明石書店のwebマガジン

MENU

教わることに頼らないための自学自習法

コラム:テストとは何か? なぜ試験勉強は勉強ではないのか

柳原浩紀

 あなたが自学自習をするなら、自分自身に何が足りないかを知らなければならない。だとすれば、定期試験や小テストのようなテストが多ければ多いほど、自分に足りないものを見つけられるのだろうか。
 しかし、これは大きな間違いだ。そもそも定期試験や小テストのための勉強は、決してあなたの力にはならない。
 なぜだろう。それを考えるために、まず定期試験とはどういうものか、確認してみよう。

 複数の科目をまとめて試験をする。それぞれの科目に手を抜かないことを要求される。その一つ一つの科目について、やるべき課題や試験範囲が大量である、などなど。こうした特徴をもつ定期試験に対して、あなたがとることのできる唯一の手段は、「よくわからなくてもとりあえず覚える」「よくわからなくてもとりあえず解く」ではないだろうか。そして、これは何一つあなたの身には残らない無駄な強時間になってしまう。あまりにもテストされる分量も科目も多すぎる場合、学びの3つの手段「覚える」「解く」「わかる」の中で「わかる」という時間のかかるものに取り組む時間はないからだ。
 もちろん一つの科目について、課題の量をしっかり絞り込んだり、提出物を減らしたりしてくれる良い先生もいるだろう。しかし、「全科目頑張る必要はないぞー。英語と数学だけ頑張ってね!」と言える先生はいない。それは他の先生の仕事を否定することになるからだ。「情報」だの「公共」だの、科目はどんどん増えるばかりだ。すると、一つの科目の試験範囲や課題の分量が多すぎることも大問題だが、そもそも複数の科目を同時に勉強しなければならない定期試験では、「後々まで定着するレベルにまで全教科の全範囲を理解する」ということはほとんどの子にとって不可能だ。だからこそ、そのためにどんなに頑張っても、試験が終われば何も残らない。
 たとえるなら、定期試験や小テストは短距離走、受験勉強は長距離走だ。明日までなら詰め込んで忘れないことも、範囲が広い受験勉強で意味もわからずに詰め込むことは不可能だ。だからこそ、別の種目であり、定期試験や小テストの勉強をいくら積み重ねようと、それは受験勉強には通用しない。その2つの勉強が全く別の種目であることをあなたはまず知らねばならない。

 ではなぜ、このようなテストが多いのだろう。それは、これらのテストはあなたの力をつけるためではなく、あなたの成績を評価するためのツールでしかないからだ。これが、テスト勉強は勉強ではない、という理由だ。そもそも目的が違う。あなたが力をつけるためではなく、学校があなたを評価するために多くのテストは存在する。「学校側の都合で生徒評価という目的のために行われる数多くのテストが、あなたの実力をつけるという目的にもたまたま役立つ」というようなラッキーをあなたは期待してはいけない。
 どのようなテストを課されるかは、実はあなたにどのような努力が必要であるかを伝えるメッセージとなる。だからこそ、誤ったメッセージが発せられているなら、そこからはしっかりと距離をおいて、あなたの勉強時間を無駄に消費し尽くされないよう守り抜いていかねばならない。あなたが大量の小テストや試験の勉強を頑張っても、それがあなたの実力には何一つつながらなかったとき、それを課す先生たちはその結果に何一つ責任をとらない。不合格も含め、あなたの努力不足としてしか見られないだろう。そんな理不尽に付き合っている暇はない。

 まとめれば、このように定期試験や小テストは、

①広い範囲を長期的に定着させるための勉強法をとれない。なぜなら狭い範囲を短期的に(しかし多数の科目とともに)勉強するものだからだ。すると、理解をおきざりにして、3日後には何も残っていなくても、とりあえず詰め込むことが最善のテスト対策となってしまう。

②そもそも定期試験は(多くの場合、小テストも)評価のためのツールであり、教育のためのツールではない。

ということになる。だとすると、広い範囲の内容について長期的に通用する実力をつけていくためには、そうした定期試験や小テストの勉強を目標としないで、受験勉強を目標として鍛えていくことがよい、ということになる。

 それでも、「テストが多い学校ほど面倒見が良い学校である」という思い込みはまだまだ強いようだ。そしてこれは、何を勉強すべきかがわからない、というあなたの不安な心に忍び込んでくる。前々回(『なぜ学習法が大切なのか?』)書いたように、やらされるテストが多ければ多いほど、何を勉強するべきかについてあなたは考えないで済むからだ。しかし、そのように与えられた目標を不安を振り払うためにこなす、という勉強からは距離を置くことが、あなたの実力をつけ、あなた自身を守るためには必要なことである。
 また、そうしたテスト勉強しかしないことの弊害は、あなたの勉強時間を大きく奪われることだけではない。たとえば学校で行う小テストや定期試験であなたが努力して良い成績を取れていたら、あなたは自分が勉強を得意だと思ってしまうだろうし、先生もその思い込みを助長するだろう(「試験勉強を頑張っている子が受験も強い!」というように)。しかし、実際には、あなたが受験勉強を始めて一番最初に思い知り、愕然(がくぜん)とするのは、定期試験の成績は、あなたの受験勉強の実力を全く保証しない、ということだ。あたりまえだ。理解しなくても短期的に詰め込めば取れるテストへの努力をいくら積み重ねても、それはあなたに定着していかずに剥がれ落ちていくだけだからだ。
 だからこそ、そのような不安に負けずに、何を勉強すべきかを自分で考え、探していこう。そのためのヒントは、常にあなたにとって今何が足りないかだ。そしてそのためには押し付けられるテストはすべて邪魔でしかない。誰かの恣意的なテストをほしがるのではなく、あなた自身が日々自分をチェックをすることがとても大切だ。そしてそのためのわかりやすい指針は、「覚える」「解く」「わかる」の中であなたの足りないものを常に補い続けているかどうか、だ。
 もちろん「受験勉強を目標にすべきだ」というのは入試問題だけ解いていればいい、ということでは全くない。ここまでに書いてきたように理解を伴わないまま問題を解いても、その解答を無理やり覚えることになるだけで、何一つ残らないからだ。理解は「少しはみ出るくらい」がよかった。その理解のステップを着実に登っていけるように、今あなたがいるところからじっくりと始めねばならない。
 そして、ここまでの連載(『理解するとは何か?』『考えるとは何か?』)で書いてきたように、理解することや考えることにはとにかく時間がかかるものだったはずだ。その時間をしっかりとかけてあげることがあなたの勉強を深く、遠くまで残していくことになる。だとすると、膨大な範囲の定期試験や大量の小テストのために「覚える」と「解く」に偏った勉強をこなさなければならない状態は、勉強の仕方として大きな間違いを強いられていることに気づくだろう。

 と、ここまでを理解してもらったとしても、学校に通う以上、定期試験を受けないことは不可能だ。だとしたらどうしたらいいか。わかりやすくするために、あなたの勉強時間をお金にたとえてみよう。あなたの勉強時間を日々の「収入」だとしたら、試験勉強は「生活費」、受験勉強は「貯金」だと思ってやっていくのがよい。貯金が増えれば増えるほど、それを生活費に充てることもできれば、別のことにも使うことができる。一方で収入をすべて生活費にあててしまえば、だんだんと生活費すら賄えなくなってしまう。だからこそ、あなたの勉強時間という貴重なリソースをできる限り「貯金」にまわすことが大切だ。そこが増えれば増えるほど、定期試験もさして勉強せずにクリアできるようになってくるからだ。
 とはいえ、「生活費」をどんどんかさませるような大量かつ難しい宿題、小テストなどを出す学校もある。そういうときは、あまりそれを頑張りすぎないことだ。そのような指導は派手な暮らしで「生活費」を膨らませる浪費のようなものだ。無理して勉強時間を「生活費」に無駄遣いしすぎても、あなたの手元には何も残らない。そんな無駄遣いに無理に付き合って成績を取ろうとする必要はない。学校を卒業できるだけでいい。
 推薦入試の拡大は、学校のテストから距離をおいたうえでの努力を許さないように思えてしまうかもしれない。また、高校入試での内申点が気になる中学生もいるだろう。そんなあなたには上のようなアドバイスは無責任に聞こえるかもしれない。しかし、ここで思い出してほしいのは、理解を伴わないままに暗記や問題を解く勉強でとれる点数などいずれ先細りになる、という厳しい事実だ。理解していないままに定期試験の勉強や小テストの勉強をいくらがんばっても、そもそも定期試験の点数すらどんどんとれなくなってくる(もちろんそんな状態でもとれるテストになってしまっている、というようにテストをさらに歪めてしまっている場合もあるわけだが)。そのような状態になっているなら、もはや試験勉強をしても、定期試験すら点数がとれなくなる。その状態を打開するためには、コツコツと「貯金」を増やしていくしかないのだ。

 勉強の目標をテストに依存しないこと、しっかりと理解するために必要な時間をきちんとかけることで、長期的に残っては受験勉強の力になっていくような勉強へとあなたの貴重な時間を費やしていくことが大切だ。その点でも、自学自習はあなたが誰かを信じたせいで失敗することから距離をおくことを可能にする。
 そして、あなたが押し付けられる「テスト」をテストしていけるようになると、よい距離感だろう。「うーん。これはいい問題だ!」「これはただ覚えさせるだけになってるなあ」「考えさせる問題をこれだけ短い制限時間で詰め込んだら、ただ答を覚えるしかなくなるよね…」などなど。あなたが押し付けられるテストの誤ったメッセージから距離を置くためには、あなた自身が正しく自学自習を進めていくことが必要だ。それを通じてあなたは適切なテストを学校の試験からも模試からも、何なら入試からも選び取り、誤ったメッセージを込めたテストを批判できるようになる。それがまた、あなた自身を鍛えていくためにも、大きな力となる。
 定期試験や小テストに比べれば受験勉強の方があなたにとって有効な射程がはるかに長い実力となるだろう。一方で、受験勉強もまた、あなたの人生すべてを支えるほどには射程は長くない。だからこそ大切なのは、誰かにリクエストされたテストに頼ることなく、あなたを支えてくれる実力のつけ方を考え、鍛えていく姿勢を身につけていくことだ。
 もちろん抑圧的な組織の中では、無意味な作業であれそれに従う忠誠心が、より普遍的な実力を鍛えることよりも優遇されてしまう。それが学校だけでなく、会社や役所、その他のあらゆる組織においても求め続けられるような閉塞したこの社会では、その無意味さを考えないように、目の前に差し出されるテストをクリアしている方が生き延びられるのかもしれない、と絶望する瞬間も多いだろう。「大人がちゃんと戦いきれていないから、この社会は既にそうなってしまっているではないか!」と批判されれば、大人の一人としてその正しい批判にただ恥じ入るばかりだ。ただ、無意味な作業への忠誠心は本来的な努力ではないとあなたが気付けるようになることは、あなたを生き延びやすくするだけでなく、何のために生き延びたいと思っているかを守ることにもつながるのではないだろうか。そしてそれは、抑圧的なこの社会を変えるための一歩にもなりうるだけでなく、何よりあなたを自分自身への絶望から守ってくれるものでもあると思う。
 だからこそ、テスト勉強は勉強にはならないことを自覚し、自分の必要なことに取り組む時間こそが本当に大切な勉強であると思って、あなたは勉強に取り組まねばならない。過大な「生活費」の要求をつっぱねて、しっかりと「貯金」をしていこう。テストと距離を置くことで、あなたが押し付けのテストをテストできるように自学自習していくことを強く望んでいる。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 向坂 くじら(さきさか・くじら)

    詩人。「国語教室ことぱ舎」代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」朗読担当。著書に第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)、エッセイ集『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)。現在、百万年書房Live!にてエッセイ「犬ではないと言われた犬」、NHK出版「本がひらく」にてエッセイ「ことぱの観察」を連載中。ほか、『文藝春秋』『文藝』『群像』『現代詩手帖』、共同通信社配信の各地方紙などに詩や書評を寄稿。2022年、ことぱ舎を創設。取り組みがNHK「おはよう日本」、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などで紹介される。1994年名古屋生まれ。慶應義塾大学文学部卒。

  2. 柳原 浩紀(やなぎはら・ひろき)

    1976年東京生まれ。東京大学法学部第3類卒業。「一人一人の力を伸ばすためには、自学自習スタイルの洗練こそが最善の方法」と確信し、一人一人にカリキュラムを組んで自学自習する「反転授業」形式の嚮心塾(きょうしんじゅく)を2005年に東京・西荻窪に開く。勉強の内容だけでなく、子どもたち自身がその方法論をも考える力を鍛えることを目指して、小中高生を指導する。

閉じる