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マイノリティの「つながらない権利」

「障害の社会モデル」の観点から考える、マイノリティの「つながらない権利」~飯野由里子さんインタビュー~【後編】

 第22回では飯野由里子さんに社会の偏りやコミュニケーションを問い直すこと、マイノリティの「つながらない権利」の拡張の可能性について伺った。引き続き、「障害の社会モデル」の考え方をもとにマイノリティの「つながらない権利」を飯野さんとともに捉え直していく。


当事者から社会モデルが抜け落ちてしまう社会

――当事者コミュニティに参加しているからこそ、「あの人は自分と視力がさほど変わらないのにすごく優秀だ」などと感じてしまい、劣等感を抱いてしまうこともあると思います。当事者コミュニティの話をしていると、どうしても、能力主義から逃れられないように感じるのですが、そこについては飯野さんはどうお考えですか。

飯野さん(以下、飯野):今のお話は、第4回の「マイノリティ性が“剥がれる”ことへの恐怖」でも書かれていますね。正直に言うと、私はこの回で雁屋さんがおっしゃっている「マイノリティ性が“剥がれ落ちた”」という感覚がうまく掴めなかったんです。むしろ第4回で書かれているエピソードを、私は雁屋さんがアルビノや視覚障害のある人々の多様性にふれた瞬間を描いたものとして読みました。雁屋さんが、「マイノリティ性が“剥がれ落ちた”」と捉えた理由についてもう少し教えてもらえますか。

――それまで、自分のアルビノに由来する容姿ゆえに遠巻きにされて人と親しくなるのが難しい、あるいはロービジョンであるためにできないことがあると理解してきた過去の経験が、自分と症状の似ている当事者と出会って、解釈を変えざるをえなくなるんです。出会った当事者と自分を比較して、アルビノという条件が打ち消されてしまい、他のところに原因があったのではないか、それはもしかして自分の努力が足りなかったのではないか、と自分の至らなさを突きつけられているように感じてしまいます。

飯野:“打ち消される”ですか。今お話ししていてご自身でも「すごく個人モデル的な発想だな」と思ったのではないでしょうか。個人モデル的な捉え方が強力に働いている社会だと、当事者自身も、個人モデル的な観点から自分のことを評価し、自分の苦手さやできなさの原因を自分の中に見出してしまいます。でも、そういう時にこそ、あえて社会モデルの視点を使ってみてほしい、とは思っています。

――私のなかで発生した他の当事者との比較は、自然科学における対照実験に近い考え方でしたが、そこでは社会的な要素が抜け落ちていました。

飯野:なぜ抜け落ちてしまうのか、それを考えるのも大事です。先ほどの能力主義の話にも関わってきますね。私たちの社会では、何かが人よりできること、より優秀であることが、無批判に、望ましいこととして想定されています。でも、本当にそうなんでしょうか。

――私の自信の多くを占めるのは、何かができる実感、それから「適性のあることなら、やってみたらできるだろう」という自身の能力への信頼なんですね。ちょっと変わった発想かもしれませんが。でも実は、環境によって得られる経験が違うことは数多くあります。実際には能力があるのに、できない人として扱われ続ける経験がその人を本当にできない人にしてしまっていることは少なくないと感じています。

飯野:その通りですね。だからこそ、第4回のエピソードは、「障害者はできない人である」とする社会のイメージに合わせよう、そうみなされないと苦しいと思って生きてきた雁屋さんが、他の当事者と出会うことで、そんなことを気にしないで自由にやりたいことをやっていいんだと気づく。そういう解放の瞬間にもなりえたのではないか、と思ったんです。

――その発想はありませんでした。

飯野:社会の側に、そうした発想を難しくしている要因があるのだと思います。『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方』の第5章4節「なぜインペアメントが「ある」ことを疑うのか?」で、白杖を持って歩いていないとき、つまり社会がイメージする「視覚障害者」らしく自分を見せていないとき、周囲からの配慮が得られなかったという、ある弱視難聴の方の事例を紹介しています。私はこれを人の自由の制約に関わる問題として捉えています。つまり、この方がこの方らしくあることを、社会の側が認めていない。ありのままで存在することを認めていない。そういう問題として捉えているんですね。

――ヘルプマークや白杖を装備する/しないについては当事者のなかでも議論がありますが、社会から自己決定に踏みこまれていることにはあまり気づけていませんでした。「いざっていうときに(周囲に)わかりやすいから持っていてもいいかもしれない」などと口にしていながら、その意味するところの一部を見落としていました。

飯野:社会の中に流通している障害イメージが、能力としつこく結びついていることの問題でもあります。例えば、視覚障害者は嗅覚や触覚に優れているとするイメージなどはその一例です。もちろん、そういう人もいるだろうけど、そんな人ばかりじゃないですよね。もっと言えば、障害があるからこそ、それを補ってあまりあるほどに何かができると証明しなければならないという規範もあります。社会は、「無能力」と「特殊能力/有能さ」の相反する二つのイメージを通して、障害者を振り回し、コントロールしているように思います。

――とても心当たりがあります。私自身、一日8時間は働けないからこそ、それを帳消しにするほどの優秀さを見せなければならないと感じていた時期がありました。それも個人モデルですね。でも、実際に障害者の賃金の低さの問題もあり、障害を補ってあまりあるほどに優秀でないといけない、そうでなければ低賃金での労働を受け入れるしかないという恐怖も存在しています。障害者個人が生存戦略として障害を補ってあまりあるほどに優秀であろうとするのは間違ってはいませんが、その生存戦略を選ばせているものにも目を向けたいです。

飯野:「障害があるからこそ、何かに優れていなければならない」とする規範を社会モデルの観点から捉え直していく。その規範が不正義を生み出している可能性に気づいていく必要があります。自分の側にではなく、規範や制度の側に問題があると捉え直すことによって、第4回で取り上げられていた雁屋さんの経験が新たな解釈に開かれていくといいなと思っています。

差別に気づく、自分のニーズに気づく

――この連載の企画にあたって、大型書店をいくつか歩き回って、どんな言説が多いのか、タイトルから見ていきました。障害者をはじめとしたマイノリティ性のある側に変容を求める言説が多い印象でした。それもあって、私は「そもそもマイノリティばかりが変わることを求められるのはおかしい」というところから出発しています。

飯野:そこにも社会の偏りが反映されていますね。私もその偏りには問題があると思っています。

――広い意味では言説に含まれるのかもしれませんが、マイノリティ表象もそうですよね。一つひとつの言説、表象に問題はないかもしれないし、それらを逐一チェックするつもりはありません。でも、そういった言説、表象の集合体が特定の人に不利益を与えていることはあります。例えば、日本におけるアルビノのイメージは「儚い」「病弱」が多くを占めていることなどもそうです。

飯野:『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(清水晶子、ハン・トンヒョン、飯野由里子著、有斐閣、2022年)でも繰り返しふれていますが、日本では差別が心の問題として理解されてしまっています。「差別とは悪意のある人がすることだ」という理解ですね。しかし、差別はそういうものではない。むしろ、それぞれが「これがふつうだ」「これが正しい」と思ってやっていることが社会のなかに偏りを作り出し、特定の人々により大きな不利益を振り分けてしまっているのです。差別をそういった構造として認識し、それを作り出しているのは私たち一人ひとりの日常実践なのだと意識する必要があります。日常実践において、どういった視点を持ち、どういった点に注意を払い、どういった問題意識を持つのか。そのことが、一人ひとりに問われているのです。社会は、誰か偉い人が変えてくれるわけでも、自分一人だけで変えられるものでもなく、社会の構成員一人ひとりの日常実践を通してでしか変えていけないものです。そういったことも「つながる」の一形態として捉えることができるのではないでしょうか。

――悪意もなく自然にやってしまうことが差別になりうるなら、マイノリティ性のある人々は差別を内面化しやすく、自分自身が差別されていると知ること、そして自分のニーズに気づくことがかなり難しいのではないでしょうか。

飯野:「自分と同じ病気の人しかいない世界があるとしたら、それはどんな世界だろう?」という思考実験をしてみてはどうでしょう。現実の社会と架空の世界を比較してみると、現実社会に生きている自分のニーズが見えてくることがあります。例えば、「アルビノの人しかいない世界」があるとしたら、それはどんな世界でしょうか。

――アルビノの人は日焼けに弱いので、その世界では地下都市を形成しているかもしれませんね。日光を浴びるのは必要最低限の健康のための行為で、移動も出勤も、極力日光を浴びずに成り立つ世界になっていそうです。それに、皆アルビノだからロービジョンについても問題にされないかもしれません。それに、美の基準も現実とは違ったものになるでしょうね。

飯野:いい感じですね。そういった思考実験を通して、「できることならば、自分はこうしたいんだな」と気づけます。自分のやりたいことやニーズが発見できたりします。環境が変われば、経験も変わりうることを実感できる思考実験です。

社会をよくするための「つながる」

――研究で解明されたことなどが当事者にはあまり共有されないし、たとえオープンソースの論文であっても、読みこなせる当事者は稀です。そんななかで、当事者の自助努力に任せっきりではなく、必要な情報が当事者にちゃんと届く社会を実現するにはどういった条件が欠かせないのでしょうか。

飯野:今のは、専門的な言葉をその専門性を持たない人に伝えていく「翻訳」の話ですね。それは、ライターのお仕事でもあるだろうし、先ほど雁屋さんがサイエンスコミュニケーションを重視しているとおっしゃったことともつながってきそうです。質問にお答えすると、情報面の偏りはマイノリティとマジョリティの間だけではなく、マイノリティの間でも生じているので、社会としてどのように情報を保障していくのかが重要だと考えます。情報の入手手段、量、質などですね。入手手段では、点字や音声、外国語などすでに多様化されているものもあり、一部は法制化もされています。行政が責任を持ってやるべき部分もありますが、そこから何がこぼれ落ちるのか、こぼれ落ちた部分についてどうするのか、という議論も大切です。

多くの差別が野放しになっている日本の現状をふまえると、情報を提供する際にもインターセクショナリティやバリアの重層性・連動性の視点を持つこと、差別に反対していこうとすることが不可欠だと考えます。そうしたことを意識していないと、適切な情報発信を行っているつもりが、バックラッシュやヘイトの言説を再生産していた、なんてこともありますから。

――情報を作って届けていくことは、本当に一筋縄ではないと改めて実感しました。こういった情報を作り、発信するのは当事者ではなく行政が責任を持ってやるべきだと考えていたこともあったのですが、現状を思えば、そこにも何らかの差別や意図が混入しそうで怖いです。こういったことは、誰がやるのがいいのでしょうか。

飯野:それぞれが考えながらやっていくしかないでしょう。そもそも差別をなくしていくための法律や制度は、行政や政治の領域の人々が下々の者を思って作ってくれるものではありません。差別を受けてきた当事者たちの粘り強い運動を通して勝ち取られてきたものです。そのような意味で、差別をなくしていくためには「つながる」必要があります。

――先ほど、一人ひとりの行動の結果として社会が変わっていき、そのことを「つながる」の一つの形とおっしゃっていましたが、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか。

飯野:社会は一人の人や、一つの団体が変えていくものではなく、お互いやっていることも知らない、話したこともないような人々が、それぞれ重なる問題意識を持ちながら、自分のできる範囲でやりたいことを積み重ねていくなかで変わっていくものだと考えます。それは、「お友達」の関係とは違う「つながる」です。後から振り返ってつながっていたことに気づくというケースも含めると、そういった意味での「つながる」瞬間がたくさんあると思います。

――その意味での「つながる」なら、私にも必要ですし、できそうな気がします。それぞれに違っていて、でもここでは共通の問題意識がある。そういった「つながる」は社会を変えるために欠かせないものです。

飯野:私たちが多様でそれぞれ違うからこそ、力を合わせられる瞬間もあるのだと思います。そうした瞬間を大切にすることが、社会を変えていくことにもつながっているはずです。

インタビューを終えて

 「つながる」にグラデーションがあること、友人になるばかりが「つながる」でないことなどを伺ってから、私のなかで、マイノリティの「つながらない権利」がより明確で細やかなものへと変化していった。

 コミュニケーションや能力主義など、社会から強いられてきたものは数え上げればきりがない。社会には情報面での偏りだけではなく、多くの偏り、差別が存在する。これは紛れもない事実だ。

 だが、変えていけるのも社会を構成する自分達なのだ。無理をする必要はなくて、できる範囲で、やりたいことをやっていく。その連鎖が、社会に変化を起こしていくのだ。

 

 飯野さんと「障害の社会モデル」の観点からマイノリティの「つながらない権利」についてお話ししたことで、私のなかにもあるさまざまな規範から少し解放された部分もある。

 インタビューのなかで飯野さんがお話ししてくださった、「自分と同じ病気の人しかいない世界」の思考実験は、ぜひいろいろなところで、一人で、あるいは信頼できる誰かとともに、やってみてほしい。難しいことに挑まずとも、自分のニーズに気づくことができる。

 

 インタビューのなかで、「マイノリティ性にアイデンティティを置きすぎるのはおすすめしない」と話題になった。マイノリティ性はあくまで一つの属性であり、その人自身ではないのだから。

 とはいえ、生来のものを排して考えるのも難しい。ここに関して、私は少し珍しい経験をしている。アルビノは私が生まれた頃はただの遺伝疾患であり、指定難病ではなかった。成人した辺りに指定難病になったが、私の症状も、生活も、あり方も、つまり本質的なところは変わっていない。

 私の本質は、マイノリティ性やその名前に規定されるものではないのだ。

 こういった経験は珍しいかもしれないが、前述の思考実験を通して近いことを考えるのは可能だ。

 

 マイノリティの「つながらない権利」はより拡張し、再定義することができるだろう。

 その契機となってくださった飯野さんに心から感謝する。

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著者略歴

  1. 雁屋 優(かりや・ゆう)

    1995年、東京都生まれ。生後数ヶ月でアルビノと診断される。高校までを北海道の普通校で過ごし、関東の国立大学理学部に進学、卒業する。卒業とほぼ同時期に発達障害の一つ、自閉スペクトラム症(ASD)とうつ病と診断され、治療しながら就職活動をする。病院勤務、行政機関勤務を経て、現在は札幌市を拠点にフリーランスのライターとして活動。科学、障害に関するインタビュー記事、ジェンダー、障害、セクシュアルマイノリティに関するコラムの他、さまざまな執筆業務を手がけている。誰かとつながることが苦手でマイノリティ属性をもつからこそ、人とつながることを避けて通れないという逆説的ともいえる現状に疑問を抱いてきた。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。

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