問題提起編 2.当事者コミュニティの功罪(7)
ダブルマイノリティにとっては安全でない場所もある
私がこれまで書いてきたようなメリットがあることは承知の上で、当事者コミュニティに行く気になれない。そんなマイノリティの当事者は私一人ではなかった。
当事者コミュニティのメリットはわかっている。それでも、行きたくない。怖い。安心できない。
そう口にする人のなかには、コミュニケーションを負担に感じるのとはまた違った事情のある知人がいた。ダブルマイノリティ――複数のマイノリティ性を持つ人だ。
その人と話していくうちに、私とその人はマイノリティ性の名前は違えど似た構造の恐怖や不安を抱えて、当事者コミュニティから遠ざかっていることがわかった。
私は視覚障害者でセクシュアルマイノリティで、発達障害とうつ病を併せ持つ精神障害者だ。
発達障害のコミュニティで、「発達障害の二次障害として現れる精神疾患の話はNGです」とグランドルールに書かれていたこともあったし、視覚障害者のコミュニティで男女二元論や異性愛規範に晒され、居心地の悪い思いをしたこともあった。精神疾患の当事者に対する対応はプロでも難航するのは承知の上だが、発達障害コミュニティのそのグランドルールは、「私の居場所はここにはない」と感じるに十分だった。
セクシュアルマイノリティの場所でも、似たようなことが起こる。レインボープライドが各地で行われており、セクシュアルマイノリティの存在を示すのに重要なものとなっている。しかし、レインボープライドを歩けるセクシュアルマイノリティは限られていることを、忘れてはいけないと私は思う。例えば私は体力がないし、炎天下を歩くとなれば、アルビノゆえに紫外線対策を厳にしなければならない。そういったダブルマイノリティは忘れられることがあるのではないか。
そう思うだけでなく、実際にそのような経験もしているから、当事者コミュニティに行くのは怖い。
そんな話をしていたときに、私とマイノリティ性は違えどダブルマイノリティである知人は理解を示してくれた。
その知人も似たような経験があるのだという。
海外にルーツを持ち、人種マイノリティであって、セクシュアルマイノリティでもある知人は、海外ルーツの当事者コミュニティも、セクシュアルマイノリティの当事者コミュニティも避けたいものだと話してくれた。
海外ルーツの当事者コミュニティには、男女二元論や異性愛規範、女性差別が存在している場所もあり、知人はそのことを身をもって経験したのだ。ルーツについて攻撃されることはないが、セクシュアルマイノリティであることには無理解な場所。そんなところに安全も安心もない。
同様に、セクシュアルマイノリティの当事者が海外ルーツの人々に対して差別的な発言をするのを見聞きしたこともあり、知人はセクシュアルマイノリティのコミュニティにも警戒を解けないでいる。
私には知人の話が他人事には思えなかった。
本来、安全であるはずの当事者コミュニティで、そこで話題になっているのとは別のマイノリティ性ゆえに背中から刺されるような言動を受ける可能性がある。
それでは、いつ差別発言が飛んでくるかわからない日常と何ら変わりがないではないか。
勿論、マイノリティ性の交差――インターセクショナリティに配慮した場作りに取り組んでいる人々はいるし、そのことを私も知っている。
けれど、前述の私や知人の経験もまた紛うことなき真実なのだ。
当事者コミュニティ“だから”、安全だなんて、ダブルマイノリティの私や知人は思えない。それどころか、「ここに自分の居場所はない」「この場では私の存在は想定されていない」と思い知る経験をした。
マイノリティ性が重なり合ったダブルマイノリティの人々の困難は大きくなりがちなのに、当事者コミュニティによるさまざまなメリットを享受できなくなっている可能性がある。
マイノリティを支援する役目を当事者コミュニティのみに負わせることのリスク、その一端がここにあると私は考える。
安全でない当事者コミュニティに出会ってしまった経験から、当事者がそこから遠ざかり、ますます困難を増していくのなら、当事者コミュニティ以外の手段が、必要なのではないか。