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ポピュリズムの時代(『ベルギーの歴史を知るための50章』より)

最近西ヨーロッパ各国で大きな選挙があるたびに、「ポピュリズム」「極右政党の躍進」といった言葉がよく聞かれます。以下で解説されているように、ヨーロッパのポピュリズム(右派ポピュリズム)とは一般に “「人民」の立場に立って「特権層」を批判し、「反移民」を中心的な主張とする” もの。ベルギーもこの風潮の例外ではありませんが、九州とほぼ同じ面積ながら歴史的経緯からオランダ語圏(フランデレン)とフランス語圏(ワロニー)に分かれ、独立前から両言語話者の間で角逐が繰り広げられてきた同国では、ポピュリズムの噴出の仕方にも他国とは異なる特徴があるようです。「地域」「民主主義」というものを考えるうえで大変示唆に富むベルギーのポピュリスト政党の動向について、『ベルギーの歴史を知るための50章』(松尾秀哉編著、2022年9月刊)からご紹介します。

ポピュリズムの時代 ~ベルギーのデモクラシーはどこへゆくのか~

近年、先進デモクラシー各国では「ポピュリズム」という政治現象が大きな影響力をもっている。政治学者の水島治郎によれば、政治運動としてのポピュリズムとは、「人民」の立場に立って「特権層」を批判する二項対立的な運動を指すという。ヨーロッパ政治・社会の文脈において、一般的にポピュリズムとは「反移民」を中心的な主張とする「右派ポピュリズム」を意味する。ポピュリストは、わかりやすい攻撃対象として移民をターゲットに設定するのである。

以下、本章ではベルギーにおけるポピュリズム現象を時系列的に追跡していく。ワロニーでは今のところ有力なポピュリスト政党が出現していないことを鑑み、フランデレンのポピュリスト政党を中心に話を進める。

フラームス・ブロック——移民排斥を謳うフランデレン・ナショナリスト

ベルギーの最も代表的なポピュリスト政党といえば、「フラームス・ブロック」だろう。この党の源流は、フランデレンの地域主義政党「ヴォルクスユニ」にある。ヴォルクスユニから離脱した急進的な政治家によって、フラームス・ブロックは設立された。最初期にはフランデレン・ナショナリズムを中心的に訴えていたフラームス・ブロックは、一九七八年以降の四度の国政下院選挙ではかなりの弱小勢力だった。

だが、一九八八年以降、党の指導的地位にあったフィリップ・デウィンターの主導で、フラームス・ブロックはフランデレン独立に加え、「反移民」の政策をも強調するようになる。その主張は、二世を含む移民を本国に送還する可能性に言及するなど、きわめて過激である。以降のフラームス・ブロックは「われら自身の人民[フランデレン人]が第一である!」という政党のキャッチフレーズを前面化する。そして、移民政策を主導する既成勢力を批判しつつ、さらに経済的に衰退傾向にあったワロニーへの非難も続けた。わかりやすい攻撃対象を設定しつつ、ベルギーの政策を主導する「特権層」たる他党とその政治家を「人民」の立場から批判するその姿勢は、水島の定義に沿って考えれば、明らかにポピュリストである。

方針転換が功を奏し、一九八八年にフラームス・ブロックはアントウェルペン市議会選挙で一定の成果を収め、さらに一九九一年国政下院選挙で大躍進した。これを受けてフラームス・ブロック以外の全政党は、フラームス・ブロックとの協力を一律で拒否する協定(通称「防疫線」)を締結した。

勢力を伸ばすフラームス・ブロックに対し、ヘント上級裁判所は二〇〇四年一一月に、党の主張が反レイシズム法に違反するとの判決を下した。これを受け、フラームス・ブロックは党名を「フラームス・ベラング」(「フランデレンの利益」の意)に改め、二世を含む移民の強制送還など極端に過激な政策からは手を引いた。だが、反移民・反ワロニーの姿勢は翻さなかった。

N-VAの台頭——予測不能になっていくベルギー・デモクラシーの未来

解決しない移民問題・地域対立をしり目に、フラームス・ベラングは二〇〇七年国政下院選挙まで一定の支持を集め続けていた。ところが、二〇一〇年代に入り、流れが変化する。二〇〇一年に分裂したヴォルクスユニの右派勢力によって創設された「新フランデレン同盟」(以下、N-VA)が、二〇一〇年の国政下院選挙で二七議席を獲得し、第一党となったのである。二〇〇三年・二〇〇七年の選挙では弱小勢力だったN-VAにとって、二〇一〇年の選挙結果はまさに大躍進であった。同党は二〇一四年国政下院選挙でも三三議席まで議席数を伸ばし、このときは連邦政権入りも果たしている。一方、フラームス・ベラングは二〇一〇年、二〇一四年の選挙でみるみる勢力を縮小していった。

国政下院選挙におけるヴォルクスユニ、新フランデレン同盟(N-VA)、フラームス・ブロック/ベラングの議席数の変遷(※議員定数:1991選挙以前:212/1995選挙以降:150)(ベルギー連邦政府公式、および新フランデレン同盟公式ウェブサイトを参考に筆者作成)

N-VAは、フラームス・ベラングと比べ、移民政策については明確な政策主張を回避している。その一方で、ベルギーという国家の枠組みがいかに問題をはらんでいるかを強調し、ベルギーを連邦制から国家連合へと変革することを主張する。また、フランデレンとワロニーの対話を阻害しない形で、しかし妥協は許さず既成勢力に対抗する姿勢を取っている。地域問題に関する同党の強硬姿勢が、二〇一〇年選挙後の組閣交渉を約一年半にわたって停滞させたことは強調しておくべきであろう。

N-VAがどのような政党であるかは、様々な議論がある。本国ベルギーを中心に学界では、N-VAはあくまでヴォルクスユニの後継者にすぎないとするステファニー・ベイエンス(政治学者)らの見解(Beyens et al. 2017 pp. 398)、あるいはそれに近い立場が主流のように思われる。だが、同党の台頭を、これまで類型化されてきたポピュリズムとは違う「地域ポピュリズム」現象だと考える立場もある。少なくともフラームス・ベラングと相対的な政策位置が近いことは事実で、その勢力後退にN-VAの台頭が影響したことは明らかである。

なお、N-VAへの有権者の支持は決して盤石ではない。二〇一九年の国政下院選挙で同党は二五議席確保にとどまり、国政第一党の座を守りつつも勢力が後退した。その一方、フラームス・ベラングは一八議席を獲得して国政第三党となった。フラームス・ベラングというポピュリストと、その対抗者たる新フランデレン同盟の出現により、ベルギーの政党政治は混迷しつつある。ベルギーのデモクラシーが堅固に生き残るか衰退するかも、両党をめぐる政治とポピュリズムの動きに大きく左右されていくだろう。

(宮内悠輔)

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著者略歴

  1. 宮内 悠輔(みやうち・ゆうすけ)

    1993年東京都生まれ。立教大学大学院法学研究科博士課程後期課程中途退学。修士(政治学)。現在、立教大学法学部助教。主な著作に、「地域アイデンティティと排外主義の共鳴と隔離――現代ベルギーにおける二つの地域主義政党の事例」『日本比較政治学会年報』第21号(2019年)、「ベルギー地域主義政党の政策的硬直――ウェッジ・イシュー戦略の帰結」『年報政治学』2020-II 号(2020年)、など。

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