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教わることに頼らないための自学自習法

コラム:くじけるとは何か? 正しいくじけ方について

柳原浩紀

 これまで自学自習の方法論については話してきた。しかし、方法論がわかったとしても、勉強を続けていくというのは辛いものだ。なんとなく授業を聞くのならば、続けられそうだ。しかし自学自習はそういう何となくの勉強よりは、くじけてしまいやすいのではないだろうか。あるいはくじけたときに先生から励ましてもらえないのも不安なのではないか。そんな風に自学自習についてあなたは不安に感じるかもしれない。
 この不安に対してまず話さなければならないのは、「くじける」ということは決して悪いことではない、ということだ。むしろそれは、目の前の教材や授業が今のあなたにはフィットしていないという違和感に忠実であるから起きることである。そのように違和感を持つなら、教材や授業をあなたにとってあなたの既存の知識や理解を「少しはみ出す」くらいのものへと代えていくことが大切だ。その点で、くじけることは方法や教材について見直しのチャンスを用意してくれる。
 そして、このようなときに大切なのが「教材のレベルを下げる」ということだ。自分が最初に自学自習用に選んだ教材にわからないところが多すぎるのなら、教材を代えた方がいい。教材を自分自身に合うものを選ぶことができる、というのが自学自習の良いところだ。レベルを下げたら、そんな教材をやっても無駄になるかも、なんてことはない。レベルを下げて、あなたの知識や理解を「少しはみ出るくらい」の教材で勉強していくことは、あなたにとってあなたのあたりまえをより増やしていくことにつながる。迂遠(うえん)なように見えても、そのようにして、あなたのあたりまえを少しずつ増やしていくことこそが、あなたの実力をつけていくことにとって必ずプラスになる。
 自学自習は、このようにあなたがくじけることを前提としている。どの科目も最初に選んだ教材で順調に実力がついていくはずがない。むしろ、「これはうまく行っていないな…」という事態にぶつからなければおかしい、とさえ言えるだろう。そして、そのようなときに教材を代えるチャンスが生まれるのは、あなたが「くじけた」ことの恩恵である。そこを「逃げちゃダメだ!」と自己規制してしまったり、「それは逃げだ!」と先生から言われたのを鵜呑(うの)みにしていれば、結局あなたがいくら最初に選んだ教材で必死に頑張っても、その頑張りが何一つ実力として残らないせいでどんどん辛くなってしまうだろう。だからこそ、くじけることはあなたにとって不可欠なだけでなくとても大切なプロセスだ。痛みが身体の異常を伝えてくれるように、違和感を知ることで現在の方法の失敗を教えてもらえる不可欠なプロセスである。
 教材を代えることも、授業を代えることも決して逃げではない。「逃げ」という言葉は根性論を押し付ける以外に何もしてくれない大人たちは大好きな言葉だが、あなたがそれをまともに受け取ってしまって自分を責める必要など全くない。あなたにフィットしていない教材や授業から仮に「逃げ」なかったとしても、そこで失われる莫大な時間や労力は、あなたの実力にはまるでプラスにならないだけでなく、「逃げるな!」と言った先生たちはもちろん何も責任を取ってくれはしない。そもそも勉強というのは「逃げ」てはならない、という倫理の問題ではなく、実際にそれで実力がつくか、という事実の問題であり、そのための方法論の問題である。事実の問題に取り組もうとしているあなたに、効果のよくわからない倫理の問題を押し付けようとする大人がいるとすれば、そのような倫理は、他の手段を用意しなくて済む、という大人の側の都合でしかないのがたいていの場合だ。そんなお説教に惑わされて、自身が今の勉強に確かに感じる違和感を見殺しにしてはいけない。
 痛みを我慢していては大きな病気の進行を野放しにし、やがて命をも危うくしてしまうのと同様に、違和感を我慢することはとても危険だ。あなたがある教材や授業で勉強していて、違和感を感じるということは、あなたがそれにフィットしていないというあなた自身からのサインでもある。それを無視して「くじけない」ことを目的にしてしまえば、結局何のために勉強しているのかもわからなくなる。そしてそれが続けば、やがて取り返しがつかないほどにくじけてしまう。成果の見えない努力を強いられることほど、勝ち目のない戦いはないからだ。
 一方で、せっかく違和感を感じてくじけるチャンスがあなたの前に生じたとき、なかなか正しくくじけることができない場合も多いのだろう。これに関してもあなたのせいではない。大人はどうしてもくじけないように!ということばかりを口を酸っぱくして話したり激励したりはするものの、あなたがくじけたときにどうしたらいいかについての方法論や、そもそもくじけるとは何かということを教えない。それでは「くじけてしまえばもうおしまいだ…」という誤った考え方を身につけてしまい、何とかくじけないように目の前の勉強についていくことばかりを考えがちだ。しかし、あなたがくじけたときこそ、あなたは今感じる違和感に基づいて、勉強の仕方を含めた自分のすべてを再構築していくチャンスでもある。
 間違ったくじけ方というのは、くじけたとき、ただ休んで回復だけを図り、回復したらまた同じことに取り組もうとしてしまうことだ。そもそも取り組んでいる教材や授業があなたにフィットしていないからこそ、今くじけているわけである。だとしたら、いったん休んで少し回復してから再び同じものに取り組んだとしても、休んだ分の遅れだけがさらに気になり、結局それを挽回(ばんかい)することはできないだろう。こうした間違ったくじけ方をあなたに進めるのは、他の頑張り方を提案したり準備したりしようとしないあなたの周りの大人の怠慢でしかない。
 しかし、そうした「正常ルート」への「回復」こそが正しい道であるかのような誤ったイメージはとても強い。これはまた、周りの大人はもちろん、あなた自身にも、「元のルートに戻ってほしい!戻りたい!」という願望がその根底にあるからだ。しかし、違和感を感じて、頑張ってそれにしがみついてもやはりどうにもうまくいかずにくじけたとき、それはあなたが本来取り組むべきではない勉強法である、ということなのだ。くじけたのは、ずっと感じてきた違和感が、ようやく表に出ただけだ。そしてその違和感を無視したままでは、どんなに頑張ってもやがてどうにもうまくいかなくなるだろう。だからこそ休んだだけで元のルートに戻ろうとすればするほど、繰り返し休んでも休んでも、結局どんどんうまくいかないことになってしまう。
 自学自習においてもまた、あなたは何度もくじけるだろう。しかし自学自習では、そのたびに何度も今のやり方でよいのか、今の教材でよいのかを根底から見直すことができる。くじけることを根底から見直すチャンスに変えていくことができる。
 せっかくくじけて、せっかく休むのだ。そのようなときこそ、根っこから疑った方が良い。あなたの違和感を大切に、あなたが今まで頑張ってきたものを根底から疑い、フィットしないものはできるだけ別のものに代えるべきだ。むしろ、くじけることは、そのような根底からの見直しをする機会をあなたに与えてくれる点でありがたいものだとも言える。一生くじけることがないままに生きていける人など、誰もいない。だからこそ、一つ一つにくじけたときに根底から違和感について考えるという習慣を自学自習を通じて身につけることはまた、勉強にとどまらず、その先ずっと続いていく人生のために、しなやかさを鍛えていくチャンスをあなたにくれるのだ。
 もちろん、くじけたときにどこまでやる気がなくなってしまうかは自分にコントロールのできるものではない。教材や授業がフィットしないだけなら、それらを見直して代えればいい。ただ、それらだけでなく、そもそも勉強を続けること、あるいはもっと根本的なことについても、深くくじけた場合には取り組めなくなるかもしれない。そのようなときには「くじけるのは見直しの大チャンス!」などと喜んでいるわけにはいかないようにしか思えなくなるだろう。
 しかし、それを気持ちの問題にしてしまったり、励ましを受けたり、そうした諸々の感情の問題だけにはしてしまわないことが大切であるのは、気持ちがどのように大きく落ち込んだときにもまた同じだ。まだ言葉にもされておらず自覚もできていないどこかで、あなたの具体的な一つ一つの取り組みが上滑りしていることへの違和感によって自分はくじけるのだ、というそのメカニズムに何とか思いを馳せよう。そうすれば、必要なのは励ましや動機づけを受けるという気持ちそのものの問題ではなく、フィットしていない具体的な何かを探していくべきだ、という事実の問題ということが見えてくるはずだ。そのように、個別の違和感を探し、その違和感に基づいて現状を変えようと取り組もうとするとき、あなたはくじけることを通じて自分のありようをアップデートしていくことができる。
 もちろん、本当に苦しいときにはそんな冷静にはいられないのも事実だ。しかし、本当に苦しい状態から感情のケアだけで抜け出ることが決してできないのもまた事実だ。
 そして、そのように自分の違和感の原因を探るとき、あなたは「励ましてもらわなければならないかわいそうな自分」ではなく、明日の天気のようになかなか自分の思い通りにはコントロールできない自分に対して何とか改善点を見つけようとしていく、もう一人の自分を持つことができるはずだ。そしてそこに集中していくことが事実を改善し、やがてあなたの気持ちをも変えていくことになる。
 勉強に限らず、人はくじけずに生きていくことはできない。だからこそ、あなたは自分の感じる違和感を大切にし、くじけることを今までのありようを根底から見直すための大きなチャンスとして正しくとらえ、そして具体的に一つ一つ今までのやり方を改めることに集中していく、という正しいくじけ方を身につけていくことが大切だ。自学自習はそのようにあなたを何度でもくじけさせ、そしてその挫折に対して正しいアプローチを身につけていく練習にもなっていくと信じている。

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著者略歴

  1. 向坂 くじら(さきさか・くじら)

    詩人。「国語教室ことぱ舎」代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」朗読担当。著書に第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)、エッセイ集『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)。現在、百万年書房Live!にてエッセイ「犬ではないと言われた犬」、NHK出版「本がひらく」にてエッセイ「ことぱの観察」を連載中。ほか、『文藝春秋』『文藝』『群像』『現代詩手帖』、共同通信社配信の各地方紙などに詩や書評を寄稿。2022年、ことぱ舎を創設。取り組みがNHK「おはよう日本」、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などで紹介される。1994年名古屋生まれ。慶應義塾大学文学部卒。

  2. 柳原 浩紀(やなぎはら・ひろき)

    1976年東京生まれ。東京大学法学部第3類卒業。「一人一人の力を伸ばすためには、自学自習スタイルの洗練こそが最善の方法」と確信し、一人一人にカリキュラムを組んで自学自習する「反転授業」形式の嚮心塾(きょうしんじゅく)を2005年に東京・西荻窪に開く。勉強の内容だけでなく、子どもたち自身がその方法論をも考える力を鍛えることを目指して、小中高生を指導する。

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