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マイノリティの「つながらない権利」

「障害の社会モデル」の観点から考える、マイノリティの「つながらない権利」~飯野由里子さんインタビュー~【前編】

 私が「マイノリティの「つながらない権利」」を求めるようになった大きな契機として、「障害の社会モデル」との出会いがある。文筆業のなかで「障害の社会モデル」への考えを深めていくうちに、『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方』(飯野由里子・星加良司・西倉実季著、生活書院、2022年)を手に取り、「障害の社会モデル」がより具体的に見えてきた。本書の著者の一人であり、インターセクショナリティの考え方に基づいてふぇみ・ゼミ&カフェの運営委員もつとめる飯野由里子さんに、マイノリティの「つながらない権利」について、お話を伺った。


飯野由里子さんプロフィール

飯野由里子(いいの ゆりこ)

専門はフェミニズム理論、クィア理論、障害理論。

東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター勤務。一般社団法人ふぇみ・ゼミ&カフェ運営委員。

著書に、『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』(生活書院、2008年)、『合理的配慮――対話を開く、対話が拓く』(共著、有斐閣、2016年)や『クィア・スタディーズをひらく 1――アイデンティティ、コミュニティ、スペース』(共編、晃洋書房、2019年)、『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方』(共著、生活書院、2022年)などがある。

YouTubeで「となりのニューロダイバーシティ」と題し、発達障害特性のある人同士で対話を行っている。現在、シーズン2配信中。


社会に溢れる情報は偏っている

――本連載をお読みになって、どう感じられたか、お聞きしたいです。

 飯野さん(以下、飯野):連載を通して全体でおっしゃっていることには、共感するところも多かったです。この社会を、誰もが必要な資源にアクセスできるようになっているかという観点から眺めてみると、そこにはマジョリティ性を帯びた人とマイノリティ性を帯びた人との間に大きな格差があることがわかります。前者の人々にとって必要な情報はあらかじめ用意されていて、自動的に得られることが多いけれど、後者の人々にとっては、多くの場合、そうなっていません。結果、マイノリティ性を帯びた人々は、時間と労力を割いて、自分の必要な情報を探し、それを取りにいく必要が出てきます。

 『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方』のなかで、私はそういった格差を「情報面の偏り」と表現しています。社会モデルの視点は、そのような偏りがいかに社会的に生じているのかを問い、そこにある種の社会的不正義を見出していくためのものです。その点では、雁屋さんがこの連載で伝えたいことは社会モデルの観点から整理し直すことができます。例えば、第14回の、「世にあふれる情報はマイノリティ向けにはできていない。」という一文は、社会モデルの視点から書かれたものです。

 ――マイノリティ向けの情報は、そもそも存在していない場合もあります。その一文は、アルビノについての情報が当事者になかなか行き渡らなかった経緯をかなり意識していました。

 飯野:特に難病などはそうですよね。情報が、そもそも存在していないことがある。だからこそ、当事者運動の中には、研究者や医師に働きかけて、従来は医療者や研究者に独占されていた情報をシェアしてもらい、当事者も自分達の情報を提供して研究や臨床に役立ててもらうという関係を作らざるを得なかったものもある。エイズ・アクティビズムはその先駆けですね。情報の偏りがどう生じ、それにどう対処できるのかという問題については、そういった経緯も踏まえて、見ていく必要があります。

 ――サイエンスコミュニケーションをやっていこうと考えている私にとっては、避けて通れない話題に思えます。とはいえ、当事者コミュニティにおけるコミュニケーションから逃げたい気持ちは消えません。

 飯野:マイノリティが情報を取りにいく先として、当事者コミュニティが挙がっているのも印象的でした。これはどうしてですか。

 ――私も、障害や疾患のことであれば、医学論文や学術書を思いつきますし、私を含め、実際に論文サイトに疾患名を入れて論文を読んでいる当事者もいます。でも、そもそも論文を読めるのは高等教育を受けていて、英語が読める人ばかりですよね。それでは、マイノリティのなかでも、一部の人しかアクセスできません。でも、当事者コミュニティであれば、日本語でよくて、論文を理解するような基礎知識を持ち合わせている必要がないんです。その意味では、情報を得る手段として、現状ではある程度有効と考えています。

 飯野:確かに、マイノリティの間にも、学歴や言語といった偏りがありますね。また、雁屋さんも書いておられましたが、たとえ当事者コミュニティにアクセスできたとしても、そこで安全に居心地よく、気兼ねなく自由に話せる人と、そうでない人がいますよね。これはインターセクショナリティやバリアの重層性、連動性の話にもなってきますが、たとえば障害者コミュニティでの恋愛至上主義や異性愛至上主義や女性蔑視、セクシュアル・マイノリティのコミュニティでの精神障害者差別などは、その人がどの程度安全に気兼ねなく話せるかどうかに影響を与えます。雁屋さんは、「コミュニケーションが苦手」と思っておられるからか、連載のなかでも様々な偏りを指摘されていて、そこが興味深く、社会モデルの観点からも重要だと思います。

 ――いろいろな偏りを挙げたのは、安全でいられない人が生じる事態は、どのマイノリティのコミュニティでも起こりうるし、起きていると伝えたかったのが大きくあります。何らかのマイノリティ性によって特異的にコミュニティの安全性が失われるわけではなくて、どこでもそのリスクがあるんです。

 飯野:そこを意識することは大事です。

 「コミュニケーション」とは何なのか

――発達障害特性には、「対人コミュニケーションが苦手」ということがあります。ASDの私も、対人コミュニケーションは大の苦手です。そんな風に、対人コミュニケーションが苦手な人が集まっても、いい結果になるとは思えず、発達障害関連のコミュニティを避けているのですが、当事者コミュニティであるからこそ、対人コミュニケーションから逃げられないことについては、どうお考えですか。

 飯野:私もASD傾向をもつ人間なので、雁屋さんのおっしゃることには共感する部分もあります。しかし、コミュニケーション能力とは何なのか、「対人コミュニケーション」と私達が認識しているものは何なのかを、社会モデルの視点で問い直す必要もあります。私も他者といろいろな前提を共有していないので、コミュニケーションにおいて齟齬が生じることが多いです。それは自分の脳の特性のせいもあるかなと思う一方、「日本に住んでいるのだから同じ前提や認識枠組みを共有しているはずだ」という社会文化的な規範が非常に強いからではないかとも感じます。

 ――今のお話で、ポリアモリー(お互いの同意の上で、複数の人と親密な関係を築く恋愛のスタイル、ライフスタイル)を実践している方々から「対話」について聞いたことを思い出しました。ポリアモリーの方々は、相手が想定外に自分と違っている可能性を考慮して「対話」を行っているそうです。その「対話」と、相手が自分と同じであることを前提にする「コミュニケーション」とでは、前提からして異なって見えます。

 飯野:その通りだと思います。「コミュニケーション」が得意であることと、「対話」ができることとは違うと思います。対話は、相手との関係性を構築していく際、どういうコミュニケーション方法が合うのか/合わないのかを探っていく過程も含みます。したがってそれは、上手か/下手かというような話ではありません。

 ――言われてみれば、学生時代の女性同士の共感などを主目的にしたコミュニケーションは苦手でしたが、仕事をするようになって、メールやチャットでするテキストコミュニケーションはそこまで苦手意識がないですね。

 飯野:ビジネスにおけるテキストコミュニケーションは、雁屋さんに合っていたんじゃないでしょうか。それに、人は「違っていて当たり前」なので、関わっていれば、コンフリクト(衝突)はどうしても起きます。コンフリクトを起こさない方法ではなく、コンフリクトが起きたときにどう対処するかを学校教育でも教えるべきなのに、日本においては、対人トラブルを起こさない子が「いい子」とされます。それでは、コンフリクトに向き合うことのできる大人にはなれませんよね。

 ――対人トラブルを起こさないように、と考えて人を避けていた過去があるので、とても実感のわくお話です。

 飯野:多様な社会においては、「違っていて当たり前」。だからこそ、「コンフリクトも生じる」んです。

拡張する「つながらない権利」

――「障害の社会モデル」の観点から、マイノリティの「つながらない権利」を見ていくと、他にもいろいろな気づきが生まれそうです。

 飯野:私が一つお聞きしたいのが、「つながる/つながらないは二択なのだろうか」ということです。雁屋さんは連載のなかで二択のように書かれていますが、本来は二択ではなくて、もっとグラデーションがあるはずです。

――つながり方にグラデーションがあるとは、どういうことでしょうか。

 飯野:例えば、当事者コミュニティAがあったとします。そこにいつからいつまで、どのような形でつながるか、あるいはつながらないかを選ぶことができる方がいいですよね。つながったらずっと、しっかりコミットしないといけないのであれば、それは大変です。

 ――そうですよね。つながり方にも、時間やコミットのしかたのグラデーションがあっていいはずです。

 飯野:また、当事者コミュニティのなかでも、誰とどこまで、いつまで、つながるか、など細かく選べる必要があります。この連載は、そういった自己決定権も含めた、マイノリティの「つながらない権利」に拡張していくことが可能です。

 (後編へ続く)

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著者略歴

  1. 雁屋 優(かりや・ゆう)

    1995年、東京都生まれ。生後数ヶ月でアルビノと診断される。高校までを北海道の普通校で過ごし、関東の国立大学理学部に進学、卒業する。卒業とほぼ同時期に発達障害の一つ、自閉スペクトラム症(ASD)とうつ病と診断され、治療しながら就職活動をする。病院勤務、行政機関勤務を経て、現在は札幌市を拠点にフリーランスのライターとして活動。科学、障害に関するインタビュー記事、ジェンダー、障害、セクシュアルマイノリティに関するコラムの他、さまざまな執筆業務を手がけている。誰かとつながることが苦手でマイノリティ属性をもつからこそ、人とつながることを避けて通れないという逆説的ともいえる現状に疑問を抱いてきた。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。

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