワスに似た酸味のある飲み物で、ライ麦パンと酵母を発酵させ、スラ、蜂蜜、ベリー、ハーブなどで風味をつける。

 リトアニア人は森が好きである。街に暮らす人々も休日には家族や友人たちと森に出かけ、ベリーやきのこをとり、川や湖で泳ぎ、魚釣りをする。北国の短い夏、ブルーベリーやラズベリーなどのベリー類は、大切なビタミン源。ジャムにして保存し、パンやパンケーキにつけて食べる。新鮮なベリーに砂糖やシナモンを加え、小麦粉でできた薄い皮で包んでゆでたヴィルティネイの素朴なおいしさも忘れがたい。ヴィルティネイは、モンゴル人が東欧にもたらした餃子が起源と言われ、詰め物は、ベリーの他にも、肉や野菜など様々。塩味のものは日本の水餃子に似ているが、リトアニアではサワークリームをかけて食べる。

 乳製品は何でもおいしい。とくに、チーズは北欧風でくせがなくまろやかな味わい。中でもリトアニア人が大好きなのは、「白いチーズ」と呼ばれるカッテージチーズに似たフレッシュで柔らかいヴァルシケーである。焼く、煮る、ハーブを混ぜる、蜂蜜やジャムをつける、など、様々な食べ方がある。また、乳製品ではないのに「りんごのチーズ」という面白い名前をもつ食べ物もある。りんごを砂糖とシナモンと一緒に煮込んでから何日も乾燥させ、チーズ状に固めたもので、カラメル色のねっとりした質感は、どちらかと言うと日本のようかんのよう。

 とくに国外で評価が高い食べ物としては、燻製料理が挙げられる。多種多様なハムやソーセージがあるが、その中でも、伝統的な製法によって作られたスキランディスは、最も有名な高級料理である。豚の胃袋に、豚ひき肉、にんにく、スパイスなどを詰め、時間をかけて低温で燻煙・熟成させた、いわゆる冷燻製ソーセージだ。肉に比べて魚料理はあまり豊富ではないが、干し魚、塩漬け、酢漬けなど保存に適した調理法が古くから発達している。とくに脂ののったうなぎの燻製は、祝日や来客の折りの特別なメニューである。

 祝宴の最後を飾るにふさわしいのは、リトアニアの代表的な伝統菓子シャコーティス(「枝つき」)である。木の枝に生地をかけながら、直火で年輪のように層をなしたケーキを焼き上げる製法は、ドイツのバウムクーヘンと同じだが、外見と食感はかなり異なる。シャコーティスは、その名の通り、無数のつんつんした細い枝を生やしており、ほどよい歯ごたえ。壊れやすいので土産物には不向きだが、何と先日東京で日本製のシャコーティスを発見した。だが、食べてみると何か違う。足りないものは、いつも温かくもてなしてくれるリトアニアの友人たちの素朴な笑顔と気取らないお喋りだろうか。やはり、リトアニアの格別においしいものはことごとく、あの国でなければ存分に味わえないような気がする。

(櫻井映子)

シャコーティス(佐久間恭子撮影)

シャコーティス(佐久間恭子撮影)

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著者略歴

  1. 櫻井 映子

    (さくらい・えいこ)
    名古屋大学卒業、名古屋大学大学院博士課程修了(文学博士)。日本学術振興会特別研究員を経て、現在、東京外国語大学・大阪大学講師。専門は、リトアニア語学・リトアニア文学、バルト・スラヴ学。
    近年の著作に、「リトアニア語の自他交替:反使役を中心に」『有対動詞の通言語的研究――日本語と諸言語の対照から見えてくるもの』(パルデシ・プラシャント、ナロック・ハイコ、桐生和幸編、くろしお出版、2015年)、「「日本に親しむ道がある」――リトアニアにおける日本文学の受容」『世界のなかの日本文学――旧ソ連諸国の文学教育から』(ユルギタ・イグノティエネとの共著、野中進、籾内裕子、沼野恭子編、埼玉大学教養学部・人文社会科学研究科発行、松籟社、2016年)、『ニューエクスプレスプラス リトアニア語』(白水社、2019年;『ニューエクスプレス リトアニア語』(白水社、2007年)の増補版)、『リトアニアを知るための60章』(〈エリア・スタディーズ177〉、編著、明石書店、2020年)他。

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