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マイノリティの「つながらない権利」

問題提起編 2.当事者コミュニティの功罪(4)

現状への対処法を知ることができる

 当事者コミュニティへのアクセスによって私が得られたものの一つに、他の当事者から、現在自分が差別を受けていると指摘されたことが挙げられる。

 差別されないため、あるいは差別に遭ったときのために、マイノリティ性のある人々に教えられるのは、どういうわけか、自分のマイノリティ性の“理解”と適切な“開示”である。

 マイノリティ向けのイベントでも、“理解”と“開示”は話題になりやすい。

 障害者雇用を専門に扱っている転職エージェントのサイトに「障害理解が転職の鍵」などと書いてあるのを見たこともある。

 自分のマイノリティ性を理解し、適切に開示できるようになりましょう。

 円滑なサポート依頼の方法を学びましょう。

 それらの言葉は、たしかに正しい。

 修学や就労にあたり、マイノリティが自身の欲しい合理的配慮を明確に伝えられない場合、学校も職場も困惑するしかない。学校や職場は、本人以上にどうしたらいいのかわからないのだ。

 だから、しっかりと根拠を示して、伝えられるようになっておく必要がある。適切な配慮を得るために、“理解”と“開示”は欠かせないプロセスではある。

 

 だが、マイノリティに相手の理解を求める努力をさせる前に、明確にすべきことがあるはずだ。

 それは、不当な扱いを受けたら怒っていいし、相手を通報したり訴えたりといった然るべき対処を選択することもできるし、公に抗議することも可能だという、当然の権利の存在だ。何が不当な扱いや差別にあたるのか、といったことも含めた、基礎知識は欠かせない。

 自分を含めたマイノリティ、特に若い世代には、“怒る”こと、“抗議する”ことを避ける気風があるような気がしてならない。“怒る”のではなく、“抗議する”のではなく、楽しくわかりやすく、そして優しく“理解を求める”べきだ――。そんな言説がマイノリティ自身からも発せられるこの現状を、私は憂えている。マイノリティはどこまでマジョリティにおもねらなければならないのだろうか。踏みつけられ続け、それでもなお、相手を気遣い、傷つけないように伝えねばならないのか。

 マイノリティ自身でさえそう考えてしまうこともある社会で、マイノリティの子ども達が育つ環境――保護者、先生、その他支援者――は、“怒る”方法や“抗議する”方法、差別にどう抗するかを教えてくれるだろうか。その可能性は限りなく低い。

 

 自分のマイノリティ性を“理解”し、適切に“開示”することの重要性を否定しているわけではない。しかし、“理解”と“開示”では解決しない問題もあるのだ。

 どれだけ適切な言葉を選んでも、理解しない相手はいる。理解する気がない相手もいる。

 平然と差別を続ける人間は、見渡せばいくらでもいる。残念ながら、この国の中枢にもいる。セクシュアルマイノリティが公然と差別を受けている事実は、多くの人の知るところだろう。

 そんなときに必要なのは、“理解を求める”態度ではない。

 相手の何が正しくないのか、根拠を持って指摘し、然るべき機関や専門家のサポートを得て、立ち向かうことだ。

 でも、そんなことを教えてくれる人に出会えない場合も少なくない。周囲の人間も、真にマイノリティ性とともに生きる本人のことを思っているとは限らないからだ。周囲にとって、“都合のいいマイノリティ”でいるならば、大事にする。そのような理解者や支援者の皮を被った、ときに有害ですらある人間は、案外多いものだ。

 私が疑い深いから、というのではない。実際に、差別経験を周囲に相談しても力になってもらえなかったどころか、諦めるように言われたり、それどころか、本人が悪いかのように言われるなどの二次加害を受けたりした話は珍しくない。

 

 しかし、当事者コミュニティにいる他の当事者がそのような反応をする可能性は低くなる。マイノリティ性を共有して当事者コミュニティに集まっているのだから、他の当事者の現状をよくすることは、自身の現状をよくすることにも繋がる場合が多い。

 それゆえに、他の当事者からの、「それって差別だよ」という言葉は貴重で、真に迫ったものになる。当事者コミュニティの性質にもよるが、そういった現状への対処法――どこへ訴え出ればいいか、またその人の利益のためにどうすべきかなど――の蓄積があれば、他の当事者に一緒に対処法を考えてもらうこともできる。

 

 私自身、就職差別を受けた際に、当事者コミュニティでの他の当事者から、「それは差別だよ。怒っていいことだ」と指摘された。その指摘からは具体的な抗議行動などには結びつかなかったものの、このように文章を書くに至ったきっかけの一つとなっている。

 私は、文章で差別の存在や、マイノリティを取り巻く現実を伝えている。私の文章を読んで、「自分のされていることは差別で、不当な取り扱いだ」と気づくマイノリティがいたなら、そしてその現状に抵抗したり、逃げたりする決意を後押しできたなら、私が当時受けた指摘は実を結んだといえる。

 

 公教育ではなく、マイノリティ自ら集まる当事者コミュニティで差別に抗する方法を知るしかない現状は到底肯定できるものではない。前回までで述べてきたように、当事者コミュニティはマイノリティの誰もがアクセスできるものでもないし、誰もが心地よい場所であるとは言い切れないからだ。

 しかし、当事者コミュニティが差別に抗する方法を共有する場としての役割を果たしていることは事実で、大切な役割を果たしてきてくれていることには感謝している。

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著者略歴

  1. 雁屋 優(かりや・ゆう)

    1995年、東京都生まれ。生後数ヶ月でアルビノと診断される。高校までを北海道の普通校で過ごし、関東の国立大学理学部に進学、卒業する。卒業とほぼ同時期に発達障害の一つ、自閉スペクトラム症(ASD)とうつ病と診断され、治療しながら就職活動をする。病院勤務、行政機関勤務を経て、現在は札幌市を拠点にフリーランスのライターとして活動。科学、障害に関するインタビュー記事、ジェンダー、障害、セクシュアルマイノリティに関するコラムの他、さまざまな執筆業務を手がけている。誰かとつながることが苦手でマイノリティ属性をもつからこそ、人とつながることを避けて通れないという逆説的ともいえる現状に疑問を抱いてきた。日本アルビニズムネットワーク(JAN)スタッフ。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。

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