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アメリカの中学生と核について考えてみた

第1回 核についての授業の始まり~ティーチ・ニュークリア・ヒストリー・プロジェクト(TEAACH Nuclear History Project)~

『ヒロシマ』が何十冊もゴミ箱に!

2019年7月、教育ニュースサイトChalkbeat(チョークビート)のシカゴ版にある記事が掲載されました。それは公立高校のゴミ箱に、状態のよい本が大量に捨てられており、その是非をめぐってオンライン上で論争が起きているという内容でした[1]

2013年以降、教育行政の予算削減のあおりを受け、ほとんどのシカゴの公立学校には司書がおらず図書室が機能していません[2]。そのため、物置と化してしまった図書室を整理し、ただでさえ限られた資源を有効に使いたいという学校側の事情が廃棄の原因なのですが、これは公立教育をとりまく構造的問題でもあります。電子書籍やPDFファイルの普及もこの判断を後押ししたことでしょう。同時に、公立学校に通う7割以上は低所得家庭の生徒たちで、本を買いたくても買えない状況にあります[3]。こうした生徒の目の前で、良質な本をゴミ箱に捨ててしまうという判断の倫理性を問う声が上がるのも当然でしょう。無料で配布するとか、寄付するとか、もっと他の方法があったのではないかと、多くの人々がこの件に疑問を抱きました。

捨てられていた本はもともとは授業で使われていたもののようでした。教科書無償配布制度がないアメリカでは、教科書は通常学校が購入し生徒に貸し出します。また英語の授業では、日本の「国語」のように読解や文法などがまとめられた教科書はなく、その都度文学作品や論文などをとりあげることが一般的です。このため学校には同タイトルの本が沢山保管されています。記事によると捨てられていたのは2つの作品でした。1つはF・スコット・フィッツジェラルドの小説『華麗なるギャツビー』、もう1つはジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』です。6人の広島の被ばく者[4]の証言を元にしたこの作品は、1946年にニューヨーカー誌に発表されるやいなや大きな反響を呼び、現在でももっとも重要な20世紀のジャーナリズムの一つとみなされています[5]。かつては教科書として使われていたであろう『ヒロシマ』が今はもう必要とされていない、学校では教えなくなっているということに私たちは深く失望しました。

実際、20年前には、大学の教室において40人いたら3分の2以上は高校で「ヒロシマ」を読んでいた学生がいたものですが、現在では1人いるかいないか、ハーシーの名前、あるいは「ヒロシマ」のことを知る学生も激減しています。

ただ、実は私たちにとってそれよりももっとショックだったのは、その2つの作品がそれぞれ何十部とゴミ箱に無造作に投げ込まれている写真でした。そしてこのゴミ箱は、大人2人が楽に寝そべられるほどの幅と大人の背丈ほどもある高さのサイズなのです!『華麗なるギャツビー』も『ヒロシマ』も電子版がありますから、もしかしたら電子版を使って現在でも教えているという可能性はあります。しかし、たとえそうであったとしても、被ばく者一人ひとりの個人的な体験を記録した『ヒロシマ』という本の大量廃棄は、まるで被ばく者という存在そのものがなかったことにされているようで、胸が締め付けられる思いがしたのです。

大量に廃棄されたハーシーの『ヒロシマ』(Chalkbeat Chicago)

 

「ヒロシマ」が読まれなくなっているだけではなく、アメリカでは人的被害の写真などを教育の場で見る機会がありません。大学では核が我々を守っているとする核抑止論が教えられ、時には原発を「クリーンでグリーン」だと教えるセミナーもあります。こうした核をめぐる意識の根本にある問題が、「ヒロシマ」の大量廃棄写真をきっかけに見えてきました。そこでアメリカの核意識を日頃から憂いていた大学教員が集まり、シカゴの公立学校の教員と協力して中学から核の授業をしてみよう!として始まったのが、このプロジェクト、TEAACH Nuclear History Project (核の歴史教育プロジェクト)(旧 Paper Crane Project:折り鶴プロジェクト)なのです。

 

「正統」なアメリカ史とは?

中高校生に核の歴史を教えようというアイディアを後押ししてくれたのは、歴史教育をめぐるアメリカでの状況の変化でした。警官によるジョージ・フロイド暴行死事件をきっかけに高まったブラック・ライブズ・マター(BLM)運動は、アメリカ社会がいかに構造的な人種差別の上に成り立っているかを人々に再認識させました。

たとえばスピード違反で警察に捕まった場合、通常は免許証や車両保険を調べられ、違反切符を受け取ったあと解放されるのが一般的です。しかしもし捕まったのが黒人だった場合、この「普通の」プロセス通りにことが進むか、100%の確信をもてないのがアメリカ社会の現状なのです。免許証を出すためにポケットに手を入れたら銃を出すと疑われたとか、少し不満を口にしたら反抗的とみなされたとか、ほんのささいなこと、しかもその多くは偏見による思い込みから、あっという間に状況がエスカレートし、手錠をかけられる、逮捕される、最悪射殺されてしまうという事件が実際起きています。全ての人間が平等であるべきなのに実はそうではない。現実の不平等に対し、「黒人の命は(白人の命と同じように)大切だ」と訴えるのがBLM運動なのです。

構造的差別への批判的な眼差しは、アメリカという国の歴史にも向けられ始めました。クリストファー・コロンブスはアメリカ大陸の「発見者」として讃えられてきましたが、それはヨーロッパ中心主義的・白人至上主義的な捉え方であり、実際には先住民を虐殺し、彼らの土地を侵略・略奪したという認識が広まってきました。それを受けて2020年の夏にはアメリカ各地でコロンブスの銅像が撤去・破壊されたり、多くの州や地方自治体で「コロンブス記念日」が「先住民の日」に改名されたりしています。2021年にはバイデン大統領が「先住民の日」を認める宣言もしています。

倒されたコロンブス像。後ろに「白人至上主義を終わらせよう」のサインが見える。(Native News Online)

 

また、プロ野球チーム、クリーブランド・インディアンズは、2022年から先住民をモチーフにしたマスコットキャラクターの使用をやめ、名称もクリーブランド・ガーディアンズに変更しました。さらに建国の父の一人、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンについても、奴隷牧場主であったジャクソンの人種差別主義者としての側面がより問題視されるようになりました。この影響でシカゴ[6]やフィラデルフィア[7]などでは彼の名前を冠した学校の名称が変更されました。このように奴隷制度に加担した人の像[8]や、人の名を冠した施設は、多くが撤去、改名を迫られました。

国の「正統な」歴史・物語を見直すこうした動きの中で、広島・長崎への原爆投下をめぐるアメリカの一般的な言説も変えていけるのではないか、と私たちは考えました。2発の原爆は戦争の終結を早め、結果として「多くの命を救った」として、アメリカでは長い間正当化されてきました。しかしコロンブス像が倒れたように、原爆投下も間違いだったという認識に変わっていく時期にあるのかもしれません[9]

思想的・学術的な流れに加えて、シカゴのあるイリノイ州では法制度の変化もありました。2021年、州内全ての公立学校でアジア系アメリカ人の歴史を教えることを義務付ける「アジア系アメリカ人の歴史を公平に教えることに関する法律」(Teach Equitable Asian American Community History Act、通称TEAACH Act)が、全国で初めて制定されたのです[10]。この法律の背景には「黄禍論」などに見られる歴史的なアジア人に対する差別・偏見に加え、コロナ禍以降相次いだアジア人への暴力事件などへの問題意識があります[11]。アジア系アメリカ人の歴史もまたアメリカの「正統」な歴史・物語から除外され続けてきた人々の歴史の一つです。

核の歴史はアジア人だけに限られるものではありませんが、広島・長崎の朝鮮半島出身被ばく者、アメリカに移民した親により日本へ送られたアメリカ生まれの日系アメリカ人被ばく者、核実験の被害者となった太平洋諸島など、アジアとそれを囲む太平洋諸国の複雑な歴史と密接に関わっています。TEAACH Actの制定により、私たちが提案する核の歴史の授業を学校教育に取り入れやすくなるだろうとも考え、プロジェクト名をTeach という普通の綴りではなく 「TEAACH Nuclear History Project」 としました。

 

シカゴの公立学校で核の歴史を教える意義

アメリカには、日本の学習指導要領のような全国統一のカリキュラムが存在せず、各州が教育基準を定めます。基準に沿えば授業の内容は各学校、教師の裁量に大きく左右されるところもあり、その点では私たちが提案するような新しいカリキュラム案も柔軟に取り入れてもらえる可能性があります。

しかし公立学校は予算削減により教員の負担が増大しており、現場はそれどころではないという実情があります。私立の学校であればもっと余裕があり、こういう実験的な取り組みもストレスなく試しやすいでしょう。それでも私たちは公立学校で教えることにこそ意義があると考えました。

先述したようにシカゴ公立学校のシステムでは生徒の7割以上が低所得層、また人種的には35%が黒人、45%がヒスパニックで、白人は10%しかいません[12]。一方、シカゴ市全体の人種構成は白人、黒人、ヒスパニックそれぞれ約30%であり、貧困率は17%です[13]。このことから、いかにマイノリティ、社会的に弱い立場にある子供たちが公立学校に集中しているかがわかります。

アメリカにおけるメインストリームではないマイノリティの子どもたちは、生まれた時から日常的に差別や社会的不正義を経験しています。そのような背景を持つ生徒たちだからこそ、核の問題に根本的に内在している植民地主義、人種差別、ナショナリズムなどに直感的に気づくことができるだろう、とも思いました。それにより、核の問題をどこか遠くの国の昔の出来事とか、「国際政治」「安全保障」といった抽象的な概念としてではなく、自分の体験してきたことや身の回りに起きていることと直結している問題として考えることができるはずです。だからこそ、このカリキュラムは社会正義の視点を重視し、公立学校で教えることが重要だと思ったのです。

 

核を考えることは差別を考えること

2020年8月5日、哲学者のエレイン・スカリーは「核の構造における人種差別的基盤」と言うエッセイを発表しました[14]。黒人の人たちが受けてきた長く凄惨な差別と、核による差別を同一視しているかのような点は問題ですが、「(人種)差別なしには核の構造は成り立たない」という彼女の主張は、核の倫理を考える上で重要だと思われます。

そして前述した「植民地主義、人種差別、ナショナリズム」の問題は日本も例外ではありません。このような「核の構造」以前から存在する差別に、核による被害が上乗せされていくのです。例えば、なぜ3万[15]から4万5千人[16]と推測される朝鮮半島出身者が1945年8月6日に広島で被ばくしたのか。彼らの補償はどのような道筋を辿ったのでしょうか。折しも、核問題の認識を広めるための契機となりうる2024年のノーベル平和賞の日本原水爆被害者団体協議会(被団協)への授与は、意図せずして核による被害を、1945年以降の「日本」、あるいは「広島・長崎」といった限定された領域に留める印象を与えてしまいました。

アメリカでは人種差別の問題として、誰がウランを採掘・運搬・精製し、誰がその恩恵を受け、誰がゴミを引き受けるのかといった問題が語られることが多いのですが、核産業における差別は人種や民族による差別だけに収斂されるものではありません。また差別により教育・経済格差が広がり、そのために経済的・社会的な苦境に立たされた地域が核産業の受け皿となることが、アメリカ以外でも起きていないとは言えません。例えば原発立地や核廃棄物の候補地などは、社会歴史学者の山内明美の言うところの「国内植民地」と見なされている地域に偏ってはいないでしょうか[17]。こうした状況を見つめ、核兵器と原発を原子力・核エネルギーの問題として同時に議論しようとするところから、わたしたちのプロジェクトは始まりました。

ワシントン州の核施設ハンフォードのベッドタウンであるリッチランド市、リッチランド高校の校舎の壁。きのこ雲を模した校章が校内のいたるところに見られる。原爆投下を正当化するアメリカの核認識が表れている。

 

2021年のプロジェクトの始まりから4年間、時には壁に当たり、時には手応えを感じ、様々な紆余曲折がありました。そうした私たちの試行錯誤を共有することで、日本における核の教育と呼応できるものがあればと思い、この連載を始めました。次回は1年目の授業で使った教育法と、うまくいかなかったことなどをお話したいと思います。

 

TEAACH Nuclear History Project (宮本ゆき、小嶋亜維子、ローラ・グラックマン、サラ・ローゼンガード、アンブリア・テイラー)

【公式サイト】

https://www.teaachnuclearhistory.com/

 

【注】

[1] Henderson, Catherine. “Should School Libraries Toss Old Books? Viral Photo of a Chicago Dumpster Prompts Heated Debate on Social Media.” Chalkbeat, Chalkbeat, 3 July 2019, www.chalkbeat.org/chicago/2019/7/3/21108448/should-school-libraries-toss-old-books-viral-photo-of-a-chicago-dumpster-prompts-heated-debate-on-so/.

[2] Kapp-Klote, H. “Advisory: CTU Educators Rally to Demand a Librarian in Every Chicago School.” Chicago Teachers Union, November 7, 2024. https://www.ctulocal1.org/posts/advisory-ctu-educators-rally-to-demand-a-librarian-in-every-chicago-school/.

[3] “Demographics.” Chicago Public Schools. Accessed January 7, 2025. https://www.cps.edu/about/district-data/demographics/.

[4] 通常「被爆者」と表記されますが、被爆者は「爆」弾による被害だけではなく被「曝」の被害も受けていることを強調するため「被ばく者」と表記します

[5] Barringer, Felicity. “Journalism’s Greatest Hits: Two Lists of a Century’s Top Stories.” The New York Times, March 1, 1999. https://www.nytimes.com/1999/03/01/business/media-journalism-s-greatest-hits-two-lists-of-a-century-s-top-stories.html.

[6] Issa, Nader. “CPS School to Remove Andrew Jackson, Former President and Slaveholder, from Its Name.” Times, May 24, 2021. https://chicago.suntimes.com/education/2021/5/24/22451723/cps-andrew-jackson-language-academy-chicago-world-agassiz-little-italy-near-west-side.

[7] Stamm, Dan. “Fanny Jackson Coppin’s Name Replaces Andrew Jackson’s at South Philly School.” NBC10 Philadelphia, June 25, 2021. https://www.nbcphiladelphia.com/news/local/andrew-jackson-school-jackson-coppin-name-change/2859701/

[8] 例えば、南北戦争において南部連合軍の首都とされたヴァージニア州のリッチモンドにあ理、長らくランドマークだったロバート・E・リー将軍の銅像の撤去(2021年9月8日)など、リー将軍の銅像撤去も相次ぎました。Sarah Rankin and Denise Lavoie, “Gen. Lee statue comes down in former Confederate capital” AP, September 9, 2021. https://apnews.com/article/robert-e-lee-statue-virginia-removed-92955a351d9fda6319f379ddc28df8a0

[9] Jacobs, Robert, and Ran Zwigenberg. “The American Narrative of Hiroshima Is a Statue That Must Be Toppled.” CounterPunch.org, August 6, 2020. https://www.counterpunch.org/2020/08/06/the-american-narrative-of-hiroshima-is-a-statue-that-must-be-toppled/.

[10] “Teaach Act - Asian Americans Advancing Justice.” Chicago, December 5, 2024. https://advancingjustice-chicago.org/teaach/.

[11] アジア系住民に対する暴力、そしてそれに抗うため「#Stop Asian Hate 」あるいは「#Stop AAPI Hate」などの運動が起きました。Victoria Namkung, “The Story behind the group tracking anti-Asian hate incidents” May 3, 2021. https://www.nbcnews.com/news/asian-america/story-group-tracking-anti-asian-hate-incidents-rcna662 特に、2021年3月17日に起きたアトランタにあるスパの銃撃事件では8人が亡くなり、その内7人が女性、6人がアジア系でした。Richard Fausset, et al, “8 Dead in Atlanta Spa Shootings, With Fears of Anti-Asian Bias” March 17, 2021 (updated March 26, 2021) https://www.nytimes.com/live/2021/03/17/us/shooting-atlanta-acworth また、この一連の記事によると、前年にはアジア系アメリカ人を狙った犯罪が3,800件近く起きました。

[12] “Demographics.” Chicago Public Schools. Accessed January 7, 2025. https://www.cps.edu/about/district-data/demographics/.

[13] U.S. Census Bureau quickfacts: Chicago City, Illinois. Accessed January 8, 2025. https://www.census.gov/quickfacts/chicagocityillinois.

[14] Elaine Scarry, “The Racist Foundation of Nuclear Architecture” Boston Review, August 5, 2020 https://www.bostonreview.net/articles/racist-foundations-nuclear-architecture/

[15] 平岡敬『偏見と差別 ヒロシマそして被爆朝鮮人』(東京:未来社、1972)142.

[16] Lisa Yoneyama, “Memory Matters: Hiroshima’s Korean Atom Bomb Memorial and the Politics of Ethnicity” in Living with the Bomb: American and Japanese Cultural Conflicts in the Nuclear Age, eds. by Laura E. Hein and Mark Selden (New York: Routledge, 1996), 205.

[17] 山内明美「自己なるコメと他者なるコメ:近代日本の「稲作ナショナリズム」試論」『 言語社会』 2 (2008), 398.

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著者略歴

  1. 宮本ゆき(みやもと・ゆき)

    デュポール大学宗教学部倫理学教授。デュポール人文学センターセンター長。著書にBeyond the Mushroom Cloud(2011),、『なぜ原爆は悪ではないのか』(2020)、A World Otherwise (2021)。訳書に「黙殺された被曝者の声:アメリカ・ハンフォード 正義を求めて闘った原告たち(2023)。

  2. 小嶋亜維子(こじま・あいこ)

    シカゴ美術館附属美術大学(School of the Art Institute of Chicago)社会学教員。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。イリノイ州における公平な公教育の実現を目指す団体「レイズ・ユア・ハンド・フォー・イリノイ・パブリック・エデュケーション(Raise Your Hand for Illinois Public Education)」理事。現在『マガジン9』にてコラム「シカゴで暮らす、教える、考える」連載中(https://maga9.jp/category/chicago/)。

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