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インターカルチュラリズム(間文化主義)(『ケベックを知るための56章【第2版】』より)

北アメリカ大陸という強大な英語圏の中のフランス語圏として知られる、カナダ・ケベック州。州内多数派のフランス語話者も国・大陸レベルでは圧倒的少数派であり、英語・英語文化の高い浸透圧はケベックのフランス系の人々にとってアイデンティティの根幹に関わる重要問題であり続けています。多文化共生という時代の要請と、ケベック独自の「フランス系カナダ人の文化」をどう両立すればよいのか――「多文化主義(マルチカルチュラリズム)」の先駆者カナダの一角ケベック州で生み出されたもう一つの考え方、「インターカルチュラリズム」について、『ケベックを知るための56章【第2版】』からご紹介しましょう。それは日本文化が強固な多数派として存在する日本における多文化社会構築においても、示唆に富むモデルだといいます――

インターカルチュラリズム(間文化主義) ~連邦政府の多文化主義に対抗するケベック独自のモデル~

カナダは1970年代から世界に先駆けて「多文化主義(multiculturalism)」を掲げ、多様な文化の共存を図ってきた国として知られる。ただし、ケベック州では「多文化主義」への反感からこの語を避け、代わって「インターカルチュラリズム(フランス語で interculturalisme)」が使われる。

1971年10月にピエール・トルドー首相がカナダ連邦下院で多文化主義の採択を宣言した翌月、当時のケベック州首相ロベール・ブラサはトルドーに書簡を送り、連邦政府の多文化主義に異を唱えた。ケベックの側からすると、英国系とともにカナダの建国に関わった「二大民族」であるフランス系カナダ人を、移民と同じ諸文化集団の一つに貶める試みとして捉えられるからだ。また、多文化主義は様々な文化をバラバラのまま放置し、ゲットー化を招いているようにも映る。もちろん、ケベック州も他州と同様に世界各地からの移民や難民を擁する多民族多文化社会であり、多様性の尊重や、移民支援、反差別等における種々の政策を実施してきている。それらは連邦や他州が推進する多文化主義政策と共通しているものも多い。

同州では70年代に「インターカルチュラル(フランス語で interculturel)」の語が普及し、政治家や知識人らが意識的に「インターカルチュラリズム」に言及するようになったのは、88年に連邦政府により「カナダ多文化主義法」が施行された以降である。つまり、インターカルチュラリズムは、連邦政府の多文化主義への対抗概念として語られてきた側面が強いといえよう。

インターカルチュラリズムの代表的な提唱者として、学界と政策形成の双方において多大な貢献をしてきたのが、ケベック大学シクチミ校の社会学者ジェラール・ブシャールだ。2013年には、インターカルチュラリズムについて包括的に論じた書籍を刊行した(邦訳書は『間文化主義[インターカルチュラリズム]――多文化共生の新しい可能性』彩流社、2017年)。ブシャールによると、連邦の多文化主義モデルは、他州とは異なる歴史的、文化的な特殊性を持つケベック社会にはそぐわないという。

第一に、先述のトルドーによる連邦下院の演説で、カナダには二つの公用語はあっても公用文化はないと述べられたように、多文化主義ではカナダを代表する文化の存在を認めていない。カナダの総人口のうち最も多い英国系でも3分の1に満たず、もはや人口的にマジョリティを構成する民族文化的集団が存在しないからである。それに対してケベック州では、依然として州民の多数派をフランス系が占め、独自の文化が存続しているといえる。第二に、言語に関してもカナダの英語圏とケベック州では大きく事情が異なる。前者では、英語を習得する意義を移民に対して特に強調する必要はない。他方、カナダのみならず、北アメリカ大陸という圧倒的な英語人口の包囲網の中でフランス語を維持しているケベック州では、移民に対してフランス語の習得を政策的に奨励しなければならない。

こうした事情から、フランス語を核とする文化的な連続性と民族文化的な多様化を調和させながら、いかに社会統合を実現していくのかという点が、ケベックのインターカルチュラリズムの優先課題となる。フランス語を重視しているとはいえ、必ずしもマジョリティであるフランス系の文化を不変なものとして固守しようとしているわけではない。フランス語の共有を大前提としつつ、多様な文化が相互交流・対話を重ねる過程で、結果的にマジョリティ自身の文化も変化を受け入れながら独自のケベック・アイデンティティを構築していくことを目指すとされる。


ブシャールがイギリス系の政治思想家チャールズ・テイラーと共同委員長を務めた「文化的差異に係る調整の実践に関する諮問委員会」報告書は、『多文化社会ケベックの挑戦』(明石書店、2011年)として邦訳刊行されている

ブシャールが特に留意することの一つは、多文化主義批判としてもよく聞かれるように、マイノリティの文化に配慮し過ぎるとするホスト社会の側からの不満である。それに対してブシャールは、マジョリティの不安感にも配慮しながら、マジョリティとマイノリティとの関係性にバランスをとる必要があると強調している。特にケベック州の場合、フランス系住民は州内ではマジョリティであっても、カナダ全体ではマイノリティの立場であるため、州内の文化的な多様化に対して自らの社会が脅かされるとする危機感を抱きやすい。したがって、文化集団間の対話と交流による相互理解や、文化的な差異から生じる問題を協議や仲裁によって乗り越えようとする「妥当なる調整」(本書第16章参照)の実践が重視される。

インターカルチュラリズムのモデルはケベックを超えて、欧州評議会をはじめ海外からも注目されるようになっている。ちなみにブシャールは2012年に来日した際に、強固なマジョリティの文化が存在する日本にも、多文化社会を築いていく上でこのケベックのモデルからの示唆が有益ではないかと語っている。なお、インターカルチュラリズムと多文化主義の比較は少なからぬ研究者の関心テーマであり、両モデルが本質的に異なるものなのか、あるいはラベルの違いに過ぎないのかについては様々な見解が存在する。

ところで、第16章にあるように、ブシャールはチャールズ・テイラーとともに「文化的差異に係る調整の実践に関する諮問委員会」の共同委員長を務め、2008年にその報告書(要約版の邦訳書は『多文化社会ケベックの挑戦――文化的差異に関する調和の実践 ブシャール=テイラー報告』明石書店、2011年)を公表した。そこでは、ケベックのインターカルチュラリズムが公式な政策として必ずしも明示されてこなかったことを問題視し、ケベック州政府に対してその定義を明確にするように勧告した。

それから8年後の2016年3月、ようやくケベック州政府は政策声明『共に、私たちはケベック』の中で、インターカルチュラリズムの定義について、ケベックの多元的でダイナミックなアイデンティティ、公的に使用する共通言語としてのフランス語、人権と自由の尊重、差別の克服、対話と和解を通じた対立への解決アプローチ、そして移民とホスト社会の間での義務の共有に基づく統合を重んじるものと明記した。しかしながら、連邦の多文化主義のように法的ないしは制度的な確固たるステイタスを持つには至っていない。

他方で近年、勤務中の公務員に宗教的なシンボルの着用を禁止する法律の制定(本書第17章参照)や、先住民の精神世界を含む多様な宗教文化を学ぶために2008年に導入された小中学校の必修科目の廃止(本書第34章参照)など、ブシャールをはじめとするインターカルチュラリズムの推進派にとって懸念される事態も起こっている。今後の動向が注目されよう。

(飯笹佐代子)

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著者略歴

  1. 飯笹 佐代子(いいざさ・さよこ)

    青山学院大学総合文化政策学部教授。日本カナダ学会理事、オーストラリア学会理事など。多文化社会論(カナダ・豪州を中心に)。主な業績に『シティズンシップと多文化国家――オーストラリアから読み解く』(日本経済評論社、2007年、大平正芳記念賞)、『現代カナダを知るための60章【第2版】』(分担執筆、明石書店、2021年)、『多文化社会ケベックの挑戦』(共訳、G. ブシャール、T. テイラー編、明石書店、2011年)。

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