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『ウクライナを知るための65章』特別公開

ウクライナ語、ロシア語、スールジク(中澤英彦)

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は全世界に衝撃を与えました。ウクライナへの時事的な関心が高まっている今だからこそ、多角的にウクライナという国を理解する必要があります。
メディアではいろいろな情報が錯綜していますが、そもそもウクライナとはどのような国なのでしょうか?
さまざまな専門家が自然、歴史、民族、言語、宗教、文化などの面からウクライナを紹介する『ウクライナを知るための65章』(2018年刊行)は、そうした疑問に答える格好の1冊です。今般の関心の高まりから注目を集めている本書の一部を、このたび特別公開。 ウクライナを知り、今何が起きているのかを冷静に考えるためにお役立ていただき、是非書籍も手に取ってみてください。

ウクライナ語、ロシア語、スールジク~進展するウクライナ語の国語化~

言語の現状は、その言語の系統、歴史と地政学的環境によるところが大きい。ここでは、ウクライナにおけるウクライナ語およびロシア語を対象とし、その基礎データ、歴史と現在の言語状況を述べる。

ウクライナ語はウクライナの国家語かつ主な教育用語である。ウクライナ以外では、ロシア連邦、南北アメリカなどでも使用される。話者数は、ウクライナ約3680万人、ロシア連邦436万人、カザフスタン、ポーランド、カナダや米国などの南北アメリカ、オーストラリアでの話者を含め総計は4000万人以上(2001年国勢調査)に上り、スラヴ語ではロシア語、ポーランド語に次ぎ第三位を占める。

ではこの両言語はどのような歴史を持つのであろうか。定説に従い系統と歴史を簡単に辿ってみよう。

ウクライナ語、ロシア語はともにインド・ヨーロッパ語族Indo-European スラヴ語派東スラヴ語群に属す。つまり、先祖を同じくする、いわば従兄弟か再従兄弟〈またいとこ〉的関係にある。

スラヴ諸語の共通の先祖、スラヴ祖語から分かれた古(古代)ロシア語は、8~14世紀に統一性が薄れ、いまのウクライナ語、ロシア語、ベラルーシ語に分かれた。その後、ロシアは他の民族から言語的な妨害を受けることなく自然な言語発達の道を辿った。一方、ウクライナは絶えず隣国の支配を受けることになった。おおむね、ドニプロ川右岸(除くキエフ)はポーランドに、左岸やキエフ、黒海北岸はロシアに支配されてきた。この支配者、支配領域がウクライナ各地域の現在の言語状況を決定したのである。

住民は母語と支配者の言語の二言語、ときには三言語の使用を強いられ、ウクライナ語の自然な発展は阻害された。特にウクライナを300年間以上支配したロシアによる度重なるウクライナ語使用禁止令(1720年、1847年、1863年、1876年、1881年、1882年、1894年、1914年、1933年その他)は、圧倒的であった。その結果、ウクライナ語の地位は極度に低下し、ウクライナ語話者は下層階級ないしはロシアに対する反抗者とみなされ、失職することもあった。

このような中にありイヴァン・コトリャレフスキー(1769~1838)やタラス・シェフチェンコ(1814~1861)らの作品が、民衆の話し言葉を核に、教会スラヴ語(古代教会スラヴ語にウクライナ語の特徴が加わったもの)の要素を吸収して現代ウクライナ語の塑形が出来上がったのである。とはいえ、その後も厳しい状況は続き、禁止令が実質的に解かれたのはソ連邦からウクライナが独立した1991年であった。

ここで両言語の特徴を見よう。その起源から両者の文法構造はよく似ている。文中の他の語との関係を表すのに、語形を変化させる典型的な屈折語であるが、ウクライナ語は、現在も呼格を残す(ロシア語にはない)こと、大過去形を残すことなど、音声面、形態面、統語面など各領域でロシア語よりも古い特徴を保っている。語彙面では、基礎語彙はほぼ一致するが、抽象度の高い語彙になるとずれが大きくなる(「運動」ウクライナ語рух ルーフ、ロシア語движение ドヴィジェーニエ)。なお、ウクライナ語はスラヴ語中、音素数が最多で音的に敏感な言語と言える。

さて1991年のウクライナ独立は状況をどう変えたであろうか。独立後は、ウクライナ語復権の動きとそれと対照的なロシア語の地位確保の動きの対比で捉えられる。これをウクライナ語の分布・広がりと質の面から見よう。まず分布である。

ウクライナ語を母語とする人の比率(母語維持率と記す)は、歴史的にポーランド、オーストリア=ハンガリーの影響下にあった西部で高く、ロシア支配の歴史が長い中部、およびロシアに編入され19世紀末から20世紀初頭にロシア人が大量に移民した東部、南部では低い(地図参照)。東西で母語維持率が著しく異なっているのである。

地図 州別母語話者比率(上がウクライナ語、下がロシア語、%)

*2001 年ウクライナ国勢調査結果。これら2言語以外を母語とする者もいるため、合計は100%にならない。なお、ウクライナ全体ではウクライナ語67.5%、ロシア語29.6%。

 

このような状況下で、ウクライナでは、独立期に民族文化、とりわけ母語復権の取組みが開始された。言語問題は民族性の維持・喪失と結び付き、その解決は、新生ウクライナにとって喫緊の課題であった。課題は、⑴ウクライナ語の普及、⑵その純化(ロシア語の影響排除)である。この⑴⑵は、⑶ロシア語話者の言語問題に直結する。ⓐ独立直前の1989年10月に最高会議がウクライナ語を国家語であると宣言。これは、ⓑ1996年制定のウクライナ憲法第一章第10条「ウクライナの国家語はウクライナ語である」の規定に踏襲され、これらの法を現実化する法令・施策が教育面、マスコミの面で次々なされた。例えば、ⓒ2007年1月、文化観光省のメモランダムにより、児童向け外国映画は100%、大人向けは50%ウクライナ語の吹き替え・字幕付きでないと許可されなくなった。

これら法、施策の結果は、各種研究によると現在徐々に明らかになりつつある。就学前教育の場では、ウクライナ語による教育が66%(1995年)から84・6%(2006年)に増加し、反比例的にロシア語による教育の比率が減少した。

表 国勢調査でウクライナ語を「母語」と回答した住民の比率(%)
  1979 1989 2001
ウクライナ住民全体 65.6 64.7 67.5
うち、民族的ウクライナ人 89.1 87.7 85.2

 

この事態に対してロシア語母語話者からロシア語公用語化への動きが出てきた。この動きは、憲法第一章第10条の規定―ウクライナにおいてはロシア語その他民族的少数者の言語の自由な発展、使用、保護は保障される―およびウクライナが2005年に正式批准した「ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(European Charter for Regional or Minority Languages, ECRML)」―国内の特定地方や少数者のみによって伝統的に使用されかつ公用語と著しく異なる言語を保護・促進する―に依る。この動きの端的な表れが、2012年7月最高会議によって可決された法「国家言語政策の原則について」である。これは、ある地域の住民の10%以上が母語とする言語を、その地域の公用語として認定するというものである。

それに対して、ロシア語は、上記憲章によって規定される言語に該当するか否か、ロシア語公用語化の決議は合憲か否かのなどの議論が行なわれ、言語問題は半ば政治問題と化した。この種の議論は今後とも様相を変えて続く可能性がある。

最後は、質の問題である。母語維持率の高い西部ですら、ウクライナ語の会話に、ウクライナ標準語の規範を逸脱したロシア語的要素が混入することがままある。これが混交語、混ぜこぜ語(суржик スールジク。ライ麦と小麦等の混ぜ物と言われる)である。例えば、ウクライナ語の会話中にда ダー(ロシア語でyes の意味)が多用され、語形変化でウクライナ語のназвеш(ナズヴェーシ命名する)でなくロシア語назовёшь ナザヴョーシになるなど、混交は、音声、語彙、形態、統語、語法など、言語の全領域に及んでいる。成人への調査では、西部2・5%、中央部14・6%、東部から中央部21・7%、東部9・6%、南部12・4%(キエフ国際社会学研究所2003年調査)の成人がスールジクを用いている。書店ではスールジク対策の書籍が常時散見される。

そもそも両言語は表記にキリル文字を用い、系統的に極めて近く、一方の言語はグラデーションをなして他方の言語へと徐々に変化をしている。中間帯では住民の母語自体が規範から見ればスールジクとも言え、この現象は隣り合う親戚の言語間の宿命であろう。スールジクはコトリャレフスキーの作品にも見られるのに、これが近年特に問題視されることは、ウクライナにおいてウクライナ標準語の規範が確立しつつあることの何よりの証左とも言える。

ウクライナ語は様々な問題を抱えながらも復権し、現在、着実に国語化しつつあるのである。

(中澤英彦)

ウクライナ語のあいさつ表現

Добрий день! /ドーブルィ・デーニ〔こんにちは〕

Доброго ранку! /ドーブロホ・ラーンクゥ〔おはよう〕

Добрий вечір! /ドーブルィ・ヴェーチル〔こんばんは〕

На добраніч! /ナ・ドブラーニチ〔おやすみなさい〕

Дякую /ヂャークユ〔ありがとう〕

Привіт! /プルィヴィート〔やあ〕

До побачення /ド・ポバーチェンニャ〔さようなら〕

Будь ласка /ブーヂ・ラースカ〔お願いします〕

Смачного! /スマチノーホ〔どうぞ召し上がれ〕

Будьмо! /ブーヂモ〔乾杯〕

Пробачте /プロバーチテ〔ごめんなさい〕

Як ся маєте? / ヤーク・シャ・マーィエテ〔ごきげんいかがですか〕

Добре /ドーブレ〔良いです〕

Погано /ポハーノ〔悪いです〕

Чудово / チュドーヴォ〔素晴らしい〕

Де? /デー〔どこに〕

Коли? /コルィー〔いつ〕

Що? /シチョー〔なに〕

Хто? /フトー〔だれ〕

Як? /ヤーク〔どうやって〕

Чому? /チョムー〔どうして〕

Як Вас звати? /ヤーク・ヴァース・ズヴァーティ〔お名前はなんといい ますか〕

Мене звуть.... /メネー・ズヴーチ〔私の名前は~です〕

Дуже приємно /ドゥージェ・プルィエームノ〔はじめまして〕

Ласкаво просимо! /ラスカーヴォ・プロースィモ〔ようこそ〕

作成:中澤英彦

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著者略歴

  1. 中澤 英彦(なかざわ・ひでひこ)

    東京外国語大学名誉教授。
    【主要著作】
    『プログレッシブ ロシア語辞典』(主幹・編著、小学館、2015 年)、『辞書編纂とウクライナ語―ヴェルナツキー図書館のウエブ上のカタログに見る』(『ユーラシアと日本』Area Studies Occasional Paper Series No.2. University of Tsukuba. 2006 年)、「ウクライナ語の現状とノルマ」(岡田幸彦氏と共著、『ポストソヴィエト期の社会と文化変容について―スラブ、とくにウクライナ、ベラルーシ地域における』1998 年度財団法人サントリー文化財団「人文科学、社会科学に関する研究助成報告書」、1999 年)など。

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