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デジタル社会は立憲主義の夢を見るか?

あるサイバー・リバタリアンが見た夢の果て?(2)

首尾一貫とした体系性がないにもかかわらず、デジタル空間を設計するエンジニアや制度設計者らに多大な影響を及ぼしてきた「サイバー・リバタリアニズム」。前回は、その思想が夢見た改革案と限界について見てきた。今回は、サイバー・リバタリアニズム思想から強い影響を受け登場した政策としての「デジタル自由主義」について、アメリカの法制度を確認しながら、その有効性と課題を概観していく。(編集部)

 

デジタル自由主義

 デジタル立憲主義論の代表的論者の1人であるジョバンニ・デ・グレゴリオは、EUのデジタル政策の展開を、①デジタル自由主義(digital liberalism)→②司法積極主義(judicial activism)→③デジタル立憲主義(digital constitutionalism)の各段階に区分している(下記の図も参照)[1]。グレゴリオによる各段階の特徴の整理は、EUの法制度・政策を素材になされたものであるが、この区分自体は他国の法制度・政策を評価する際の視点としても利用できるだろう。たとえば、現在のEUは司法積極主義(欧州司法裁判所による基本的権利の保護を重視した司法判断の展開)の段階を経て、デジタル立憲主義の段階に至っているが、アメリカ合衆国は現在でもデジタル自由主義を採用しているとされる[2]

図 デジタル政策の段階

 

 このうち、2000年代中頃まで展開していたデジタル自由主義は、事業者等の私的アクターの経済的自由及び表現の自由の保障を強調しており、自由市場をベースとし、国家権力がデジタル空間に極力干渉しないことを特徴とする。つまり、デジタル空間の規律の大部分を事業者の自主規制に委ねるアプローチといえる[3]

 このデジタル自由主義のアプローチの背後には、サイバー・リバタリアニズムの影響がある[4]。第2回で確認したバーロウの独立宣言は、サイバースペースに対する国家介入を批判し、サイバースペースの問題はセルフ・ガバナンス――「自主規制」と言い換えて差し支えないだろう――で対応すべきだと主張していたことを思い出して欲しい[5]

 今回は、デジタル自由主義段階における法制度の特徴について考察していく。ただし、本稿では、デジタル自由主義段階のEU法について詳述するわけではない[6]。後述する理由から、この段階の法制度の具体例としてはアメリカ合衆国の法制度を取り上げる。

 

デジタル自由主義段階の法制度の具体例

 グレゴリオはEUにおけるデジタル自由主義段階を特徴づける法制度として、コンテンツに関する電子商取引指令[7]と、データ保護に関するデータ保護指令[8]を挙げている[9]。ここでは主に、コンテンツに関する領域を取り上げることにしたい。

 コンテンツに関する領域で焦点となるのが、第三者の作成した情報を媒介する「プロバイダ」[10]の責任制限に関する法制度である。プロバイダは、自身のサービス上に名誉毀損等の違法な情報を削除することなく放置した場合、権利を侵害された者から不法行為による損害賠償を請求される可能性がある。同時に、違法ではない情報をプロバイダが削除した場合、当該情報の発信者から債務不履行(利用者が発信した情報を配信するという債務の不履行)を理由に損害賠償を請求される可能性もある。この2方向の責任が厳格に求められた場合、プロバイダは数多の訴訟リスクを抱え、事業を展開することが極めて困難になるだろう。こうした背景から1990年代後半から2000年代にかけて、アメリカ合衆国、EU、そして日本[11]では、プロバイダの責任を制限する法制度が構築されていくことになる。

 EUでは、2000年に策定された電子商取引指令がこの仕組みを法定することになるが、電子商取引指令は、先行していたアメリカ合衆国の通信品位法230条[12]とデジタルミレニアム著作権法512条[13]の影響を受けている。とりわけ、通信品位法230条はデジタル自由主義の特徴をよく表しており、デイビッド・ゴルンビアが、「アメリカ合衆国における、サイバー・リバタリアニズムの支持は、1996年の通信品位法の230条を中心に活発化している」と言うように[14]、この規定は、サイバー・リバタリアニズムの「思想」にとっても重要なものとみなされている。さらに、現在の巨大デジタルプラットフォーム事業者(以下、「DPF事業者」)がアメリカ合衆国に拠点を持つことも踏まえ、ここでは、アメリカ合衆国の通信品位法230条を具体例として扱うことにしたい。

 

通信品位法230条 

 バーロウの独立宣言は、インターネット上のわいせつ表現を規制する通信品位法に反対することを直接の動機として執筆されたものであった。そして、この法律の大部分は連邦最高裁によって違憲とされた[15]。ここまでは第2回で見た通りである。しかし、興味深いことに、連邦最高裁によって違憲とされなかった通信品位法の230条は、むしろ、デジタル自由主義を象徴するような法制度となっていた[16]

 通信品位法230条は、第三者が作成したコンテンツを媒介するプロバイダの負う責任の制限を規定している。上述したようにプロバイダは、2方向からの責任を負う可能性があるが、通信品位法230条は、①プロバイダに発行者(publisher)としての責任を免責し、②自主的に誠実に情報の削除等をしたとしても、その免責は失われない、と規定した[17]。なお、アメリカ法における発行者とは、「情報の内容が編集でき」、「情報の伝達について、原則として責任を負う」ものを指し、新聞社や出版社が典型例である[18]。また、②のような規定を置いた背景として、プロバイダが提供するサービスが慎重にコンテンツの削除等を行っている場合、発行者となる位置づけ、サービス上に残った名誉毀損コンテンツに関する厳格な責任を負うとした州裁判所の判決[19]があったからである。つまり、プロバイダがコンテンツの管理を行っていない場合、自身のサービス上で違法・有害なコンテンツを流通させたとしても責任を問われないが[20]、誠実に違法・有害なコンテンツを削除しようとした場合で、かつ、プロバイダが削除ミスをした場合(膨大な量のコンテンツを扱うことになるプロバイダが削除ミスをしないことは事実上不可能である)、プロバイダの責任が問われる、ということである。通信品位法230条はこの状況を打開する意味もあった。

 230条の主要な規定は、上記①②を定めるものであったが、その後、アメリカ合衆国の裁判所は、通信品位法230条を拡大解釈し、プロバイダに対して非常に広範な免責を与えている。たとえば、プロバイダは違法なコンテンツが自社のシステム上に存在することを知っていたにもかかわらず、当該コンテンツを削除しなかった場合にも、免責されるという解釈である[21]。アメリカ法では、「情報の内容を知ることができるが、その内容を編集することができない」ものを頒布者(distributer)と呼び、頒布者は、「情報の内容が違法であることを知っていたときのみ、その情報の流通に責任を負う」[22]とされている。この典型例は、書店や図書館である。つまり、アメリカ合衆国の裁判例からは、プロバイダに頒布者としての責任も免責している。

 このような免責の法的仕組みこそ、SNSのようなサービスを運営するDPF事業者が成長することを強力にサポートしたといえるだろう。免責の法的シールドがなければ、膨大な量の第三者が作成したコンテンツを扱う、とりわけ初期のGoogleやFacebookは、無数の名誉毀損訴訟等から生き残ることが難しかった可能性が高い[23]

 こうしてみると、デジタル自由主義段階における国家の法制度は、単にデジタル空間に関与しなかったわけではなく、むしろ、デジタル空間あるいはデジタル技術やサービスを扱う事業者が、円滑に事業を展開し成長するのをサポートするように構築されていたといえるだろう。

 

DPF事業者の自主規制

 国家は、オフラインの世界でコンテンツの内容規制を行う場合がある。名誉毀損やわいせつに関する表現(コンテンツ)は法律によって規制されている。インターネット空間においても、こうしたコンテンツの内容規制がなくなるわけではなく、コンテンツの作成者は、国家の法によって直接規律されている。

 他方、デジタル自由主義段階の国家の法が、プロバイダに上記のような免責を与えたことで、結果として、SNSなどを運営するDPF事業者は、自身の提供するサービスに流通するコンテンツをコントロールする広範な裁量を手にした。すなわち、SNS事業者は、利用規約やコミュニティガイドライン等(以下、「ガイドライン等」)の形でルールを策定し[24]、当該ガイドライン等に違反するコンテンツを投稿した場合、コンテンツの削除、アカウントの停止・削除等の対処を行っている。こうした事業者自身によるコンテンツの管理はコンテンツ・モデレーションとも呼ばれる。

 これは、自主規制の一類型といえる。自主規制とは、立法・行政・司法などの国家権力による規制ではなく[25]、個人または事業者が任意に自らが提供する製品やサービスに対して実施する規制のことである[26]。事業者が自主規制を行うインセンティブは様々であるが、①競争上有利な地位の確保、②公権力による将来的な規制の回避、③社会的圧力、④企業理念の実現、⑤サービスの質向上などが挙げられる。

 また、事業者の自主規制には国家による規制とは異なるメリットもある。たとえば、㋐国家がプロバイダに対して直接コンテンツ規制を行うことは、表現の自由などの観点からの懸念があるが、自主規制はこの点を回避しうる[27]。つまり、国家による直接規制の場合、国家は、当該規制が必要な根拠と憲法上の権利――コンテンツ規制との関係では主に表現の自由――に対する制約の有無・程度を衡量して規制を策定しなければならないが、自主規制であれば、この負担を回避できる。㋑国家とDPF事業者の間には専門的・技術的知識に非対称があり、技術的知識をもち、かつ提供するサービスに精通している事業者による規制の方が、国家による規制よりも実効性が高い[28]。㋒インターネットはその性質上、容易に国境を越えうるため、国家法では規律が及び難い側面があるが、自主規制であれば、国家法の及ぶ範囲に拘束されない[29]。㋓国家が規制を行うことでイノベーションが阻害される――「新たな技術開発への萎縮効果を生じる」[30]――可能性があるが、自主規制の場合はその懸念を抑制できる。

 なお、自主規制の類型としては、上記のようにDPF事業者が個別に実施するものだけでなく、業界団体を介した、あるいは、関連アクターの協働によって行動規範が策定される場合などもある。

 

デジタル自由主義の限界

 以上の簡単な検討からでも、デジタル自由主義の段階においては、国家は事業者の自由を尊重する形で法制度を整備し、事業者は手にした広範な裁量を前提に自主的なルールを構築していったことがわかるだろう。

 もちろん、こうしたアプローチに直ちに問題があるというわけではない。上記のようなメリットがあるだけでなく、自主規制による問題の改善もなされうる。たとえば、ヤフコメ(Yahoo!ニュースのコメント欄)は、かつて頻繁にその「民度」が取り上げられていたが、コメント欄への投稿時に携帯電話番号設定の必須化[31]、独⾃AI「コメント多様化モデル」の導⼊[32]や、独自AI「コメント添削モデル」の導入[33]などの取り組みによって、状況が改善されつつあることが報告されている。

 しかし、こうした自主的な取り組みをどの程度行うかは、結局のところ、字義通り、各事業者に委ねられることになり、その対応レベルにバラツキが生じることになる。生じている問題が深刻なものであれば、自主規制に委ねることには限界があるといえるだろう。

 たとえば、SNS上の偽情報の拡散について、2020年2月に公表された「プラットフォームサービスに関する研究会」(総務省、宍戸常寿座長)の『最終報告書』では、次のように、基本的な対策の方向性を事業者の自主規制に求めていた[34]

 

我が国における偽情報への対応の在り方の基本的な方向性としては、まずはプラットフォーム事業者を始めとする民間部門における関係者による自主的な取組を基本とした対策を進めていくことが適当である。/政府は、これらの民間による自主的な取組を尊重し、その取組状況を注視していくことが適当である。特に、プラットフォーム事業者による情報の削除等の対応など、個別のコンテンツの内容判断に関わるものについては、表現の自由の確保などの観点から、政府の介入は極めて慎重であるべきである(35-36頁、下線部は筆者による。)[35]

 

 だが、2024年9月に公表された「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」(総務省、宍戸常寿座長)の『とりまとめ』では、次のように述べられていることに注目するべきである。

 

本検討会におけるプラットフォーム事業者ヒアリングの結果を踏まえると、デジタル空間における情報流通の適正化や利用者の表現の自由の確保に向けた情報伝送PF事業者による取組として、我が国国内における偽・誤情報の流通・拡散への対応状況(情報の削除等)を含む取組状況に関する透明性・アカウンタビリティの確保は総じて不十分であり、取組状況そのものについても全体として十分とは言えない。事業者団体による偽・誤情報対策に関する自主的な行動規範の策定に関する議論が白紙に戻り中断されていることにも鑑みると、情報伝送PF事業者による自主的な取組のみには期待できない状況であり、新たな具体的な対応が必要である(85頁、下線部は筆者による。)[36]

 

 自主規制による対応では不十分であり、国家による「制度整備」も含めた、新たな対策の必要性が指摘されるに至っている。SNSで拡散される偽・誤情報は、「民主主義の前提となる表現の自由の基盤が脅かされ、また、権利侵害や社会的混乱が発生する等、実空間に影響を及ぼす課題」とされる[37]。このような課題に対しては、事業者によってバラツキの生じる自主規制による対応だけではなく、国家による法的な規制も必要となるだろう。事業者が協働して自主規制を行う行動規範型などの類型であれば、自主規制によるバラツキは回避できる可能性もあるが[38]、憲法学者の長谷部恭男による次のような指摘もまた考慮する必要がある。

 

大国の政府に匹敵する私的権力を行使するこうした巨大企業は、新たに出現したリヴァイアサンである。彼らが創出する基本構造や約款の枠組みは、租税回避行動と同様、彼らの利潤最大化を目指すものであって、それが利用者の利益と合致する保証はない。サイバー空間で多様な主体が相互作用する自生的プロセスが、「見えざる手」を通じて人々の基本権の十全な行使を実現するという想定は、単なる願望思考である(下線部は筆者による。)[39]

 

 しかし、国家による法規制を行うのであれば、国家による過剰な介入には歯止めが必要である。その一方で、国家に匹敵しうる力を持つに至った巨大DPF事業者の影響力を踏まえ、国家による規制を実効的にするためにどのような制度設計を行うべきかを検討する必要もあるだろう。こうした課題こそが、本連載の主題でもある「デジタル立憲主義」と呼ばれる研究潮流において扱われる中心的課題の一つなのである。

◆第3回 終わり


[1] Giovanni De Gregorio, Digital Constitutionalism in Europe: Reframing Rights and Powers in the Algorithmic Society (Cambridge University Press, 2022) 40. もちろん、各段階への移行は特定の時点を境にはっきりと観測できるわけでなく、漸進的なものであるが、図式的に特徴を掴むうえでは有益な区分である。

[2] Gregorio, supra note 1 at 288. グレゴリオは、アメリカ合衆国のアプローチを異なったモデルのデジタル立憲主義と呼ぶが、そう整理することの妥当性については留保したい。

[3] Gregorio, supra note 1 at 41-44.

[4] Giovanni De Gregorio, “The rise of digital constitutionalism in the European Union” (2021) 19 International Journal of Constitutional Law 41, 44; David Golumbia, Cyberlibertarianism: The Right-Wing Politics of Digital Technology (University of Minnesota Press, 2024) 147.

[5] この立場を支持する法学者もいた。e.g. David R. Johnson & David Post, “Law and Borders: The Rise of Law in Cyberspace” (1996) 48 Stan. L. Rev. 1367.

[6] EU法の詳細については、生貝直人「プロバイダ責任制限法制と自主規制の重層性――欧米の制度枠組と現代的課題を中心に」情報通信政策レビュー2号(2011年)E1頁以下を参照。

[7] Directive 2000/31/EC of the European Parliament and of the Council of 8 June 2000 on certain legal aspects of information society services, in particular electronic commerce, in the Internal Market, 2000 O.J. (L 178) 1.

[8] Directive 95/46/EC of the European Parliament and of the Council of 24 October 1995 on the protection of individuals with regard to the processing of personal data and on the free movement of such data, 1995 O.J. (L 281) 31.

[9] Gregorio, supra note 1 at 44 - 52.

[10] 扱うサービスや各国の慣習、法令用語によって呼び方は様々だが、本稿では便宜的に「プロバイダ」に統一する。

[11] 日本の法律は「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」(通称:プロバイダ責任制限法)である。なお、この法律は、2024年の改正によって、名称も変わり「特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律」(通称:情報流通プラットフォーム対処法)となった。

[12] Communication Decency Act, 47 U.S.C. § 230.

[13] Digital Millennium Copyright Act, 17 U.S.C. § 512. 後述するように、通信品位法230条は第三者の作成した情報を媒介するプロバイダの責任を制限する法制度である。通信品位法230条は、著作権について例外としていたため、著作権に関する免責枠組みをデジタルミレニアム著作権法が規定している。この法律による免責の仕組みはいわゆるノーティスアンドテイクダウンと呼ばれるものである。これは、「『……プロバイダのサービス上に違法なコンテンツが掲載されているという通知(notice)を受けた際に、該当するコンテンツを削除する(take down)』対応を行えば、プロバイダ自身は利用者が行った違法行為について損害賠償等の責任を問われないという責任制限のプロセス」を指す(生貝・前掲注6)E2頁)。EUの電子商取引指令は、通信品位法230条と合わせて、デジタルミレニアム著作権法の仕組みからも影響も受けている。

[14] Golumbia, supra note 4.

[15] Reno v. American Civil Liberties Union, 521 U.S. 844(1997).

[16] 230条の立法経緯は、通信品位法の主要部分とはやや異なる。この点については、230条の「伝記」とも呼ばれる、ジェフ・コセフ(小田嶋由美子訳、長島光一監修)『ネット企業はなぜ免責さるのか』(みすず書房、2021年)などを参照。

[17] 47 U.S.C. § 230 (c).

[18] 曽我部真裕=林秀哉=栗田昌裕『情報法概説〔第2版〕』(弘文堂、2020年)185-186頁(栗田昌裕)。

[19] Stratton Oakmont, Inc. v. Prodigy Services Co., WL 323710 (N.Y. Sup. Ct. 1995).

[20] Cubby, Inc. v. CompuServe, Inc., 776 F. Supp. 135 (S.D.N.Y. 1991).

[21] Zeran v. Am. Online, Inc., 129 F.3d 327 (4th Cir. 1997).

[22] 曽我部ほか・前掲注18)。

[23] Jack M. Balkin, “Old-School/New-School Speech Regulation” (2014) 127 Harv. L. Rev. 2296, 2313. なお、アメリカ合衆国においても、通信品位法230条の広範な免責を問い直す動きが拡大している。この点については、別稿で論じたので参照いただきたい。山本健人「通信品位法230条とプラットフォームの媒介者責任」ネクストコム63号(2025年9月公刊予定)。

[24] たとえば、YouTubeのコミュニティガイドラインでは、スパムや詐欺行為、センシティブなコンテンツ、暴力的または危険なコンテンツ、誤情報などのカテゴリー別にルールを定めている。YouTube Community Guidelines

[25] 中川丈久「消費者行政における非権力的手法の展開――公表と自主規制はなぜ使われるのか」都市問題112巻2号59頁。

[26] 自主規制に関する公法的分析については、原田大樹『自主規制の公法学的研究』(有斐閣、2007年)が詳しい。

[27] 原田・同上231頁等も参照。

[28] ただし、国家が詳細な技術的知識を欠くことは、規制ができない理由とは必ずしもいえないと指摘するものとして、田中美里「オンライン・プラットフォームとその民主的統制の可能性」法学館憲法研究所Law Journal 30・31号(2024年)126頁を参照。

[29] 原田・前掲注26)231頁。

[30] 千葉恵美子編『デジタル・プラットフォームとルールメイキング』(日本評論社、2023年)220頁(稲谷龍彦?)。

[31] ヤフー株式会社「メディア透明性レポート(2022年度)」

[32] LINEヤフー株式会社「メディア透明性レポート(2023年度)」

[33] LINEヤフー株式会社「メディア透明性レポート(2024年度)」

[34] 国家が自主規制を「求めている」ことに関連し、個人や企業の純然たる自主規制ではないような、自主規制もある。たとえば、NHKと日本放送連盟により設置されたBPO(放送倫理・番組向上機構)は放送業界の自主規制機関であるが、同機構の設立の背景には、旧郵政省による行政指導が関わっている。原田・前掲注26)37-38、233頁を参照。

[35] [https://www.soumu.go.jp/main_content/000668595.pdf].

[36] [https://www.soumu.go.jp/main_content/000966997.pdf]. なお、ここでいう「情報伝送PF事業者」とは、「SNS、動画投稿・共有サービス、検索サービス、ブログ・掲示板サービス、ニュースポータルサービス等、インターネット上で第三者が投稿等発信したコンテンツ(文字、画像、映像、音声等)やデジタル広告を不特定の者が閲覧等受信できるように伝送するプラットフォームサービス」のことを指す(7頁)。

[37] 同上5頁。

[38] もっとも、EUでは、2018年にEU委員会の呼びかけの下、DPF事業者などによって、「偽情報に対する行動規範(the Code of Practice on Online Disinformation)」が策定されていたが、後に改善の必要性がEU委員会によって指摘され、2022年に行動規範が改訂された。その上、DPF事業者に様々な義務を課すデジタルサービス法の策定へと展開している。また、Twitter社(現X社)は、当初行動規範に参加していたが、イーロン・マスクに買収された後、行動規範から離脱している。

[39] 長谷部恭男「グローバル立憲主義の可能性」けいそうビブリオフィル(2024年10月1日)(注は省略した)。ここでは、巨大企業として、「地球規模のサイバー空間で活動するマイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾン等の巨大多国籍企業」が念頭に置かれている。

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著者略歴

  1. 山本 健人(やまもと・けんと)

    現職:北九州市立大学法学部准教授/慶應義塾大学KGRI訪問准教授/東京大学みらいビジョン研究センター客員研究員
    慶應義塾大学大学院 法学研究科 公法学専攻後期博士課程単位取得退学、博士(法学)。
    主な著書に、『承認と対話の憲法理論―法の下の宗教的多様性』(ナカニシヤ書店、2025年)共著として石塚壮太郎編『プラットフォームと権力―How to tame the Monsters』所収「デジタル立憲主義―怪獣たちを飼いならす」(慶應義塾大学出版会、2024年)など。また主な論文に「デジタル立憲主義と憲法学」(情報法制研究、2023年)、「デジタル立憲主義と情報空間の立憲化」(法律時報、2024年)、「デジタル技術による政治的コミュニケーションの変容と憲法―カナダにおける多面的アプローチ」(比較憲法学、2024年)など。

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