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教わることに頼らないための自学自習法

はじめに なぜ勉強の方法を知る必要があるのか?

向坂くじら

勉強をしなさい。

と言われたら、どんなふうに思うだろうか。わたしならまず、死ね、と思うだろう。

 耳障りのいいことさえ言っていればこちらの行動をコントロールできると思うなよ、死ね。だいたい、先生の作ったテストでいい点をとるためだけに、先生に言われるまま勉強するなんてばかばかしい。言うことをすなおに聞く者ほど評価される仕組みがあらかじめ作られているわけで、それはつまり、こちらの将来のことなんか考えているフリをして、なにも考えずにえらいやつに従う人間を作りたいだけじゃないか。

 いや、そもそも、「勉強をしなさい」なんて言ってくる方こそ、なんで勉強をしないといけないか分かっているんだろうか。自分だって、自分よりえらいやつに聞きかじったことを、そのまま真似しているだけなんじゃないか。

 それに、勉強のできるできないや、学歴のあるなしで人間の価値が決まるもんか。教科の勉強なんかより知るべきことは、世の中にたくさんあるはずだ。それならいっそそんなことに捉われず、自分の頭で考えたい。そうだ、それこそが本当の知性というものなんじゃないか。


……わたしより賢明なあなたは、そこまでは思っていないかもしれない。誰かに命令されるのが嫌いなあまり、つい熱くなってしまった。

 けれどもそんなわたしが、あなたに、勉強をしてほしいと思っている。そしてそれが、どうすればあなたに伝わるだろうかと思っている。

 あなた。賢明で、簡単に人の言うことを聞かなくて、それでいて時に(わたしもまたそうであるように)どうしようもなく不まじめで、自分自身のままならなさに、自分でも手をやいているあなた。あなたに、なんと呼びかければいいだろうか。「学生」でも「勉強をしたい人」でも「人生に悩んでいる人」でも、その全部でも、それが総称である時点で、あなたはわたしの呼びかけを器用にすりぬけるだろう。あなた。安いごまかしはするどく見抜いてしまう、厳しくて勇敢なあなたにこそ、わたしは勉強をしてほしいのだ。


 あなたに言いたい。わたしがあなたに勉強をしてほしいということは、自分よりえらい人に服従せよ、という意味ではない。むしろ、まったくその逆だ。勉強をすることは、第一に抵抗である。ひとりで学ぶことができれば、あなたはそこではじめて自由になることができる。教わる立場に依存させられることなしに、ひとりでどこまでも行くことができるのだ。

 ひょっとすると、先生の言うとおりに毎日学校に行き、座って授業を聞き、ノートを取り、宿題をこなし、テスト範囲をくまなく暗記する……ということが勉強だと言われているかもしれない。しかし幸いなことに、それは間違っている。あなたが勉強をするためには、そんなことはまるきりしなくてもかまわない。あなたは誰の言うことも聞かないまま、たったひとりで勉強をはじめることができる。この連載は、まずはそのために始まった。

 一見、勉強をしないでいることのほうが、誰かの言いなりにならないですむ、誇りある態度に思えるかもしれない。しかしつらいことに、学校や受験から解放されたあとにも、あなたを服従させようとするものは次々に、しかもより複雑になってあらわれる。そして、学ぶこと、考えることをしなければ、それらに抵抗しつづけることはできない。あなたがいま、抵抗するために学ばずにいたのだとしても、そのことが結果的にあなたが抵抗しつづける力を奪うことになる。不服従だったはずのあなたの態度が、もっと悪い服従へつながってしまうのだ。わたしには、それがくやしくてたまらない。考えなしに言いなりになってしまわないだけの賢さを備えたあなたが、しかしそのために自分の生きる道を奪われていくことが。あなたに本当に自由でいつづけてもらいたいと思うから、あなたに勉強をしてほしいのだ。


 所詮はテストや受験を踏まえた勉強であることが、息苦しく、またばかばかしく思えるかもしれない。それもある意味では正しい。あなたが知らないことを新しく知りつづけたいと思うのなら、範囲の決められた教科の勉強なんてどんどん逸脱していかざるをえないからだ。けれどもそのためにこそ、自学自習の方法が必要になる。あなたは確かに、「テストのための勉強」を超えなくてはいけない。そしてそこには先生もいないし、宿題もない、適度に区画化されたテスト範囲もないのだ。その広野に出ていくための基礎が、教科の勉強であり、自学自習法であると思ってもらいたい。

 それから、「自分の頭で考える」ということについて。とても魅力的なひびきで、実際に決してやめてはいけないことだと思う。けれどもその魅力につけこんで、「自分の頭で考えたような気にさせて、実はすでにある考えへと巧妙に誘導する」ようなものが、世の中にはうんざりするほどある。だから、矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、「自分の頭で考える」ためには、まずは自分ではないものに頼って考えなければいけない。「自分ではないもの」とはつまり、人類が蓄積してきた知識であり、学ぶ方法であり、考える方法である。「自分で考える」力は、そんなふうに訓練することで鍛えられていく。そうでないのなら、生まれ持った「地頭のよさ」ですべてが決まることになってしまう。反対に言えば、自分の学ぶ力を自ら鍛えていくことは、生まれながらに割り振られた数々の不公平を、あなた自身で克服する手段に他ならない。それこそがいわば、「本当の知性」のなせるわざではなかろうか。

 そのためにもやっぱり、まずは勉強の方法を知らないといけない。


 くりかえし言おう。あなたは誰の言うことも聞かないまま、たったひとりで勉強をはじめることができる。もっと言えば、勉強をしようとするのなら、あなたはどこかでたったひとりにならざるをえない。もし教えてくれる誰かがいたとしても、結局学ばないといけない主体はその誰かではなく、あなた自身だからだ。

 さあ、勉強をはじめよう。教わることに頼らないために。えらそうにあなたに命令する者に舌を出してやるために、都合のいい誘導にごまかされないために、不平等を打開するために。誰にも服従させられず、あなたがあなたとして生きつづけるために。

 

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著者略歴

  1. 向坂 くじら(さきさか・くじら)

    詩人。「国語教室ことぱ舎」代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」朗読担当。著書に第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)、エッセイ集『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)。現在、百万年書房Live!にてエッセイ「犬ではないと言われた犬」、NHK出版「本がひらく」にてエッセイ「ことぱの観察」を連載中。ほか、『文藝春秋』『文藝』『群像』『現代詩手帖』、共同通信社配信の各地方紙などに詩や書評を寄稿。2022年、ことぱ舎を創設。取り組みがNHK「おはよう日本」、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などで紹介される。1994年名古屋生まれ。慶應義塾大学文学部卒。

  2. 柳原 浩紀(やなぎはら・ひろき)

    1976年東京生まれ。東京大学法学部第3類卒業。「一人一人の力を伸ばすためには、自学自習スタイルの洗練こそが最善の方法」と確信し、一人一人にカリキュラムを組んで自学自習する「反転授業」形式の嚮心塾(きょうしんじゅく)を2005年に東京・西荻窪に開く。勉強の内容だけでなく、子どもたち自身がその方法論をも考える力を鍛えることを目指して、小中高生を指導する。

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