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マスク着用の長期化と信仰上の懸念(『宗教からアメリカ社会を知るための48章』より)

4年目に入ったコロナ禍。日本では3月13日以降、マスク着用が原則として「個人の判断」に任されることになりました。世界でもマスク着用率が高かったと言われる日本ですが、以前から「普通の風邪」を引いた際のみならず防止のためにも自発的にマスクを着ける人が少なくありませんでした(もちろん、花粉症対策にも)。一方、アメリカを中心にコロナ禍の初期から噴出していたマスクへの忌避感は激越で、着用効果云々以前に心の底から湧き出ていたように思われます。そこに信仰の要素まで関わってくるとなると、多くの日本人には相当意外なのではないでしょうか。キリスト教を中心に宗教が社会に深く根差したアメリカの姿を読み解く、エリア・スタディーズ新刊『宗教からアメリカ社会を知るための48章』(上坂 昇 著)から、マスク着用をキリスト教信仰の観点から見たコラムをご紹介します。

マスク着用の長期化と信仰上の懸念

新型コロナウイルスの防疫態勢には理解を示し、ワクチンを積極的に接種しながらも、マスクを長期的に着用していることに、信仰上の懸念を示す人が少なくない。宗教右派のように、単純にイデオロギー的な反マスクを唱えて反対しているのではなく、聖書の言葉を細部にわたって検討すると、マスクで顔を隠す(聖書ではベールで顔を覆うという表現が多い)ことで神との関係が損なわれるのではないかというのである。もっとも、聖書は直接的にはベールで顔を隠せとか、隠してはいけないとか、ベールの是非については述べていないという。

ローマ教皇フランシスコはワクチン接種を拒否するのは自殺的であると強く非難しているほどだが、自分自身のマスク着用となると態度が一変する。感染拡大期にあっても、公式行事でマスクをつけることはきわめて少ない。バチカン職員には義務づけていながら、自身はキスやハグまでしている。マスクは神への冒瀆と考えているのではないかと一部で物議をかもしており、アメリカの司教が着用を促す公開質問状を出している。それが功を奏したのか、2021年12月のニュー・イヤーズ・イブの礼拝ではサージカル・マスクを着用していたと報道されている。

ニューヨークの地下鉄でマスクを配布する地下鉄幹部の写真
ニューヨークの地下鉄でマスクを配布する地下鉄幹部
(Metropolitan Transportation Authority of the State of New York from United States of America, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons)

聖書サイトによると、「顔を隠すベール」との表現は聖書に100ヵ所もあるという。「創世記」(24章65節)で、リベカが夫となるイサクを遠くに見てベールで顔を覆う箇所、「出エジプト記」では、モーセがシナイ山で神から十戒を受けてイスラエルの民に告げた後、自分の顔に覆いをかけたが、主の御前ではいつも覆いを取る(34章33~34節)が代表的だ。神の言葉を語るモーセの顔は神の栄光を受けて光を放っているという。神は体も顔も見えない存在だが、「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」(33章11節)のである。新約聖書でよく引用される「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」(「コリントの信徒への手紙二」3章18節)にあるように、顔は主の栄光と深く結びついているとされる。

マスク着用の長期化を信仰上の悩みとする人は、こんな懸念までしている。教会によってはオンラインによる礼拝をしているが、主は対面による交わりを求めているという。「聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい」(「コリントの信徒への手紙二」13章12節)を実現するのはコロナ禍では無理としても、人々の間でのコミュニケーションにおいて顔は最も細やかに意思疎通を図るところなので隠してはいけないとされる。マスク着用が今後もずっと継続していき標準的な規範となってしまうと、われわれの神を理解する知識を受け入れる能力が損なわれないかと、心配している人々もいるようだ。

ワクチン接種を十分に理解しながらも、長期のマスク着用に神学的な疑問をもつ敬虔なクリスチャンは、結論としてこう考えている。マスクを着用することで感染を防ぐという意味で、隣人を愛したり、負担を担ったりするというキリストの教えを守り、肉体的健康を守ることができる。しかし、顔を隠すことなく神との交わりを深めて精神的な健康も享受したい。とくに聖職者にとっては、自らマスクをしながら、マスクで顔が隠れている人たちにどれだけの説教ができるか、なんらかの指針がほしい。

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著者略歴

  1. 上坂 昇(こうさか・のぼる)

    1942年、東京生まれ。東京外国語大学卒業後、時事通信社、小学館、在日アメリカ大使館を経て、桜美林大学教授(アメリカ研究)。2013年から同大学名誉教授。

    著書(単著)には、『現代アメリカの保守勢力――政治を動かす宗教右翼たち』(ヨルダン社、1984年)、『アメリカ黒人のジレンマ――「逆差別」という新しい人種関係』(明石書店、1987年、増補版1992年)、『アメリカの貧困と不平等』(明石書店、1993年)、『キング牧師とマルコムX』(講談社現代新書、1994年)、『神の国アメリカの論理――宗教右派によるイスラエル支援、中絶・同性結婚の否認』(明石書店、2008年)、『オバマの誤算――「チェンジ」は成功したか』(角川oneテーマ21新書、2010年)、『アメリカの黒人保守思想――反オバマの黒人共和党勢力』(明石書店、2014年)、『カリフォルニアのワイン王薩摩藩士・長沢鼎――宗教コロニーに一流ワイナリーを築いた男』(明石書店、2017年)がある。

    訳書には、アンドリュー・ハッカー『アメリカの二つの国民』(明石書店、1994年)、シーモア・M・リプセット『アメリカ例外論――日欧とも異質な超大国の論理とは』(明石書店、1999年、金重紘との共訳)、ティム・ワイズ『オバマを拒絶するアメリカ――レイシズム2.0にひそむ白人の差別意識』(明石書店、2010年)がある。

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