明石書店のwebマガジン

MENU

マイノリティの「つながらない権利」

問題提起編 1. 当事者コミュニティに参加できない/したくない理由(1)

当事者であると「認めたくない」から参加できない/したくない

 当事者が自身のマイノリティ性をどう捉えているかは千差万別である。私自身、自分のマイノリティ性の全部を同じ感覚で捉えてはいない。先天性のものであるアルビノについては、視力を欲しがりつつも、ずっとそこにあるものとして受け止めているが、発達障害やうつ病の事実については、まだ認めたくない気持ちがある。私がどう考えていようと、私の脳はそうできているし、うつ病の状態にあるのだけれど、時々その事実から目を背けたくなる。

 私が発達障害やうつ病と診断されたのは、二十二歳の頃である。発達障害の検査から、診断が出るまでの間、心は千々に乱れたことを今も鮮明に覚えている。

 弱視というハンデがありながらも、一般校、それも進学校と呼ばれる部類の高校を卒業し、国立大学理学部に現役で進学、卒業した二十二歳の私は、学業における優秀さが自身のアイデンティティの多くを占めている状態だった。だからこそ、卒業研究の最中に心身のバランスを崩したときに、「優秀でないなら死んでしまいたい」と頻繁に口にしたのだろう。

 卒業研究を頑張る気力もどこかへ消えた自分が、優秀でない状態を脱するには、死ぬのが一番手っ取り早く、合理的な手段だったのだ。そうして、緩やかに死へと向かった。「学業における優秀さだけが価値ではない」「私はあなたに生きていてほしい」といった周囲の友人や先輩の言葉は、私の耳には届かなかった。

 そんな風なので、当時、私は発達障害がある人のことを、心のどこかで、「できない人」だと見下していた。精神障害保健福祉手帳を取得するなどして、「できない人」にカテゴライズされたくなかった。優秀な私でいたかった。

 だけど、何だかよくわからないやりにくさ、気づかずに失敗する不思議な現象に名前をつけて、それが何なのかを知り、そのやり過ごし方を教えてもらい、配慮されたかった。優秀な私でなくなってもいいから、生きやすくなりたかった。不定形で不明瞭な生きづらさがそこにあった。生きづらさからくる不安は、周囲への嫉妬や敵意へと次第に形を変えていった。

 今考えれば、こんな考えは差別と偏見に満ちている。まず、発達障害当事者は、「できない人」ではない。世間一般で取られている方法の効果が薄く、違うやり方が適している人々だ。

 そして、発達障害の診断があろうとなかろうと、私の状態は変わらずそこにあるのだから、特性を知り、方法を工夫していく必要はあったのだ。

 執筆時点でも、発達障害のある自分や他の当事者への差別や偏見が消えたとは言い切れない。環境が変わって、発達障害特性による困難が増せば、劣等感はまた顔を出すだろう。

 障害者と公に認定されることになる、手帳の取得に対する抵抗感は、障害者としてこの社会にあることの実際の不利だけでなく、保護者や自身の中にある差別や偏見からも来ていることが多い。

 そして、ここで大事なのは、当事者が自身や他の当事者への差別感情を抱く可能性は十分にあることだ。特に、当事者であると自覚したばかりの人にそのような傾向が見られるというのは、多くの当事者から聞く話だ。

 自分で自分を差別していたり、他の当事者を差別したりしている段階で、当事者コミュニティにアクセスするのはおすすめできない。当事者コミュニティにやってくる人々は、差別されず、否定されない安全な場を求めて集うのだ。そこに差別感情を持ちこんでしまえば、トラブルが起きるのは火を見るよりも明らかだ。

 なかには、自身や他の当事者を差別してしまう状態にある当事者を、「かつて自分も通った道だ」と思いながら諭してくれる、懐の深い当事者の方もいる。しかし、当事者コミュニティに集まるのは、そういった当事者だけではない。今困難の渦中にある当事者も多くいる。そうした人々は、他の当事者からの差別感情に傷つけられ、それゆえに情報や当事者コミュニティから遠ざかってしまうリスクがある。

 差別感情に捉われたまま、当事者コミュニティにアクセスするのは、コミュニティの安全性の観点からできないし、するべきでない。

 差別や偏見ゆえに、自分や家族が当事者であると認めたくない状態にあると、そもそも当事者コミュニティに参加したくないのだ。多くの当事者コミュニティが参加条件を当事者もしくはその支援者、関係者に限っているため、当事者コミュニティに参加することそれ自体が、自分や家族のマイノリティ性の自覚、再確認につながるからだ。

 自分はセクシュアルマイノリティであるとか、障害者であるとか、そういったことを直視するのは、自身のマイノリティ性を認めたくない当事者にとって痛みを伴うのだ。特に、元々あるマイノリティ性ではなく、大人になってから自覚した場合や、後天的にマイノリティ性を付与された場合は、それまでの自身の差別意識が鏡のごとく返ってくる。

 発達障害特性を認められなかった私自身がそうだった。発達障害特性のある生徒を「自分には関係ない」と冷たい目で見下していた、学生時代の自分の視線が、自分の身を焼いた。

 ◇

 家庭内で、子どもが自身のマイノリティ性について話題にしにくい場合もある。遺伝するものであるから、親を責めるようで、言い出しにくいというのだ。そうでなくても、現状でも心配をかけているのに、さらに心配をかけてしまうのではないか、といった不安から親とマイノリティ性について話し合ってこなかったし、当事者コミュニティに連れていってもらうなんて考えられない。そんな家庭もある。

 また、親が子どものマイノリティ性から目を背けている場合もある。「そんなはずはない。うちの子はふつうだ」と言わんばかりに支援や情報、当事者コミュニティから遠ざかる。結果として、必要な情報が得られず、本人の困難が大きくなってしまうこともある。

 ◇

 当事者であると「認めたくない」から当事者コミュニティに参加できない/したくない人々にこそ、当事者コミュニティで得られる情報が必要というのもまた、皮肉な事実である。マイノリティ性があっても、案外生きていけるし、その方法があると知ることで、内面化された差別感情や絶望が少しずつ緩和されていくのだ。

 この事実は、明らかに当事者コミュニティによる情報提供の限界を示している。当事者であると「認めたくない」人々を当事者コミュニティに受け入れれば、その言動で他の当事者が傷つくリスクがあり、場の安全性が失われる可能性が高い。しかし、当事者であると「認めたくない」人々にこそ、生活の質(QOL)を向上させる情報が必要であり、その情報があることで、内面化された差別や偏見が和らいでいくことが期待できる。

 つまり、当事者コミュニティにつながること以外の情報収集の手段が確立されないと、当事者であると「認めたくない」人々は身動きが取れなくなってしまうのだ。そして、身動きが取れなくなった人々の怒りや悲しみの矛先は、他の当事者に向かうことがある。本当に不毛なことだが、現実としてある話だ。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 雁屋 優(かりや・ゆう)

    1995年、東京都生まれ。生後数ヶ月でアルビノと診断される。高校までを北海道の普通校で過ごし、関東の国立大学理学部に進学、卒業する。卒業とほぼ同時期に発達障害の一つ、自閉スペクトラム症(ASD)とうつ病と診断され、治療しながら就職活動をする。病院勤務、行政機関勤務を経て、現在は札幌市を拠点にフリーランスのライターとして活動。科学、障害に関するインタビュー記事、ジェンダー、障害、セクシュアルマイノリティに関するコラムの他、さまざまな執筆業務を手がけている。誰かとつながることが苦手でマイノリティ属性をもつからこそ、人とつながることを避けて通れないという逆説的ともいえる現状に疑問を抱いてきた。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。

閉じる