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韓国のツンデレ少女(『韓国文学を旅する60章』より)

K文学が話題になるなか、古典から現代までの作家/作品を幅広く紹介する、待望の文学案内が刊行されます。本書を通読すれば、これまで知らなかった作品との出会いがきっとあると思います。また、韓国文学のイメージが変わるかもしれません。ここでは、韓国文学の入口となる『韓国文学を旅する60章』(波田野節子、斎藤真理子、きむ ふな編著)より、(一部改変のうえ)第8章を紹介します。

 

春川(チュンチョン)のジャガイモと金裕貞(キムユジョン)の「冬椿花」

 

 ソウルの慶熙(キョンヒ)大学近くの回基(フェギ)駅から春川行きの鈍行に乗り、20駅行くと「金裕貞駅」に着く。人の名前を駅名に使った韓国で最初の駅だ。駅は伝統的な瓦葺きになっていて、この建物自体も一見の価値がある。ここで降りて5分歩けば、金裕貞文学村だ。

 復元された藁葺き屋根の「生家」、作家の生と作品世界が一目でわかる展示物と映像がある「金裕貞物語の家」、彼の生涯と作品と遺物を展示した「企画展示館」、そして観光案内所はもちろん、韓服(ハンボク)、韓紙(ハンジ)工芸、民画、陶磁器などを体験できる「体験館」が10棟あまり並ぶ規模の大きい文学村である。2015年現在77万人が訪れ、韓国の単一文学館としては最大の訪問客を誇る。

 

金裕貞

 これほど多くの人々が訪れる文学村が記念する作家、金裕貞(1908~1937)とはいったいどういう人物なのか。彼は1908年にソウルで生まれた(春川で生まれたという説もある)。ソウルで普通学校を卒業し、そのあともソウルの学校に通った。現在の延世(ヨンセ)大学(よく延世大を慶應、高麗(コリョ)大を早稲田に喩えるように韓国最高の名門私立大学であり、バンカラな高麗大に比べておしゃれなイメージがある)に入学したモダンボーイであり、植民地時代のモダニスト芸術家集団である「九人会」のメンバーだった。

 これだけ見ると、モダンな都会人の生活を描いた作家のように思われるが、面白いことにその逆で、田舎を描いた作品が多い。一番有名なのは、韓国の中学校の国語教科書に載っている「冬椿花」で、韓国人なら誰でも知っている小説だ。舞台は江原道(カンウォンド)の春川、田舎の純朴な少年と少女のラブストーリーである。

 

 江原道は日本に喩えるなら北海道だろうか。大関嶺(テグァルリョン)で放牧する乳牛とおいしいジャガイモが有名で、雪もたくさん降るのでたしかに似ている。北海道の清らかな初恋といえば韓国人は誰でも『Love Letter』(1995年公開)を思い浮かべる。だが果して「冬椿花」もそんなラブストーリーなのだろうか。

 小説の主人公は二人とも17歳だから満で15~16歳、今の高校1年生である。皆さんはどんな姿を想像するだろうか。恥じらうチマチョゴリの少女と、好きなのに照れくさくて口に出せない少年、そして彼らをとりまく美しいツバキの林?—―大間違いである。そもそも冬椿花は、あの赤い椿の花ではない。クスノキ科の壇香梅(だんこうばい)という落葉樹の小木に咲く黄色い花を、江原道ではこう呼ぶのである。枝を折るとよい香りがするが、赤い椿とはまったく違う。

 

 小説のストーリーに入ろう。この小説の前半には、もしかしたら韓国小説で一番有名かもしれないセリフが登場する。「あんたのうち、こんなのないでしょ」、焼いたジャガイモを三個とりだしながら少女が言う。「春のジャガイモはすごく美味しいのよ」。その言葉を恩着せがましく感じて気分を害した少年が、「おれ、ジャガイモなんかいらん。おまえが食えよ」と答えると、少女は怒りのあまり涙ぐむ。以後、少女は自分の好意を拒絶した少年に復讐するために彼の家のメンドリを虐待する。そして怒った少年と口喧嘩をしながら、あの有名なセリフを口にするのだ。

 「バカ! あんたは生まれつきのバカよ。あんたの父さん、コジャなんだって?」コジャとはインポテンツのことである。はばかることなく罵詈雑言を口にする少女。ここでの「バカ」は自分の心をわかってくれない少年への恨みであり、その恨みがセクシャルなものであることを「コジャ」という表現は暗示している。自分の悪口ならともかく、父親の悪口をいわれて少年はひどく腹を立てる。このあと少女は自分の心を受け入れない少年に復讐するため自分の家のオンドリを少年の家のオンドリにけしかけ、怒りに駆られた少年はつい少女のオンドリを殴り殺してしまう。自分が失敗したことに気づいた少年は怯えてオンオンと泣きだす。すると少女は少年に近づき、もうあんなことしちゃダメよと言って肩に手をかけ、咲き乱れる冬椿花のなかに倒れこむ。そのあと何があったのかを作家は読者の想像に任せているが、少女は少年にこんな意味深長な言葉をささやく。「誰にも言っちゃダメよ」。

 

 中学時代に国語の教科書でこの短編を読んだときは、少女の愛に気づかない少年の態度と、そんな少年をいじめるお転婆な少女のふるまいと言葉に大笑いしただけだった。ところがあとで読み直し、もしかしたら少年も少女の気持ちに気づいていたのに、身分の格差のせいで拒絶したのかもしれないと考えるようになった。少女はわりと裕福な小作管理人の娘で、少年はその家に世話になって暮らす貧しい小作農である。少年が少女を避けながら「おれがチョムスン(少女の名前)とコトを起こしたらあの子の家は怒るだろうし、そしたらうちは土地も取り上げられて家も追い出される」と考えていることがこれを裏書きする。

 

 一方、少女の立場からこの小説を読むと、また違った部分が目に入ってくる。少女は少年のためにジャガイモを焼いた。なぜ蒸すのではなく焼いたのか。蒸しジャガイモはまとめて大量に蒸すから作るのが簡単である。ところが焼きジャガイモは少量で焼き、焦がさないよう気を遣わねばならない。つまり、少女は蒸しジャガイモが余ったから少年にあげたのではなく、少年のためにわざわざ焼いたのだ。

 そのうえ、少年が少女のストレートな性格を描写するエピソードで、少女が村の老人たちに「そろそろ嫁に行くころかな」と聞かれて「心配ご無用。行く時がきたらさっさと行くわよ」と答える場面がある。これを少女の立場から見ると、好きな少年が聞いている場所で老人から早く嫁に行けと言われ、行く時がくれば自分で決めて行くと答えることにより、少年に向かってそれとなく、自分はまだ嫁ぎ先がきまっておらず、行く時がくれば自分で選択するという意思を伝えているのだ。

 

 このように金裕貞の「冬椿花」は、少年の立場、少女の立場、大人の立場から読んだとき、それぞれ違った顔をもって読者に近づいてくる。だから今日も金裕貞文学村を訪れるたくさんの老若男女たちは、焼きジャガイモを食べながら、各自の心のなかでそれぞれ違ったツンデレ少女とその彼女のふるまいに当惑する少年の姿を思い浮かべるのである。

 

《鄭基仁》

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著者略歴

  1. 鄭 基仁(ちょん・ぎいん)

    ソウル科学技術大学助教授、東京外大特任准教授を歴任。20~21世紀韓国文学、韓国文化、海外韓国学専攻。著書に『韓国近代詩の形成と漢文脈の再構成』(高麗大学校民族文化研究院、 2020)、共著で『近代思想の受容と変容1』(仙人、2020)、『オデュセウスの航海』(エピファニー、2018)。

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