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「津久井やまゆり園事件」が問いかけるもの ――元職員の被告接見録にもとづく検証

事件はなぜ防げなかったのか

2016年7月に起こった「津久井やまゆり園事件」が問いかけるものはあまりに大きく重い。優生思想、「生産性」をめぐる議論など、われわれの社会を根底から揺さぶるこの事件の思想的課題について、被告との面会記録を踏まえて検証していく。

 津久井やまゆり園での事件から3年目を迎えようとしている。津久井やまゆり園事件とは、2016年7月26日未明、神奈川県相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者など46人が次々に刃物で刺され、入所者19名死亡、職員を含む27名が重軽傷を負うという戦後最悪の事件である。2017年4月以降、施設の建替えのため、入所者のほとんどは、横浜市港南区の芹が谷園舎に仮移転している。現在、建替えのための解体作業は終盤に差し掛かり、かつての面影もすっかり消え失せ、時間の経過を感じさせる。
 たまたまその場に居合わせたというだけで事件に巻き込まれたり、自分の意図に反して、自分の意図とは異なる方向へと追い詰められていく。アウシュヴィッツの生還者、プリモ・レーヴィは、これを「恥辱感」「恥ずかしさ」といった。「自分自身に釘づけにされているという事実、自分自身から逃れて隠れることの根本的な不可能性、自分自身のもとへの自我の容赦ない現前」である。すなわち「引き受けることのできないもののもとに引き渡される」ということである。だがしかし、そんなことばかりいってはおられない。あらゆる事件・事故がそうであるように、今回の事件も消耗品にすぎないともいえるのだ。人の不幸を商売にしていると叫んだところで亡くなった人たちは戻ってはこない。そのことをまずもって自覚したうえで事件に向き合いたい。


第1回 事件はなぜ防げなかったのか

1.措置入院をめぐる議論

 犯行予告の手紙(マニフェスト)まであるのになぜ、事件を未然に防ぐことができなかったのだろうか。というのも、事件はほぼ計画通り決行されているからである。そればかりではない。被告は、国家や社会から賞賛されると本気で考えていたのだ。そもそも「手紙」は、総理大臣・自民党本部に持って行く予定であった。だが、断られ、やむなく衆議院議長に宛名を変えたのだ。麹町警察署から津久井警察署、法人事務局に連絡が入り、面談の結果、警察署員に保護され、緊急措置入院となった。措置入院とは、自傷他害の恐れがあり、都道府県知事、または政令指定都市の市長の権限と責任において精神科病院に強制入院させるというものである。相模原市は、2010年に政令指定都市に移行したので神奈川県知事ではなく、相模原市長の名のもとに措置入院が行われた。被告は、2016年2月22日に措置入院となり、その恐れがなくなったと判断され3月2日に退院となっている。わずか10日余りだったのである。長期入院させれば事件は防げたという見解もあるが、それは人権上問題がある。被告は退院後、生活保護を申請し7月26日に犯行を実行に移したのだ。
 措置入院は「逮捕状なき逮捕、裁判なき拘禁」であるという意見もある。精神科医の井原裕氏は次のようにコメントしている。「事件は、刑事政策と精神保健福祉法のはざまで起きた。医者にできるのは病気を治すことで、退院後、危険な考えを持った人物を警察に引き継ぐ仕組みがないことも問題。司法もブレーキ役として関与し、3者の連携を密にしていくしかない」(2018年8月5日神奈川新聞)。
 私が、面会を通じて分かったのは、被告は、措置入院のときに決行を決意し身体などを鍛えたということである。この事実には驚かされる。彼は「本気」だったのだ。では、退院してから決行まで被告は何をしていたのだろうか。面会時に被告は、社会勉強をしたと答えている。「生活保護を申請したので生活の保障もありました。友だちや女性と遊んだり、引き続き、筋トレもしていました」。「友だちには、実行の話をしました。全員が反対したといわれていますが、半分は賛同していました。でも、警察に話を聞かれたときに、そのように答えられませんよね」。「勤務していたときは、4人の職員に考えを打ち明けましたが、1人は、ダメだよ、というだけで理由は挙げられず、もう1人はヒトラーと同じだと反論しました。2人は法律が赦さないといっていました」。「驚いたことは、人生でモテモテのヤツほど、賛成してくれたことです。彼らは安全な言葉を選びませんでした」。
 事件後、厚生労働省の検証チームは「退院後の支援が不十分」だったとして自治体が全患者の支援計画をまとめるよう提案。精神保健福祉法の改正もめざしたが、障害者団体から監視強化につながるとの批判があり廃案になった。国会議員からは対象者にGPS端末を装着させるという意見もあったが、監視強化につながるという批判の声があがった。
 それでは、当園の運営母体である「かながわ共同会」の待遇や園の対応に問題があったのか。決してそうとは言い切れない。面会時には、「園の待遇や労働条件に不満があったわけではない」と語っている。被告の言動については事件以前にも職員には知られており、また、地域における防犯カメラの設置などそれなりの対応がとられていた。被告は、衆議院議長宛ての手紙を渡した後、園に呼び出され退職しているが、それですべてが終わったわけではなかったのだ。犯行日時が特定できれば未然に防ぐことができたかもしれないが、そこまでは推測できなかったのである。

2.地域生活移行をめぐる議論

 では、津久井やまゆり園が入所型の施設ではなく、グループホーム(GH)などの小規模分散型の施設であれば大量殺人は防げたのか。この点について被告に訊ねると、どちらにせよ犯行に及んだと答えている。これも驚きである。津久井やまゆり園にはグループホーム(GH)はすでに4か所あり、事件以前にも数名の利用者が地域生活移行をしている。確かに小規模施設であれば犯行を防ぐことはできたかもしれない、あるいは犠牲者数を減らすことはできたかもしれないが、事件そのものと地域生活移行とは切り離して考えなければならない。事件を契機として、入所施設のあり方や、脱施設化の流れをつくることは重要だが、今のところ残念ながらその流れが十分できているとは言い難い。事件発生からわずか3か月後、神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を制定したものの、1年後のアンケート調査では憲章の認知度が低いことが浮き彫りになった。事件の犠牲者は知的障害者であり、県民の多くは接点がないからである。事件が起こった場所は、自分たちが暮らす地域とはかけ離れた場所であり、身内に障害者がいない人にとっては他人事なのである。「そっとしてほしい」「かかわってほしくない」という遺族の意向、「匿名性」も少なからず影響している。「意思決定支援」「安心して安全に生活できる場の確保」「地域生活移行の推進」を三本柱とする津久井やまゆり園の「再生基本構想」をどう浸透・普及させていくのかが課題となる。「かながわ憲章」の普及よりは「再生基本構想」の浸透・普及の方が現実的である。

3.被告本人の「資質」をめぐる議論

 では、被告本人の資質に問題があったのか。その可能性が最も高いと私は見ている。当園においても虐待などについての研修も行われてはいたが、本人に話を聞くと虐待がエスカレートして殺害に至ったわけでもないのである。当初、利用者へのいたずら書きが問題視されたが、本人は事件との関係を否定している。優生思想やヘイトクライム(憎悪犯罪)という論調も見られたが、本人は、「世界平和のため」、「国家財政の逼迫を解消するため」に、意思疎通のとれない障害者を安楽死させることを提案しているのだ。刺青や大麻の線はどうだろうか。当初、「脱法ドラックを使用しており、脳が壊れたので大麻に変えた」と本人は主張している。措置入院の際は、第一指定医の診断では、主たる病名は大麻精神病、従たる精神障害は非社会性パーソナリティ障害、第二指定医の診断では妄想性障害(高揚気分、妄想、焦燥、易怒性・被刺激性亢進などを認める)とし、薬物性精神障害を併記した。刺青は、印象が極めて悪いが、犯行と直接結びつけるのは無理がある。事件を抑止するための防犯対策やそのための手段は、それなりにとられてはいたが、ほとんど機能していなかったというのが率直な感想である。すなわち、起こるべきして起こったのである。次回は、犠牲者について書くことにしたい。

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著者略歴

  1. 西角 純志

    1965年山口県生まれ。専修大学講師(社会思想史)。津久井やまゆり園には2001年~05年に勤務し、事件の犠牲者19人のうち7人の生活支援を担当した。被告とは、2017年9月以降、手紙のやりとりをし、これまで10回以上接見している。著書に『移動する理論――ルカーチの思想』(御茶の水書房、2011年)、『開けられたパンドラの箱』(共著、創出版、2018年)などがある。

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