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マイノリティの「つながらない権利」

問題提起編 3.マイノリティの「つながりたくない」も尊重してほしい(2)

マイノリティへの支援を当事者コミュニティに押しつけるのは公的なものの責任放棄ではないのか

 公表されている当事者コミュニティ設立の経緯を読むと、コミュニティを設立した人々の、切実な思いが伝わってくる。「つながりたくない」と連載をしている私がこう書くと、矛盾しているように見えるかもしれない。

 しかし、当事者コミュニティ設立、運営に関わってこられた方々の大変さを垣間見たからこそ、私は「マイノリティであるから他の当事者とつながらなければならない社会ではなく、マイノリティであってもつながらないことを選べて、そのことによる不利益が大したものではない社会であるべきだ」と言いたい。

 

 当事者コミュニティ設立の経緯、と言われても、馴染みのない方には想像しにくいだろう。一例として、私がスタッフとして関わっている日本アルビニズムネットワークの公式サイトにある、「JANというチームについて」を挙げる。(参考:https://www.albinism.jp/about_us/ 2023年1月29日取得)

 日本アルビニズムネットワークはアルビノの当事者やその家族のサポート、社会への理解啓発を主な活動としていると説明があり、その後にそれぞれの活動について詳しく説明されている。

 ここでそれぞれの活動がなぜ必要なのかにふれられており、「情報の少なさ」ゆえに生活に困難を抱えることと、「アルビノ当事者が極端に少ない(約2万人に1人とされている)ため、他の当事者との交流の機会がほとんどない」がゆえに情報交換が難しく、また悩みや孤独を感じやすいことが主な理由として挙げられている。

 私は、情報の少なさと他の当事者との交流の機会の少なさについて、つながっている部分はあるが、基本的に分けて考えるべき問題と見ている。

 「情報が欲しい」ときと、「人と交流して悩みや孤独を解消したいし情報も欲しい」ときは似ているようだが、異なる状況なのだ。交流したくないけれど、生きていくために情報は欠かせない。そんなときもあるからだ。

 

 例に挙げた日本アルビニズムネットワークだけでなく、さまざまな当事者コミュニティの設立経緯を見ると、「情報が少なくて困っている」「他の当事者と会って交流したい」という文言は多く見られる。

 前回書いたように、世に溢れる情報はマイノリティ向けにはできていない。マジョリティのための情報が氾濫するなかで、必死の思いで自身や家族のマイノリティ性について調べ、考え、発信を試みてきた人々が当事者コミュニティの設立、運営を行ってきたのだ。

 全国各地の病院を巡った人もいたし、専門性もないなかで必死に英語で書かれた医学論文に目を通した人もいた。

 私は大学で細胞生物学を学び、医学論文を読むこともあったが、その内容を理解するのは、苦労することだった。元々その分野の専門性を持たない人が、自身のマイノリティ性に悩みつつ、あるいは幼子の世話をしつつ、それをやる。その大変さは大学生の頃の私の比ではないだろう。

 

 当事者コミュニティ設立に関わった人々、今も運営している人々に対して、感謝の気持ちはある。私自身、その出会いがあったからこそ、出会えた友人がいる。

 だが、話はこれで終わらない。絶対に、ここで終わらせてはいけない。

 当事者コミュニティを作らなければならなかったのは、なぜか。

 マイノリティやその周囲を、病院巡りや慣れない医学論文にあたるなどの、大変な努力をしなければ生きていけない状況に追いこんだのは、何なのか。

 そこを、追及しなくてはいけない。

 当事者コミュニティに関する美談にして終わったら、真に責任を追及されて、変わるべきものが、変わらないまま、温存されてしまうからだ。

 

 マイノリティ性のある当事者やその周囲が情報を求めて必死になっているその横で、公的な支援をするべき行政は、何をしていたのだろう。真っ先に、マイノリティやその周囲の人々のための情報発信をすべきだったのは、行政ではないだろうか。

 何も、していないじゃないか。

 何かをしていたとしても、あまりに遅々としていて、マイノリティを支援するには、不十分過ぎる。

 例えば、指定難病にもなるほどに当事者の少ないアルビノとして生きる私は、アルビノを理由に何か行政の支援を受けようとする際、役所に行く前に下調べが必要だ。窓口で「指定難病のこの手続きをしたいのですが」などと言っても、その制度の存在を知らない職員もいるからだ。スマホで厚生労働省をはじめとした行政の公式サイトを表示し、「これです」と見せないと、いつまで経っても手続きが円滑に進まない。

 黙っていたら情報や支援が得られないどころか、役所に手続きに行ってもこうなのだ。

 

 公的な支援が行き届いていないから、自分達でやるしかなかった。

 そういう側面が、当事者コミュニティにはある。

 その認識は、マイノリティに関わる行政のなかで、どれほど共有されているだろうか。

 障害者支援の計画に「ピアサポートの拡充」なんて文言が平然と書かれているのを見つけたとき、私は怒りで頭が真っ白になった。

 マイノリティがどうにか生き延びるために作った当事者コミュニティの機能に、本来その仕事をするべきだった行政が、当然のように乗っかっている。自分達がやるべきだったことを、代わりにやってもらって、成果が出てきたら乗っかるなんて、搾取以外の何だというのだろう。

 情報の少なさで困っているマイノリティや周囲の人々を助けるのは、行政などの公的なものであるべきだった。その責任を放棄してきたことに無自覚なまま、当事者コミュニティを称賛するようなことは、公的に行われてはならない。

 そして、マジョリティもマイノリティも、この社会を生きる人すべてが、情報の不均衡や行政の責任放棄に目を向けていく必要がある。

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著者略歴

  1. 雁屋 優(かりや・ゆう)

    1995年、東京都生まれ。生後数ヶ月でアルビノと診断される。高校までを北海道の普通校で過ごし、関東の国立大学理学部に進学、卒業する。卒業とほぼ同時期に発達障害の一つ、自閉スペクトラム症(ASD)とうつ病と診断され、治療しながら就職活動をする。病院勤務、行政機関勤務を経て、現在は札幌市を拠点にフリーランスのライターとして活動。科学、障害に関するインタビュー記事、ジェンダー、障害、セクシュアルマイノリティに関するコラムの他、さまざまな執筆業務を手がけている。誰かとつながることが苦手でマイノリティ属性をもつからこそ、人とつながることを避けて通れないという逆説的ともいえる現状に疑問を抱いてきた。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。

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