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教わることに頼らないための自学自習法

実践編:社会

柳原浩紀

 社会の勉強の仕方についてはどうだろう。「そんなの頑張って覚えるだけなんだから、正しい学習法とか関係ないでしょ!」とあなたは思うかもしれないし、実際にそれでも定期試験や小テストくらいならなんとかなってしまう。しかし、短期間だけ覚えていればいい、範囲が狭いテストのための勉強方法は、覚えることにおいてすら受験には通用しない。目の前のテストを乗り切っておしまいにせず、受験やその後にも長く残る知識を身につける方法を学ぶべきだ。そしてそのためのポイントは2つ。

①いきなり覚えようとしない。
②何を覚えるかを間違えない。

ということだ。

 まず①の「いきなり覚えようとしない」から説明しよう。
 最終的には教科の内容を覚えることが目的なのだから、さっさと覚え始めるのが話が早い!とあなたはつい思いがちだろう。しかし、それは素振りも守備練習もやらずにいきなり野球の試合に臨み、「最終的な目標は試合で勝つことなんだから、試合を繰り返していれば野球もうまくなる!」と言っているのと同じだ。勉強に関してはとかくこのような間違いが多い。「志望校の過去問を解いていれば、できるようになる!」「問題だけたくさん解いていれば問題を解けるようになる」「英語長文をたくさん読んでいれば読めるようになる」といったように、だ。目指すべき結果は、様々な要素から成り立つ。その中であなたに足りない要素があなたの実力の上限を作ってしまうからこそ、それを一気に実現するのは難しい(リーヴィヒの最小律の話を思い出してみよう)。覚えることにもまた、覚えるための準備が必要だ。
 まず、ここまで話してきたように、覚えるにしても馴染みがないものを私たちは覚えられない。そのためには、ぶらぶらするのがいい、ということも書いてきた。ぶらぶらすることで、教科の内容があなたにとって馴染みのあるものとなり、そこでは「なるほど!こんなのもあるんだね?」と町中を散歩するかのように馴染みのものが教科の内容の中で増えていく。その中には地図であれ、写真であれ、文章であれ、特にあなたの興味を引くものがいくつかはあって、そうしたものに気を取られては読み込んでいくことが、結局はあなたの記憶のフック(引っかかり)となって深く残る。図やグラフを手を動かしたりしてじっくり追っていくのもよい。読む、と言っても目と脳だけでは特にグラフや表のような複雑な視覚情報をすべて把握なんてできるものではない。実際に手を動かして初めて「読める」ものもたくさんある。これもまた、「ぶらぶら」の一環だ。
 そして、このようにぶらぶらするためには、教科書や参考書を読むことをおすすめする。もちろん資料集、地図帳などを読み込めばさらにそのぶらぶらは広がっていくだろう。それは必ずあなたのその分野についての周辺知識を広げ、より確かな記憶へとつながってくる。しかし、一方で勉強には時間の制約があるからこそ、まずは教科書などコンパクトにまとまった一冊でいい。それを覚え始める前に、繰り返し読みつつ、図やグラフ、資料、その他なんでも興味を惹かれるものを眺めながら本文を読んでいこう(わかりやすさ、というのは教材の分厚さと比例するので、わかりやすい教材ほどにページ数が多くなる。一方で、ページ数が多くなれば、それを読み通すことにはくじけてしまいがちだろう。まずはコンパクトにまとまった教科書などを読み、それを読んでもわからない部分だけ、より詳しい参考書で読むといいだろう)。
 もちろん一読しても最初は無味乾燥だ。しかし、繰り返し読んでいくと、その教科についての周辺知識について、少しずつ興味が持てるようになってくる。また、教科書を読むことでストーリーをつかめるようになる。「ストーリーをつかむ」とは、要は「細かいことは覚えていないけれどもざっくりと流れやあらましを他人に説明できる」という状態のことだ。ここでは「理解する」で書いたように、外側の論理を使ってもよい。そして、細かいことを最初から覚える必要はない。「なるほど、こういうことか!」を少しずつ増やしていけばよい。それがあなたが覚えるときにあらましを理解したうえで、細部を詰めていくことを大いに助けることになる。
 このように、覚えていくためには、覚えることにこだわらずに理解することがまず必要だ。そのためには「読む」ことがとても大切だ。そのように読むことであらましを理解してから覚え始めるのと、読まずにいきなり覚え始めるのとでは、まず楽しさが違う。社会科という科目を嫌いな人はたいてい、そもそも読むことなく覚えることだけ必死にやってしまっているが、それではまず続けられない。内側の論理で教科の内容に関する知識を徐々につなげていくためには、まずはそのぶらぶらを嫌がらないことが大切だ。
 と、ここまでを踏まえてみると、先生が作ってくれるいわゆる「まとめプリント」やワークブックの左側に載っている「要点のまとめ」を使った勉強がいかに有害か、がわかるだろう。「大切なことはここにコンパクトにまとめたから、これだけ覚えれば大丈夫!」というこれらの教材はもちろん先生方や教材作成者の方の親切さや善意から作られている。しかし、こうしたまとめにはぶらぶらする余白はない。すべてが大切な情報であり、それはまるで栄養素を抽出したサプリメントのように、何も無駄がない。だからこそ大切な情報をそのまま覚えるしかなく、それらのつながりや、それが他のものとどのような関係になっているかを、切り抜かれたその断片から再現することは初学のあなたにはもちろんできない。すると、「よくわからないけれども、テストに出るからとりあえず覚える」という間違った勉強法に取り組むしかなくなってしまう。
 むしろ、そうしたまとめプリントや要点のまとめのようなものを教科書を読んだ後に自分で白紙にまとめられるか書き出してみて、それをまとめプリントと照らし合わせてみる、という勉強はとても効果的だ。自分でアウトプットしているからだ。しかし、「覚えようとせずにただ繰り返し読む」ということだけしかしていない状態でこれができる人はかなり勉強が得意な人だろう。そんなにすぐにできなくてよい。そのような再現することでのチェックはしっかり覚えてからで十分だ。ということで、次のプロセス、「何を覚えるか」に移ろう。

 ②について話そう。あらましが理解できたとしても、やはり覚えることも必要だ。だが、多くの子たちは言葉のみを覚えてしまっている。「安政の大獄」「レパントの海戦」「地中海性気候」「インフレ」などなど。すると、ワークブックや配られるプリントそのままの問題が定期試験や小テストで出れば、何となく見覚えがあって答えられたりはするものの、ちょっと問い方を変えられたらもう反応できない。仮にそれで定期試験が満点だったとしても、そのような覚え方ではワークブックやプリントの位置、言葉の並びといった特定の文脈に依存して覚えているだけなので「覚える」で書いたように、人はそうした外側の周辺情報を覚えすぎてしまうのだった)、学習内容相互の関係性、という内側の周辺情報とのつながりを持たない。だからこそ、結局時間が経てば何も残らずに受験勉強には通用しない。そのような努力に時間をかけ、短い時間で大量に知識を詰めることができたとしても、結局「安物買いの銭失い」になってしまう。

 覚えるときに大切なのは、ざっくり説明できることを目指すことだ。

 つまり、「安政の大獄」等…といった一つ一つの重要語句が何かを説明できるようにすることがあなたの勉強には大切だ。もちろんこれは、ワードだけを覚えるよりも時間がかかることだ。しかし、そのように重要語句(たとえば教科書の太字の言葉)がすべて自分で説明できるようになれば、どのような問われ方をしても対応できるだけでなく、より長く深く記憶が残っていくことになる。
 また、これは単語についてだけでなく、もっと大きな範囲であらましを説明できるようになるということをも支える。大きなストーリーが、一つ一つの重要語句の説明、という小さなストーリーの積み重ねを組み合わせたものとして見えるようになるからだ。重要語句についてこのような説明を言えるようにすることは、覚えることと理解することの橋渡しをしてくれることになる。
 もちろんこの方法にもデメリットはある。ただワードだけを覚えるよりはどうしても時間がかかるので、ありとあらゆるワードを説明できるようにしようとすると、膨大な時間がかかる、ということだ。だからこそ、「覚える」で書いたように、最初に覚えるワードを徹底的に絞り込むことが大切だ。目安としては「教科書の太字の言葉」さえざっくり説明できればとりあえず十分だ。それがぱっとできる状態をまずは目指そう。「これを覚えなさい!」と大量のリストを強要されずに、まずは何を覚えればいいのかを徹底的に絞り込むことができるのも、自学自習の強みだ。
 そして、太字の言葉はざっくりもう説明できる!という状態にあなたがなってきたら、徐々に説明できる言葉を増やしていけばよい(これには教科書の索引を使うといいだろう)。すると、教科の内容についてのあなたの周辺情報がどんどん増えていき、論述問題を解くのにもそんなに困らなくなってくるだろう。この状態になると知識が深く長く残ることにつながってくるし、問われ方を変えられても対応できる。

 以上、①②に気をつけて勉強してみよう。すると、「てっとり早く覚えることに入り、ひたすら繰り返すだけでしょ?」と思っていた社会科の知識も、しっかりとあなたの中に定着し、誰かに説明できるようにストーリーやあらましは残っていく。このような状態が作れれば、仮に細部のワードや年号を忘れたとしても、それを確認するだけですべてピタリとはまってくる。逆にいえば、ただ重要ワードを覚えているだけでは、このようにはいかない。そのようにして、深く長く残る知識をあなたは手に入れることができる。
 これらが定着しているかどうかをチェックするにはどうしたらいいだろう。
 そのためには、ワードの説明を口に出して言ってみるとよい。もちろん、紙に書いた方が抜けや間違いがないかをチェックしやすいのは事実だが、どうしても時間がかかる。また、口に出して言えるようになった後には結局入試問題を解き始めるので、当然そこで解く論述問題で体系的に書けるかどうかは自然にチェックすることになる。目や脳だけに頼らずに他の身体の器官を使って知識を身体化することは勉強にとってとても大切だ。身体化とは、学習内容と自分とのつながりを目だけでなく手や口や耳や様々な回路をつないでいくことである。そして、口に出すのは口と耳とを両方使えて、書くよりも時間もかからないのでおトクだ!なので、口に出して説明してみること(つまり「独り言」だ)をもっと積極的に使っていくと、時間が短縮できたうえで身体化していくことにつながる。最終的には書けるようにならなければいけないとしても、「書く」という営みの中にある身体化と体系化という要素をさらに分解し、まずは身体化だけをトレーニングしつつ、やがて体系化(ひとまとまりの文章になること)を練習していくのが、時間短縮への道だ。

 ここまでの連載で、「理解する」「覚える」「解く」がいかに相互につながっているか、という話をしてきた。それらが相互につながっている、という事実が学習において忘れられがちだからこそ、あなたの必死の努力が結果につながっていかないことを悔しく思う。そして、だからこそ自学自習の中であなたに意識的に取り入れてほしいのは、やはり「読む」というプロセスである。それは初学のとき、いきなり覚える前にざっくりあらましをつかもう!というときに役立つだけでなく、重要語句の説明を自分でできるようになったあとに、教科書を読み直すことにおいても、覚えた重要語句についての知識が生き生きとつながってくるための重要な手段にもなる。「読む」という営みは、学習においてアルファ(始まり)でありオメガ(最後)である。それなのに、あまりにもあなたは読むことを学習の場において、失いすぎてしまっていることが多いのが残念だ。
 自学自習は、その読む、ということを回復するためのとても大きなチャンスだ。ぜひあなたには①②に気をつけて、覚えて定着させていくためにこそ何度も読むことを実践してもらいたい。そのようにして、社会科に取り組むとき、無味乾燥な暗記を大量に押し付けられる科目、というしんどさが減り、手応えを感じていけるはずだ。

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著者略歴

  1. 向坂 くじら(さきさか・くじら)

    詩人。「国語教室ことぱ舎」代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」朗読担当。著書に第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)、エッセイ集『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)。現在、百万年書房Live!にてエッセイ「犬ではないと言われた犬」、NHK出版「本がひらく」にてエッセイ「ことぱの観察」を連載中。ほか、『文藝春秋』『文藝』『群像』『現代詩手帖』、共同通信社配信の各地方紙などに詩や書評を寄稿。2022年、ことぱ舎を創設。取り組みがNHK「おはよう日本」、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などで紹介される。1994年名古屋生まれ。慶應義塾大学文学部卒。

  2. 柳原 浩紀(やなぎはら・ひろき)

    1976年東京生まれ。東京大学法学部第3類卒業。「一人一人の力を伸ばすためには、自学自習スタイルの洗練こそが最善の方法」と確信し、一人一人にカリキュラムを組んで自学自習する「反転授業」形式の嚮心塾(きょうしんじゅく)を2005年に東京・西荻窪に開く。勉強の内容だけでなく、子どもたち自身がその方法論をも考える力を鍛えることを目指して、小中高生を指導する。

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