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『ウクライナを知るための65章』特別公開

チェルノブイリ原子力発電所事故(高村 昇)

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は全世界に衝撃を与えました。ウクライナへの時事的な関心が高まっている今だからこそ、多角的にウクライナという国を理解する必要があります。
メディアではいろいろな情報が錯綜していますが、そもそもウクライナとはどのような国なのでしょうか?
さまざまな専門家が自然、歴史、民族、言語、宗教、文化などの面からウクライナを紹介する『ウクライナを知るための65章』(2018年刊行)は、そうした疑問に答える格好の1冊です。今般の関心の高まりから注目を集めている本書の一部を、このたび特別公開。 ウクライナを知り、今何が起きているのかを冷静に考えるためにお役立ていただき、是非書籍も手に取ってみてください。

チェルノブイリ原子力発電所事故~放射能汚染と健康被害の実態~

 1986年4月26日未明、ウクライナの首都キエフから北へ130㎞の地点にあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉が爆発炎上し、人類史上最悪の放射線災害が発生した。当時の東西冷戦構造の下、正確な情報は世界へ発信されず、目に見えない放射線に対する恐怖と相俟って、ヨーロッパをはじめ世界レベルでのパニックが引き起こされた。

事故によって放出された放射性物質は、健康影響とは直接関係しないガス状のキセノン131以外には、半減期8日のヨウ素131などの半減期の短い放射性物質や半減期の比較的長い放射性セシウムが多かったと推定されている。放射性ヨウ素や放射性セシウムなどが主に放出されたという点では2011年3月に発生した福島第一原子力発電所事故の場合も同様であったと考えられるが、チェルノブイリにおける放射性物質の放出量(約520万テラベクレル)は、福島の約7倍に相当すると考えられている。またチェルノブイリでは、福島でもごく微量検出された放射性ストロンチウムや、MOX燃料の関係で懸念されるプルトニウムなども、量は少ないものの放出が確認されている。

表 チェルノブイリ原子力発電所事故によって放出された放射性物質
放射性核種 半減期 放射線 放出量 (PBq)*
ネプツニウム239 58時間 β線、γ線 95
モリブデン99 67時間 β線、γ線 >168
テルル132 78時間 β線、γ線

1150

キセノン133 5日 β線、γ線 6500
ヨウ素131 8日 β線、γ線 1760
バリウム140 13日 β線、γ線 240
セリウム141 33日 β線、γ線 196
ルテニウム103 40日 β線、γ線 >168
ストロンチウム89 52日 β線 115
ジルコニウム95 65日 β線、γ線 196
キュリウム242 163日 α線 0.9
セリウム144 285日 β線、γ線

116

ルテニウム106 1年 β線、γ線

>73

セシウム134 2年 β線 54
プルトニウム241 13年 β線 6
ストロンチウム90 28年 β線 10
セシウム137 30年 β線、γ線

85

プルトニウム238 86年 α線 0.035
プルトニウム240 6,850年 α線、γ線 0.042
プルトニウム239 24,400年 α線、γ線 0.030

*PBqは、1015ベクレルに相当 (Christodouleas JP, Forrest RD, Ainsley CG, Tochner Z, Hahn SM, Glatstein E. Short-term and long-term health risks of nuclear-power-plant accidents. N Engl J Med 364(24):2334-41, 2011.より改変)

このうち、チェルノブイリ周辺地区における健康被害に最も影響したと考えられるのが放射性ヨウ素、特にヨウ素131である。ヨウ素はそもそも人体に入ると甲状腺という組織に集積することが知られている。甲状腺は人間の喉頭部にあり、甲状腺ホルモンを合成しているが、この甲状腺ホルモンはヨウ素を材料として合成されるため、人体にヨウ素が入ると、甲状腺に集積する傾向がある。ヨウ素131はベータ線やガンマ線といった放射線を放出することが知られているが、事故によってヨウ素131が放出後、風に乗って移動し、その後地上に降下して水に溶け、草(牧草)から動物(家畜)、そしてヒトという食物連鎖の中でヒトの甲状腺に集積し、内部被ばくを引き起こしたと考えられる。チェルノブイリでは汚染された牛乳を飲んだ小児が、極めて高い濃度のヨウ素131によって内部被ばくするという結果を引き起こした。事故当時、ソヴィエト連邦は食物の流通制限、摂取制限を行なわなかったため、汚染された牛乳や野菜、水などを市民は制限なく摂取し、これが内部被ばくを引き起こす大きな原因になったと考えられる。

事故当時の冷戦構造の下、ソヴィエト連邦は事故の詳細について国内外に公表することがなかったが、ゴルバチョフ書記長(のちに大統領)の就任後進められたペレストロイカ、グラスノスチの影響もあり、徐々に情報の開示と同時に国際プロジェクトによる住民の健康影響解明がすすめられていった。具体的にはソ連政府がIAEA(国際原子力機関)に調査を依頼したのを皮切りに、WHO(世界保健機関)が住民の健康影響についてパイロット調査を開始し(IPEHCA : International Programme on the Health Effect of the Chernobyl Accident)、フランス、ドイツ、オランダなどのEU諸国もそれぞれ調査を開始した。日本では外務省日ソ専門家会議における意見交換が行なわれたのを皮切りに、1990年には笹川記念保健協力財団が医療協力(チェルノブイリ笹川医療協力プロジェクト)を開始した。このプロジェクトでは、事故時に0~10歳だった子供(1976年4月26日から1986年4月26日までに生まれた子供)を対象とした検診が1991年5月から1996年4月まで、旧ソ連5地域の医療機関(センター)で実施され、同一プロトコールの下、同種の器材および試薬を用いて行なわれた。検診した子供の居住地は各センターが管轄する地域のほぼ全域に及び、検診のべ人数は16万人に達した。その結果、特に事故当時0~5歳の小児において、甲状腺がんが増加しており、とりわけ汚染の激しかったベラルーシ共和国のゴメリ州では、甲状腺がんの激増が確認された。

2006年、チェルノブイリ事故から20年が経過したのを機に、国際保健機関(WHO)は、国際原子力機関(IAEA)と連携しながら事故による健康影響についての報告書をとりまとめたが、その結果、事故当時の年齢が15歳未満の児童における甲状腺がんが激増したことが示された。2002年までにこの年齢グループで甲状腺がんの手術を受けた症例数はロシア(チェルノブイリ周辺の州)、ウクライナ、ベラルーシで5000例近くであると報告されているが(その後2006年までの手術症例は6000例と報告されている)、その好発年齢は現在30 歳以降の青年~中年層に移行しつつある。これら小児甲状腺がんの増加は、前述のように事故直後の放射性ヨウ素の体内摂取による甲状腺への内部被ばくが要因であり、当時の慢性的なヨウ素欠乏が被害を増大させた可能性がある。ヨウ素は甲状腺ホルモンの合成に必須な栄養素であるが、世界レベルで見ると多くの地域はその食習慣や土壌環境により、ヨウ素欠乏状態であることが知られている(ただし、日本はヨウ素を豊富に含む昆布やわかめなどの海藻類を常食する習慣があるため、ヨウ素過剰状態である)。チェルノブイリ周辺地域は、もともとヨウ素欠乏状態であったことに加え、大規模な原子力発電所事故によるヨウ素131の放出、汚染した食物の摂取を制限しなかったといった要因が重なり、小児甲状腺がんが増加したと考えられている。

甲状腺がんと診断された患者は、手術(甲状腺の摘出術)を行なっているが、幸いにも手術後の予後は良好で、これまでに甲状腺がんによって死亡した症例は15例にとどまっている。一般的に甲状腺がんは治療成績の良い、予後のよいがんとして知られているが、その一方で小児期に発症した患者における長期にわたる予後や再発その他の合併症は不明な点も多く、今後の追跡調査と適切な治療が不可欠である。

その一方で、広島・長崎の原爆被爆者で増加したことが知られている白血病については、小児ならびに成人の一般住民における増加傾向は認められていない。これは広島・長崎では外部被ばくが主体であったのに対して、チェルノブイリでは上述のような事故直後の放射性ヨウ素による内部被ばくが原因であるからだと考えられる。また、甲状腺以外のがんや良性疾患、さらには遺伝的影響や胎児に対する影響についても現時点で周辺住民において増加しているという科学的証明はなされていないが、その一方、事故によって直接的な放射線被ばくによる健康影響以上に大きな社会的不安、精神的なダメージを与えたと考えられている。特に、事故直後に避難と強制疎開により移住を余儀なくされた多くの住民では、社会的、経済的な不安定さに加えて、現在の健康に関する恐怖と将来の世代に及ぼす長期的な健康影響への不安の増大が問題となっている。

一方、住民において主に放射性降下物による内部被ばくが問題となったのに対して、発電所内部で事故時に働いていた職員、およびその後事故の復旧作業にあたった作業員では、急性放射線障害と診断された患者134名の中から、直後に28名が死亡し、1987から2004年の間に19名が種々の原因で死亡している。一方、ロシア連邦における緊急事態作業者登録リストの追跡調査では、116名が固形がんで、110名が心血管障害で死亡しているが、放射線被ばくとの因果関係は不明である。また急性白血病での死亡も24例報告されているが、放射線被ばくとの因果関係の証明は困難である。一方、ウクライナの除染作業者の追跡調査では、18例の急性白血病患者の死亡が報告され、その被ばく線量は120から500mSvの範囲となっている。その他、チェルノブイリにおける除染作業者では心血管系への影響や、免疫系への影響なども議論されているが、現在明確な被ばくとの因果関係を示唆するものはなく、今後の長期にわたる正確な調査と検討が不可欠である。

(高村 昇)

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著者略歴

  1. 高村 昇(たかむら・のぼる)

    長崎大学原爆後障害医療研究所 教授。
    【主要著作】
    『福島はあなた自身―災害と復興を見つめて』(共著、福島民報社、2018 年)、Takamura N, Orita M, Yamashita S, Chhem R. After Fukushima: collaboration model. Science 352(6286): 666, 2016.「放射線・放射性物質Q&A 第1 巻~4巻」(福島民報社 https://www-sdc.med.nagasaki-u.ac.jp/abdi/publicity/index.html)。

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