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「津久井やまゆり園事件」が問いかけるもの ――元職員の被告接見録にもとづく検証

初公判の前に

2016年7月に起こった「津久井やまゆり園事件」が問いかけるものはあまりに大きく重い。優生思想、「生産性」をめぐる議論など、われわれの社会を根底から揺さぶるこの事件の思想的課題について、被告との面会記録を踏まえて検証していく。


第11回 初公判の前に

1.匿名裁判
 2020年1月8日から障害者大量殺傷事件の裁判が始まる。3月4日が論告求刑、3月16日には判決が言い渡される。審理の日数は、26日間である。「裁判の迅速化」が裁判員制度導入の目的の一つである。今までほとんど触れられていなかった被告自身の家族関係や幼児期の体験など、どこまで解明されるのか注目したい。
 今回の裁判員裁判は、異例の「匿名裁判」である。「法外性」・「匿名性」という、いわば「例外状態」において法権利が停止されたもとでの審理がなされる。傍聴席に遮隠(パーテーション)が設置され、遺族や被害者の家族などが、ほかの傍聴席から見えないようにする異例の措置がとられる。裁判においても被害者が特定される情報を伏せて審理される。公判では、被害者は、負傷の程度などによって「甲」「乙」「丙」の3グループに分けられ、「甲A」、「乙A」、「丙A」といった呼称がそれぞれにつけられ審理される。被告の弁護側が、薬物性精神障害による心神喪失状態だったとして無罪を主張することが2019年12月13日の報道で明らかになった。横浜地裁は、同日、公判前整理手続きが終了し、2020年1月の公判で、刑事責任能力の有無などが争点となるとした。被告の弁護側は、薬物性精神障害の影響で事件当時、善悪を判断する能力が失われていたと訴える方針だという。いわば、「法」と「法外なもの」を判断する基準が精神鑑定であるというのだ。
 精神鑑定は、3回行われている。1回目は、事件前の2016年2月に北里大学東病院に措置入院した際の精神鑑定である。第一指定医の診断では、主たる病名は大麻精神病、従たる精神障害は非社会性パーソナリティ障害、第二指定医の診断では妄想性障害(高揚気分、妄想、焦燥、易怒性・被刺激性亢進などを認める)とし、薬物性精神障害を併記した。2回目は、検察側の精神鑑定で「自己愛性パーソナリティ障害」という鑑定結果が出され、刑事責任能力は問えるとして、2017年2月24日起訴したのだ。その後、弁護側も精神鑑定を要求し、2018年8月末には終了し、「パーソナリティ障害」との診断が下された。被告の弁護側は、その後、裁判所に再度、精神鑑定を要求したが認められなかった。被告は一時期、立川拘置所に身柄を勾留されることもあったが、それは、精神鑑定のためである。被告は、6つの罪で起訴されている。横浜地検が2017年2月24日に発表した起訴内容の要旨は次の通りである。

2.起訴状の内容
①建造物侵入罪
 建物侵入罪社会福祉法人かながわ共同会「津久井やまゆり園」に入所している利用者のうち、意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で、2016年7月26日未明、相模原市緑区の同園敷地内に、通用口の門扉を開けて侵入した。
②殺人罪
 園内で、いずれも殺意をもって、入所者(当時19)ほか42人に対し、身体を柳刃包丁等で突き刺すなどし、入所者(当時19)ほか18人をそれぞれ腹部刺創による動脈損傷に基づく腹腔ふくくう内出血等の各死因により死亡させて殺害した。
③殺人未遂罪
 入所者(当時51)ほか23人には、それぞれ全治約9日間ないし全治約6カ月間の前胸部切創、両手背挫創等の各傷害を負わせたにとどまり、その殺害の目的を遂げなかった。
④逮捕致傷罪
 外部への通報等を防ぐなどのため、同園職員の身体を拘束しようと考え、職員(当時37)に対し、包丁様のものを示しながら「騒いだら殺す」などと申し向け、逃げ出した職員を転倒させ、その後頭部を床面に打ち付けさせる暴行を加えた。さらに結束バンドでその両手首を緊縛して同園内を連れ回し、別の結束バンドで廊下の手すりに縛り付けるなどし、不法に逮捕するとともに、全治約1週間の傷害を負わせた。
 また、職員(当時39)に対し、顔面に暴行を加えた上、結束バンドでその両手首を緊縛して同園内を連れ回し、さらに、別の結束バンドで廊下の手すりに縛り付けるなどしたが、職員が隙を見て逃げ出したため、その腕をつかんでトイレに連行し、同所の個室内の手すりに縛り付け、不法に逮捕するとともに、全治約2カ月間の傷害を負わせた。
⑤逮捕罪
 職員(当時23)に対し、結束バンドでその両手首を緊縛した上、廊下の手すりに縛り付け、不法に逮捕した。職員(当時54)に対し、包丁様のものを示しながら「こっちに来い、早くしないと殺すぞ」などと申し向け、結束バンドでその両手首を緊縛した上、廊下の手すりに縛り付け、不法に逮捕した。職員(当時35)に対し、包丁様のものを示しながら、結束バンドでその両手首を緊縛した上、廊下の手すりに縛り付け、不法に逮捕した。
⑥銃刀法違反罪
 業務その他正当な理由による場合でないのに、津久井やまゆり園内において、柳刃包丁等5本を携帯した。 

3.「裁く」ということ
 今回の裁判員裁判は、まず司法の姿勢、そしてメディアを含む私たちの裁判に臨む姿勢が問われている。警察による「匿名発表」、メディアによる「匿名報道」そして、裁判においても「匿名審理」である。裁判史上例のないこの「匿名審理」を司法はどう説明するのか。遺族の意向と称して匿名扱いにし、遮隠(パーテーション)で仕切るという対応は明らかに「例外状態」である。法権利を停止=宙吊りにし、例外化しているのだ。今回の異例な対応が前例となり、今後もこのような対応がとられるのではないかと危惧する。
 裁判の焦点となるのは、「法」と「法外なもの」に司法がどう判断を下すかということである。起訴状に記された事実関係は概ね間違いないし、被告も認めるであろう。検察側の精神鑑定では、被告は「自己愛性パーソナリティ障害」と認定され、刑事責任能力は問えるとした。報道によれば被告の弁護側は、薬物性精神障害の影響で事件当時、善悪を判断する能力が失われていたことを理由に無罪を主張するという。しかし、面会時に確認してみると被告自身は、大麻の使用は認めているものの大麻の影響ではないと主張している。ここに弁護側と被告との間の齟齬がある。この齟齬をどう解消するのであろうか。裁判員裁判というシステムの内部に入ると、その過程がわかりづらく、全く見えなくなってしまう可能性がある。裁判員裁判というシステムのなかでは、私たちが常識に従って行動することが、必ずしも司法の常識ではないのだ。何が常識的で正しい行為なのかは、訴訟をどのような角度から見るかによって異なる。訴訟過程においては、被告は弁護士に従うのが常である。被告は弁護士の忠告に従って訴訟の見通しを立てる。だが、弁護士は被告の意思を正確に理解した上で裁判を進めているわけではない。弁護士は自らの掟に従って物事を進めているだけなのである。
 カフカの『訴訟』を想い出そう。被告は弁護士が自分の立場を代弁しているのではないことに気づき、この違和感は裁判過程が進むほど大きくなる。結局のところヨーゼフ・Kはその過程の主体になることができず、訴訟過程はヨーゼフ・Kの意思とは離れた別の過程として進行していくのである。カフカの『訴訟』では、裁判所は到達不可能な場所として、裁判官は不可視の存在として描かれている。『掟の門』に登場する門番は法に仕えるものであり、そこでの掟に従って行動している。門番は、人間の批判や誘惑には決して応じない。門番は最後に「これはお前だけの門だ」と言い放って門を閉める。門を閉めるという行為は「判決」そのものである。門番は門を閉めることによって役目を終えるとともに、「門の入り口は常に開かれている」という掟を破ってしまっているのである。そしてこの門番の経験こそが、「裁く」という経験の本質を示している。
 「裁く」とは、障害者の立場、市民の感覚で裁くことではない。被害者や加害者の感情に同一化して裁くことでもない。ましてや、過去の判例から刑を決めることでもない。「裁く」とは、ある人の犯した行為を、その行為に付け加わった様々な「物語」を排除して、あたかも「法」がその人にだけ向けられているかのように自らの全責任をもって、法を適用するということである。これは単に法を厳密に適用することよりも圧倒的に難しいことである。「裁く」という行為は、裁く人に途轍もない責任と孤独を強いることになる。常識や感情といった日常的なレヴェルの判断で裁くならば、社会から排除することでしかないであろう。真の裁きの不在は、隔離や排除という社会防衛機能ばかりを強めていくことになりかねない。今回の裁判員裁判では、何が裁かれるのであろうか。あるいは、私たちは何を裁くべきなのであろうか。私たちには、その「問い」を問い続けることが求められている。

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著者略歴

  1. 西角 純志

    1965年山口県生まれ。専修大学講師(社会思想史)。津久井やまゆり園には2001年~05年に勤務し、事件の犠牲者19人のうち7人の生活支援を担当した。被告とは、2017年9月以降、手紙のやりとりをし、これまで10回以上接見している。著書に『移動する理論――ルカーチの思想』(御茶の水書房、2011年)、『開けられたパンドラの箱』(共著、創出版、2018年)などがある。

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