明石書店のwebマガジン

MENU

「津久井やまゆり園事件」が問いかけるもの ――元職員の被告接見録にもとづく検証

裁判から何が見えるか(その4)

2016年7月に起こった「津久井やまゆり園事件」が問いかけるものはあまりに大きく重い。優生思想、「生産性」をめぐる議論など、われわれの社会を根底から揺さぶるこの事件の思想的課題について、被告との面会記録を踏まえて検証していく。


第16回 裁判から何が見えるか(その4)

1.判決当日

 3月16日の判決の日、傍聴整理券の抽選会場である「象の鼻パーク」は人で溢れていた。一般傍聴席10席を求めて1603人が列をつくった。倍率は160倍である。通常、一般傍聴席は26席用意されているのだが、新型コロナウイルスの感染拡大予防のため、半数以下になったのである。そればかりではない。抽選用のリストバンドの配布方法にも変更があったのである。通常であれば、係員が列に並ぶ人々にリストバンドを巻くのだが、今回は、参加者自身が巻かなければならないのだ。手首以外にもバッグなどに巻くことは許可されていた。法廷内でもアルコール消毒液を用意するなど異例の対応である。法廷内では横2席を開け、前後には着席しない措置がとられている。
 開廷時間は、13時30分。裁判所の周辺ばかりではなく、ロビーにも報道関係者が大勢詰めかけていた。開廷後まもなく、固唾をのんで見守る中、法廷から記者が出てきて「主文後回し」と叫んだ。その後、45分経って「死刑判決」と告げられた。裁判長が閉廷を宣告した直後に、植松被告が手をあげて「最後にひとつだけ」と発言を求めたこともわかった。3月25日の面会時に確認してみると内容は、「世界平和に一歩近づくためにはマリファナが必要」と言いたかったという。何故、大麻ではなくマリファナなのか。「マリファナは世界的であり、死について考えを深めることができるようになるからだ」という。被告は「長生きするだけでは駄目なのだ」と強調していた。「大麻が認められている国は安楽死を認められている国が多い」と公判では語っていたが、閉廷後の被告の最後の発言は認められなかった。また、小学2、3年次に書いた「障害者は不幸を作る」という作文内容についても明らかになった。この作文は、第11回公判の被告人質問のなかで明らかになったものであるが、元々は被告自身の供述調書に述べられたものである。被告自身は、その時の先生の名前を憶えておらず、作文にはコメントがなかったというが、「戦争をするなら障害者に爆弾付けてつけて突っ込ませたらいいというもの。戦争に行く人が減るし、家族にとってもいいアイデアだと思った」という内容だ。
 判決後、関内駅近くのスカーフ会館で記者会見が行われた。会見は、二つの部屋で行われた。園の関係者、弁護士、障害者家族、裁判員、補充裁判員を含めた8人である。その会見の様子は大きく報道された。その一方で、結審後の2月28日の報道では、2人の女性裁判員が辞退を申し出て横浜地裁に解任される事態も起きている。50代の女性は「選ばれた以上は、職務を全うしたいと思ってやって来れた」。補充裁判員だった女性は、「非現実的な殺人事件で、何に悩んでいいのかも分からない状態だった」と打ち明けたという。2人の女性裁判員が辞任したことについては被告も知っており、面会時には「心が豊かであった。理解してもらえた」と語った。判決後、公判に参加した裁判員ら8人が報道陣の取材に応じたが、問題なのは、被告の弁護側の記者会見がないということである。何故か。弁護側は大麻を長期常用したことで慢性の精神障害となり、心神喪失状態だったとして無罪を主張したものの、植松被告は、自分には責任能力があり、大麻が原因ではない主張していた。このような見解の相違は、裁判以前からあった。被告は公判において「控訴しない」と宣言し、「弁護士が控訴しても取り下げる」と語っていた。一時は、弁護士を解任すると口にしたこともある。裁判の争点においても被告は「意思疎通がとれなくなった時のことを考えるべきだ」と主張し、刑事責任能力の有無を争うべきではないとしている。被告と弁護士のこのような真逆の主張についてそもそも被告の弁護のしようがないのではないか。面会時に確認すると、弁護士から控訴しないと自殺と同じことになると説諭されたという。裁判前に被告は「私が殺したのは人ではない」などと公判で屁理屈をいうつもりはないと語っていたが、その根拠となるのが、自身の障害者施設での経験にあることは間違いない。

傍聴整理券抽選結果発表の様子(3月16日、横浜市・象の鼻パークにて筆者撮影)

2.被告の障害者施設での体験

検察官(女性) 小学校のとき、同じ学校に障害者の児童がいた?
被告 はい。
―― 当時はどう思った?
被告 大変だなと思っていました。
―― どういうところ?
被告 奇声を上げて走り回ってしまうので、大変だなと。
――本人が?
被告 周りの人です。
――では、あまりいいイメージは持っていなかった?
被告 はい。
――大学生になり、実習で障害者施設に行ったことがある?
被告 はい。
――その時は施設について、どう思った?
被告 ろくに勉強していないなと思いました。
――環境としては?
被告 そこは多分、国の施設なので、きれいでした。
――施設の人は?
被告 重たい人もいれば軽い人もいる施設でした。
――その人たちについて。
被告 いる意味があるのかなと思ったりしました。
――園に行き、驚いたと。
被告 大の大人が裸で走り回ったりしていたので、なかなか、見たことない景色だと思いました。
――ほかに?
被告 驚いたところは、自分で排泄ができない方もこんなにいるんだなと、あと、昔は社会にいた人が入所していたことも。
――食事は?
被告 重たい方の食事は、ひどいめしを食べてるなと思いました。
――どんな?
被告 液状のもの。
――固形じゃなく、流動食を?
被告 そうです。
――家族について。
被告 入所してる方は気楽なんですけど、短期の方は重々しい雰囲気だなと思いました。
――あなたとしては、長期の普通の入所の方は?
被告 入所してる方はお気楽でした。
――何か思うところは?
被告 職員さんの悪口とかも言っていたので、気楽だなと思いました。
――職員さんについては、思うところは?
被告 少し感覚がずれてしまうのかなと思いました。
――どんな?
被告 人間として扱えなくなってしまうのかなと思いました。
――「人間として扱えなくなる」とは?
被告 口調が命令口調というか。
――入所者に話すのが、命令口調になってしまう?
被告 はい。
――そのほかは?
被告 やっぱり、人として扱ってないと。
――手を出してしまうことは?
被告 食事の時、流動食の時は、職員がするが、人に食事を与えるというより、もう、流し込むような状況。人間ではないなと思いました。
――暴力を振るうとか?
被告 そういう話は、聞いたことはあります。
――実際に見たことは?
被告 あ~暴力!?
――職員とはそのような話をしたことがあるんですよね。
被告 自分は暴力は、はじめはよくないと思いました。
――暴力の話題になり、よくないといった?相手職員は?
被告 2~3年やればわかるよ、と言いました。
――2~3年やって、あなたは?
被告 嘘じゃないなと思いました。私は無駄な暴力は振るったことはありません。動物と同じで、躾と思い、やったことはあるけど、甘やかしすぎて、食べなくなった利用者がいて、鼻先をこづきました。
――もともと食事ができた方が、職員が甘やかして、今まで食べられた人が食べなくなり、鼻先をこづいたのか?
被告 犬も鼻先をこづいていたので。
――ほかには?
被告 便を触ってしまう人をトイレに座らせる時に、躾をしたと聞きました。痛みとか恐怖とかない方がいる。
――裸で走り回ったり食事を流し込んでいた。職員は人間として扱っていない。そういう経験をして、あなたとしては、重度障害者は要らないと思った?
被告 はい。
――「不幸を生み出す」と。
被告 そうです。

(第9回公判 被告人質問より抜粋)

3.判決文の考察

 判決文では、「被告人自身の本件施設での勤務経験を基礎とし、関心を持った世界情勢に関する話題を踏まえて生じたものとして動機の形成過程は明確であって病的な飛躍はなく、了解可能なものである」としている。夜勤職員に会話ができる利用者かどうかを確認したり、自分で声を掛けたり、自分で見た部屋の様子や自分の勤務経験に基づき、殺害対象を的確に選別している。被告は、勤務開始当初、友人らに対し、利用者のことを「かわいい」と言うことがあったが、仕事中、利用者が突然かみついて奇声を発したり、自分勝手な言動をしたりすることに接した。また、溺れた利用者を助けたのにその家族からお礼を言われなかったり、短期利用者の家族は辛そうに見えたりした。その反面、施設に入所している利用者の家族は職員の悪口を言うなど気楽に見えたり、職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱ってないように感じたりしたのだ。それゆえ、「重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」と記されている。
 判決後の記者会見時には、施設側は暴力の存在を否定したが、現場では多かれ少なかれ虐待が報告されているのが現実である。入所者に食事を与えるというより、流動食を流し込むような状況であったり、命令口調で指導したり、被告には人間として扱ってないように映ったのである。かつて社会学者のアーヴィング・ゴッフマンは、『アサイラム――施設被収容者の日常世界』(誠信書房、1984年)において「全制的施設」における「無力化の過程」と表現したが、まさに施設の構造的な問題である。たとえグループ・ホームであったとしても「ミニ施設」であることには変わりない。そして被告のこの体験は、逆説的に自身の措置入院時にも体験したに違いない。「トイレと監視カメラがつけられた部屋に入れられ部屋のなかを歩き回って自分の考えが正しいか考えた」と語っている。最終弁論では、「裁判の本当の争点は、自分が意思疎通をとれなくなった時のことを考えることだ」と力説したが、被告は、現在、求められている共生社会についてどのように考えていたのだろうか。

乙Eの弁護士 世界平和に近づいたと思う?
被告 近づいた?まだなにも。ただ、良い方向に変わればよいと思います。共生社会を目指すようになったことは、ある意味、一歩、前進したのかなと思います。
――どういうこと?
被告 安楽死を認める、このような段階を踏まなければ、社会はいけないのかなと思っています。
――では、共生社会を目指すのがひとつの段階?
被告 共生社会を実践して現実的な考えでないとわかる。実践してみて無理だとわかる。
――いつか、共生社会が破綻するといいたい?
被告 そうです。
――共生社会を目指すとは?
被告 事件を起こし、とんでもない、おかしい、障害者は大切だ、命は大切だといわれているが、実際は介護殺人、無理心中、問題があることは誰でも知っているからです。
――ということは、社会としては、共生社会へと進んでいるということか?
被告 はい。

(第11回公判被告人質問より抜粋)

 意思疎通のできない重度障害者は家族や周囲も不幸にする。自分が殺害することで不幸が減り、賛同が得られ、先駆者になれる。「心失者」に使われていた税金を他に配分することができ、世界平和に繋がる。それが判決文で示された犯行の動機であった。「19人もの人の命を奪ったので極刑、死刑にしてほしい」。それが遺族らの願いであり、死刑判決であった。しかし、被告自身は、意思疎通のとれないもの、責任能力の問えない「心失者」こそ、不要であり、抹殺の対象だとして事件を起こした。事件そのものは、命の選別に始まり、裁判においても命の選別で終わる。個人による命の選別か、国家による選別かの違いでしかない。命が大切だということであれば、植松被告の命も、もちろん大切である。被告を社会から抹殺・排除しただけでは問題の解決にはならないのである。
 重度障害を持つ「れいわ新選組」の舩後靖彦議員と木村英子議員は判決日、死刑判決が言い渡されたことを受け、コメントを発表した。舩後議員は「被告人を到底許すことはできない」とし、「罪を裁くだけで障害者への差別、命の選別という問題が解決するわけではない」と強調した。「誰も排除しない社会をつくるためにどうしたらよいか、皆さんと一緒に考えていきたい」と訴えている。また、木村議員は養護学校などで虐待を受けた自身の経験に言及し、「重度障害者が隔離され、施設しか行き場がない現状が改善されない限り、第2、第3の植松被告が生まれてくる」と指摘した。植松被告は、自分の死についてどう考えているのか。植松被告からの手紙に同封された「死の前で」と題するエッセイには、次のように綴られていた。

4.死の前で

「ちょと待ってくれっ!! 門を閉めるならせめて一目、中の景色をみせてくれ!!」と叫んだが言葉にならない。声は出ているが歯が無いせいか、肺活量の衰えか、自分でも何を言っているのか分からない。つい先日足を失ったばかりだが、ついに言葉も失った。失ったといっても足はついている。が、この足はもう歩くことはできない。「冗談だろ?」と昔の私は思うのだろうが、本当に歩くことができない。なにかにしがみつかなくては立っていることもできず、情けなくなる程細く弱々しい。身体のふしぶしが痛いし呼吸も上手くできず息苦しい。こんな状態で明るく、優しく、おおらかに振る舞えるわけがないだろう。楽しそうな笑い声が聴こえるだけで腹が立つ。それにさっきの男は誰だったのだろう。ぼやけてよく見えなかったし、知り合いだろうがどうも思い出せない。――…私はそろそろ死ぬのかもしれない。というより、私は常に死んでいた。脳ミソ、目、耳、歯、筋肉の細胞一つひとつが静かに消滅していたのだ。
死んだらどうなるだろう。これまで考えたことがなかった。何故なら、それはまだずっと先のことだと思っていたからだ。死の先は霊界へ逝くか無になるかどちらかだろうが、死ぬ前に愛した人を思い出そう…彼らの笑顔を思い浮べて死ねば、いくらか天国に近いはずだ。がしかし――やっぱり何も思い出せない。ここはどこで、私はだれだっけ?

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 西角 純志

    1965年山口県生まれ。専修大学講師(社会思想史)。津久井やまゆり園には2001年~05年に勤務し、事件の犠牲者19人のうち7人の生活支援を担当した。被告とは、2017年9月以降、手紙のやりとりをし、これまで10回以上接見している。著書に『移動する理論――ルカーチの思想』(御茶の水書房、2011年)、『開けられたパンドラの箱』(共著、創出版、2018年)などがある。

閉じる