裁判の傍聴を終えて
2016年7月に起こった「津久井やまゆり園事件」が問いかけるものはあまりに大きく重い。優生思想、「生産性」をめぐる議論など、われわれの社会を根底から揺さぶるこの事件の思想的課題について、被告との面会記録を踏まえて検証していく。
最終回 裁判の傍聴を終えて
1.人間社会の「根源悪」
障害者殺傷事件の裁判は、新型コロナウィルス感染の拡大の最中、3月16日に死刑判決が下された。被告は、「2020年に日本が崩壊する」「日本を救わなければならない」などと語っていたが、まさに現実のものとなったのである。被告が愛用していたイルミナティカードには「複合災害」のカードがあり、銀座の時計台が崩壊し、五輪の色とりどりの服を着た人が逃げ惑う様子が描かれている。カードは、オリンピックの中止も予言していたのだ。
他方で、フランツ・カフカと同じく不条理文学で知られるアルベール・カミュの長篇小説『ペスト』(1947年)は、2月以降増刷され、累計100万部を突破したという。小説では、ペストの感染が広がって、遮断された社会のなかで感染症という「見えない敵」と闘う市民の姿が描かれている。感染拡大による行政や経済の混乱、封鎖された都市を描写した表現など今日的状況にも通じる。カミュの描く『ペスト』は、「コロナ」と置き換えることができるが、それだけではない。ペストそのものに人間の内面には「根源的な悪」があることを指し示しているのだ。例えば、こういう台詞がある。「誰でもこいつを自分のなかにもっている。ペストだ。なぜなら、誰一人、そう、この世界の誰一人として、ペストから逃れられる者はいないからだ」。つまり、自分が行っている行為が正義や善であることを疑わず、自分の外側に不正や悪が存在するとして、その悪と戦うことで自分の存在を正当化するという思考である。人間社会の内にあるこうした「根源的な悪」、「見えない敵」とは、私たちの「内なる優生思想」に他ならないのでないか。
イルミナティカードCombined Disasters
私は津久井やまゆり園の元職員で、事件で亡くなった犠牲者19人のうち7人の生活支援を担当していた。県立時代の2001年から05年まで職員として働いていた。この事件はメディアをはじめ様々な人がアプローチしている。しかし断片的な報道では、事件の本質を捉え切れていないと感じ、私自身は2017年以降、今日まで被告との面会を17回続けてきた。私は、現在、専修大学の講師という立場であるが、社会科学者の立場からこの事件について何がいえるのか。確かに外部からの批判や論評はできる。しかし、彼らは、そもそもやまゆり園のことも、犠牲者も加害者も知らない。このような事件の時のみ注目し、作家やライター、ジャーナリストなどがこぞって取材する。彼らは一体何のために取材をしているのか。当時の被告の映像や画像を繰り返して使用し、モンスター化することに何の意味があるのか。事件後、障害当事者やその家族をメディアに出演させ、被告を批判・否定しようとしているが、「いのちは大切」「共に生きる社会」などと声高に訴えることが事件に対する回答なのか。疑問を感じざるを得ない。事件に及んだ動機や真相が十分解明されないのは、そもそも被告自身にその経緯や動機を語らせる自己演出の劇場型裁判という手法をとったからではないか。
私は、社会の内側にあるこうした欺瞞性、偽善性が露呈したのが今回の事件だと思う。これは人間社会にある「根源悪」に他ならない。私たちの「内側」にある本音が植松聖という一個人によって実行されてしまったのである。「敵」は外部ではなく内側にいるのだ。つまり、建前ではなく、本音が剥き出しになっているのだ。SNSの普及により誰しもが無媒介に発言できる環境にあり、今までタブーとされた本音の部分が剥き出しになっているのだ。「トランプ大統領は真実を語っている」「民主主義は茶番だ」「家族は障害者年金を搾取している」といった被告の発言は一面において「真実」ともいえる。それは、加害者だけではなく、被害者にもいえるのではないか。そのような思いから、裁判を傍聴してきた。
多くの取材を複数かかえた記者は人事異動で他の部局に移るかもしれない。記者にとっては数ある事件のうちの一つに過ぎないかもしれない。だが、事件の当事者たちはそういうわけにはいかない。一生背負っていくのだ。では、誰がこの仕事を引き受けるのか。当時のことを知る元職員として社会科学者として自分にはその責任があると感じ、事件についての記録を残すために裁判の傍聴をやっていくことに決めたのだ。
傍聴者を取り囲む報道陣(筆者撮影)
2.社会科学者としての責任
私が、植松聖被告に接見するようになった動機は、当時を知る元職員として、また社会科学者としての責任感から裁判の傍聴記を書くということ、記録を残すということだ。その際、念頭に置いているのがユダヤ系政治哲学者ハンナ・アーレントのアイヒマン裁判の傍聴記である。アーレントは、ユダヤ人を絶滅収容所に送り込むのに大きな役割を果たした元ナチスの親衛隊の中佐アドルフ・アイヒマンを裁くエルサレム法廷を記者として傍聴し、取材した。それを記事にして『ニューヨーカー』誌に連載した原稿を一冊にまとめたものが『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(1963年)である。
アイヒマン裁判の傍聴記のような仕事をやまゆり園事件を通してすること、それが社会科学者として私に課せられた仕事ではないかと思ったからだ。事件後、一年目の後半くらいから接見が可能になったので、2017年の9月から手紙のやりとりをし、接見をはじめた。その頃は、被告の「獄中手記」が『創』に連載されはじめていた。
では、植松被告にどうアプローチするのか。そこで頭を過ったのがフランツ・カフカの『訴訟』(1925年)に収められている「掟の門」という寓話である。このテキスト自体は、短いが、法律家や、学者にもよく知られた作品である。そこでまず、テキストを読んで感想を書いてもらう。それが目的だった。この物語は、現代思想の焦点になっている作品である。主人公である田舎から出てきた男が、門のなかに入れてくれと何度も頼むが、何年経っても入れてもらえない。そのために貢物などをするがそれでも入れてもらえない、そのうちに年をとり死んでしまう。そういう話だ。「掟の門」は、接近可能なのだが、接近不可能である。門番は「この門はお前だけのものだ」と言いながら、門を閉じてしまう。これは色々な解釈ができる。
テキストは「掟」であって、鍵がなければ入ることはできない。テキストは開かれているがテキストを守っているのは門番である。「門番」は法律家であったり、遺族であったり、マスコミ関係者であったり、批評家である。彼らは門番であると同時に、田舎男である。イタリアの思想家でジョルジョ・アガンベンという人がいるが、彼が「主権の締め出しの構造」ということを言っている。「法」は主人公に対して法を外すことによって法を適用する。「法外」に遺棄させることによって締め出す。権力は何ものかを外部に排除し、そこで包摂する。それが権力の基本的な構造である。つまり、法の外に追いやり、法の及ばない領域を設けて排除する。今回の事件で言えば、それが警察の「匿名発表」である。これが前例となり警察による「匿名発表」、メディアによる「匿名報道」、裁判における「匿名審理」へと続く。つまり「法の外」に追いやり、法の及ばない領域を設け、排除したものをそこで合法的に扱っているのだ。それが「主権の締め出しの構造」である。つまり、「匿名性」とは、法権利が奪われ、法的政治的に宙吊りにされた状態なのだ。このテキストとなっている「掟の門」を植松被告がどうとらえているか。法とは何か、暴力とは何か、そして正義とは何か。そういうことを被告なりに手紙で応えてくれた。
3.強者の論理と「内なる優生思想」
フランツ・カフカに『変身』(1915年)という有名な作品がある。グレゴール・ザムサが朝起きたら巨大な「害虫」になっていて、妹が最初は親身に面倒を見るのだが、だんだん家族は疎みはじめ、妹もやがて世話を止め、グレゴール・ザムサは、最後に死んでいく。そういう話だ。ザムサは「害虫」であるが「障害者」とも読みかえられる。読者は、主人公はザムサだと思っているが、そうではない。「変身」するのは実は家族の方なのだ。『変身』の陰の主人公は家族なのだ。父親は大きな権力をもっていて、ある時ザムサにリンゴを投げつける。それが仇となってザムサの体は腐っていって死んでしまう。
ザムサにとっての「敵」は家族であり、強大な権力をもつ「父」なのだ。引きこもりの問題もそうだが、「敵」は外にいるのではなくて家族の「内」にいるのだ。支援者・介助者といった顔見知りの犯行というのが意外と多い。当事者は、家族の「掟」のなかから排除されていく。社会から排除されているかというとそうではなく、排除されながらも包摂されている。法の及ばない領域に排除することによって包摂する。『変身』はまさにこの構図だ。引きこもりもニートもホームレスも、すべてこの図式でとらえることができると私は見ている。
今回の事件の特徴は「強者の論理」が剥き出しになっていることだ。それはまさに、「健常者」の目線である。太田典礼という国会議員で、かつ産婦人科医で、優生保護法を制定した人物がいる。太田典礼は「日本安楽死協会」を作った人物としても知られている。植松被告は、太田典礼の考え方と非常に似ている。「医者として安楽死させます」と太田典礼は言った。優生保護法は、議員立法として1948年に成立しており、旧日本社会党も法律の制定には関与していた。旧日本社会党の福田昌子と太田典礼は、産婦人科医でもあり、加藤シズエは、社会運動家であった。また当時の民主党の谷口弥三郎も産婦人科医としての知見をもっており、国会における趣旨説明においても産婦人科医という立場から「不良な子孫を抑止する」という考え方に説得力を持ち得たのだ。1948年から96年までそういう発想が半世紀近く続いていた。「出生前診断」で出産をやめる女性は多い。母体保護法に変わっても何ら変わらない。「不良な子孫を抑止する」、結果的にそう考えている人は少なくなくて、はじめから家族に障害者が生まれてくることを望まないのだ。「敵」は「外側」にいるのではなく、「内側」にいるのだ。私もその一人かも知れない。
4.公判を振り返って
公判では、今までほとんど語られなかった小中学校・高校、大学の友人・知人や当日勤務の職員の証言、風俗店の女性従業員の調書、理髪店、心理カウンセラーなどの証言が次々と証拠として読まれ、事件当時の全容がほぼ明らかにされた。知られることもなかった事件当初のショッキングな生々しい状況が浮かび上がった。裁判の最大の争点は、刑事責任能力の有無と程度であった。検察側は、犯行の計画性や一貫性、被告に違法性の認識があった点を強調し、病的な妄想などの影響を否定している。他方で弁護側は、大麻の乱用で事件当時は心神喪失、もしくは心神耗弱の状態であったとし、無罪・減刑を求めた。
横浜地裁前には中継車が並ぶ(筆者撮影)
第8回公判の被告人質問において被告は、自らに責任能力があることを訴え「責任能力がなければ即死刑にすべきだ」と主張した。責任能力のあるものは法の裁きを受けることができ、責任能力のないものは法の裁きを受けることができない。つまり、被告は、自ら規定した「心失者」に自らがなることを恐れているのである。これは被告にとって「屈辱」以外の何ものでもないはずだ。意思疎通のできない重度障害者は家族や周囲も不幸にする。自分が殺害することで不幸が減り、賛同が得られ、先駆者になれる。「心失者」に使われていた税金を他に配分することができ、世界平和に繋がる。それが判決文で示された犯行の動機であった。
第16回の最終弁論において被告は、「この裁判の本当の争点は、自分が意思疎通のとれなくなった時のことを考えることだ」と訴えた。被告は重度障害者を「心失者」として規定し犯行に及んだ。それは、法と「法外なもの」の関係であった。法の内側の健常者は責任能力があり、法の外側の「心失者」は責任能力に問えない。被告は意思疎通がとれるか否かで線引きをし、「心失者」の殺害を実行した。裁判においても責任能力があると認められ法の裁きを受けられたが、結果として死刑判決が下された。公判では2005年から施行された医療観察法についての言及はなかったが、私たちもまた「お前こそいらない」として被告に死刑判決を突き付けた。しかしこうした「言説」は、実は被告自身がいっていたことである。個人による生の選別か、国家による生の選別かの違いに過ぎない。命が大切だというのであれば被告の命ももちろん大切である。
第11回の公判において被告は、「共生社会を実践しても現実的ではない」ことに社会は気づくだろうと語っている。介護殺人、無理心中、社会保障費、難民などの問題があるからである。被告は「安楽死の段階を踏まなければ社会は成り立たない」と主張したが、もし安楽死や尊厳死の合法化が被告の意図するところであるとすれば、私たちはこれをどう受けとめたらよいのであろうか。被告を抹殺や排除、死刑にしただけでは終わらないのである。私たちは《内なるペスト》にどう立ち向かうのか。私たちに突き付けられた課題はあまりにも重い。