ルカシェンコ、それともルカシェンカ?(『ベラルーシを知るための50章』より)
名前や名字を耳にしたとき、ある地域や民族を感じることがあります。「~スキー」「~ヴィチ」といった名字を耳にして、なんとなくロシア風(または東欧風、スラブ風)だと思う方も少なくないのでは? それは必ずしも間違いではありませんが、ひとくちに「関西弁」と言っても実際には多様な分類があるように、われわれがざっくりと「東欧風」などと思ってしまう名字の中にも、現地に行けば繊細な思い入れがあるようです。昨今では大統領選挙の正統性を問う抗議デモに揺れる、旧ソ連の国・ベラルーシ共和国を紹介した『ベラルーシを知るための50章』(2017年9月刊)から、その一端に触れていただきましょう。
ルカシェンコ、それともルカシェンカ?
~ベラルーシ人の名前~
名前はしばしばその人がどこの国、あるいはどんな民族、宗教に属しているのかを明らかにする。聖書や聖人のリストなどの宗教文化を共有していることの多いヨーロッパでは、英語のマイケル、フランス語のミシェル、ロシア語のミハイルのように同じファーストネームが各国語で異なるバージョンを持つことになる。民族名を冠するれっきとした公用語がありながら実際にはロシア語が優勢なベラルーシでは、普段はイーゴリやオリガというロシア名で通っている人が、パスポートを見るとイーハルやヴォリハというベラルーシ語の名前で記載されていることも珍しくない(しかしロシア語のままの場合も多いのでややこしい)。ユダヤ系の詩人レレスはイディッシュ語ではギルシュ、ロシア語ではグリゴリイ、ベラルーシ語ではリホールというように、メディアの言語に応じて名前が「翻訳」される。逆にアレシ・アダモヴィチのようにロシア語で書く場合にもアレクサンドルではなくアレシというベラルーシ風のファーストネームを名乗る作家もいる。バルバラ、カジミラ、ドミニク、スタニスラフのようにポーランド系あるいはカトリック系の名前にしばしば出会う(必ずしも本人がそうとは限らない)のも複雑な歴史を反映しているといえよう。
[画像]ロシアで発行されたロシア語・ベラルーシ語会話集
エリクセン、ヨハンセンならノルウェー人、ニエミネンやヴァイノネンならフィンランド人、ダヴァヒシヴィリやチハルチシヴィリはグルジア人(ジョージア人)というように、名字はその語尾によって国民性・民族性が分かることが多い。同様にして最もベラルーシ的だとされることが多いのは「イチ、ヴィチ」で終わる名前で、作家のアレクシエーヴィチや政治家のシュシケヴィチなどが有名である。一方で「スキー」で終わるのはポーランド的、「エンコ(ベラルーシ語ではエンカ)」という語尾はウクライナ的、「エフ、オフ(エウ、アウ)」はロシア的だとされるが、いずれもベラルーシではよく見かける名字である。たとえばホッケー選手グラボフスキー、ルカシェンコ(ルカシェンカ)大統領、作家のブイコフ(ブイカウ)などが思い浮かぶ。
実際にはこれらの語尾はどれもスラヴ系の民族では幅広く見られ、どこかひとつの国や地域に限定されるわけではない。しかしそれでもベラルーシの固有性を求める語尾ナショナリズムともいえるような傾向が知識人の言説には見え隠れする。たとえば有名な言語学者ヤン・スタンケヴィチは「われらの名字」(1922年)という論文で、コズロフ(カズロウ)やコヴァリョフ(カヴァリョウ)という姓は、帝政ロシアの支配下で無理やりロシア風に変えられたものだと主張している。国民作家ヤクブ・コーラス(本名ミツケヴィチ)の大河小説『岐路にて』(1923~54年)では、登場人物のひとり猟師バランケヴィチが「ヴィチ」で終わる名字のおかげでポーランド人ではなくベラルーシ人だと自覚できたことを感謝する場面がある。
とはいえ語尾のない普通名詞そのままの姓というのもベラルーシには意外と多い。個人のあだ名から派生したものと考えられ、ジューク(かぶと虫)、コート(猫)、フルイブ(きのこ)、トゥルース(うさぎ)など動植物の名前が多いのがユーモラスだ。語尾の違いをいちいち気にするくらいであれば、これくらいシンプルな名前のほうが気楽でよいのかもしれない。
(越野 剛)