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『ウクライナを知るための65章』特別公開

あの人もウクライナ出身(光吉淑江)

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は全世界に衝撃を与えました。ウクライナへの時事的な関心が高まっている今だからこそ、多角的にウクライナという国を理解する必要があります。
メディアではいろいろな情報が錯綜していますが、そもそもウクライナとはどのような国なのでしょうか?
さまざまな専門家が自然、歴史、民族、言語、宗教、文化などの面からウクライナを紹介する『ウクライナを知るための65章』(2018年刊行)は、そうした疑問に答える格好の1冊です。今般の関心の高まりから注目を集めている本書の一部を、このたび特別公開。 ウクライナを知り、今何が起きているのかを冷静に考えるためにお役立ていただき、是非書籍も手に取ってみてください。

あの人もウクライナ出身 ~文学者、芸術家、政治家~

ウクライナ出身の人物は、と問われても日本人にはなかなか思いつかないのではないだろうか。それもそのはず、ウクライナは、20世紀末まで主権国家を持つことがなかったので、それ以前に、類まれな才能を発揮して世界的に活躍した人物がウクライナの大地で生まれ育ったとしても、当時ウクライナを支配していたロシア、オーストリア、ポーランドなど近隣諸国出身の人物として紹介されてきたからだ。その代表格が、ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリ(1809~52)である。ウクライナ・コサックの末裔としてポルターヴァに生まれたゴーゴリは、ウクライナを題材に多くの作品を残しているが、ロシア語で執筆したロシア文学者として名を残している。

帝政ロシアからソ連へと変わる激動の時代は、芸術文化にも大きな影響を及ぼし、芸術家たちは変革への期待、喜び、あるいは戸惑い、不安を作品に表した。巨匠と称賛された人々が、ロシアそしてソ連から登場するのだが、その中には、ウクライナ人、ウクライナゆかりの人々が少なからず存在している。

ロシア最大の画家イリヤ・レーピン(1844~1930)は、ハルキフ出身のロシア人だ。モスクワのトレチャコフ美術館に所蔵されている「思いがけなく」で画中画としてウクライナの革命詩人タラス・シェフチェンコを登場させ、自由を求めるウクライナの闘士への強い連帯を表明した。ロシア・アヴァンギャルド芸術のカジミール・マレーヴィチ(1879~1935)は、ロシア帝国領ウクライナのキエフ近郊の村にポーランド人両親の下に生まれた。伝説の舞踊家ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890~1950)はキエフ生まれのポーランド人である。

今日ではその割合は少ないが、ウクライナの歴史と社会を語るのにユダヤ人の存在、その影響力、重要性は欠かせない。彼らは独特の才覚と芸術性によって経済、社会、文化に重要な役割を果たした。「屋根の上のバイオリン弾き」は、日本でもなじみの深いミュージカルであるが、原作者ショーレム・アレイヘム(1859~1916)は、キエフ出身のユダヤ人で、キエフやオデッサでジャーナリストとして活動した後アメリカに移住した。ウクライナ地方のユダヤ人の苦境を描いた同作品が大ヒットミュージカルになったのには、お隣ベラルーシ出身のユダヤ人画家マルク・シャガールが描いた絵画「屋根の上のバイオリン弾き」の貢献度も高かった。

20世紀最高のピアニスト、ウラジーミル・ホロヴィッツ(1903~89)は、ジトーミル州で生まれ、キエフ音楽院で学んだウクライナ系ユダヤ人である。おなじく20世紀を代表するピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテル(1915~97)もジトーミル出身で、ドイツ人の父親とロシア人の母の下に生まれ、オデッサの音楽学校に学んだ。エミール・ギレリス(1916~85)、ナタン・ミルシテイン(1903~92)、ダヴィド・オイストラフ(1908~74)も、オデッサ出身のウクライナ系ユダヤ人だ。

セルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)はドネツク州出身のロシア人で、サンクトペテルブルグ音楽院で学んだあと、革命後は、パリやアメリカで20年近く過ごす。1936年ソ連に帰国したあとは、ショスタコーヴィチやハチャトゥリアン、カバレフスキーらと共に、社会主義国ソヴィエトを代表する作曲家として活躍する。その作品には故郷ウクライナを題材とするものが多い。

セルゲイ・プロコフィエフ
セルゲイ・プロコフィエフ

ソ連文学『巨匠とマルガリータ』で有名なミハイル・ブルガーコフ(1891~1940)は、キエフ生まれのロシア人である。キエフ大学で医学を学び、ロシア革命時には白軍の軍医として従軍した。その経験をもとに執筆した長編小説『白衛軍』は、ウクライナに対する彼の思いが滲み出ている。

ミハイル・ブルガーコフ
ミハイル・ブルガーコフ

アメリカ・ポップ・アートの代表アンディ・ウォーホール(1928~87、本名アンドリュー・ヴァルホラ)の両親は、第一次大戦期にチェコスロヴァキアからアメリカに移住したウクライナ系ルシン人であった。ヴァルホラ一家は、ピッツバーグの東欧移民コミュニティで、ほぼ毎日ルシン語で生活し、ギリシャ・カトリック(合同教会)教会に足しげく通っていたという。ウクライナ人の一部なのか、別個の東スラヴ人なのかと議論の対象になるルシン人について、ウォーホールは、移民社会アメリカにおけるルシン・アイデンティティという興味深い研究素材を提供してくれている。

ソ連時代、ウクライナから二人のソ連最高指導者が登場した。ニキータ・フルシチョフ(1894~1971)は、民族的にはロシア人であったが、スターリンの後継者になるまで、長い間ウクライナで党活動に従事したウクライナ共産党第一書記であった。その素朴で朴訥な人柄は、ウクライナ人以上にウクライナ人らしいと語り継がれている。

フルシチョフの後を継いだレオニード・ブレジネフ(1906~82)もウクライナで生まれ育ち、党活動を開始し、その後モスクワで出世したロシア人であった。ブレジネフは一時期、自らをウクライナ人として登録していたこともある。ブレジネフは、ソ連の最高指導者の地位にあった17年の間に、自分の部下や仲間でソ連全土に人脈ネットワークを張り巡らせて「ドニエプロペトロフスク・マフィア」と呼ばれた(ドニエプロペトロフスクは、ウクライナ語ではドニプロペトロフスクで、現在はドニプロに名を変えている)。

21世紀に活躍しているウクライナ系の人々と言うと、サッカー選手のアンドリー・シェフチェンコ(1976~)、あるいはウクライナ民主化のオレンジ革命をなしとげたヴィクトル・ユーシチェンコ元大統領(1954~)などであろうか。ハリウッド女優のミラ・ジョヴォヴィチ(1975~)は、ロシア人とセルビア人の両親の下、アメリカへ移住する5歳までキエフで生まれ育った。同じく女優・モデルのオルガ・キュリレンコ(1979~、ウクライナ語オリハ・クルィレンコ)はウクライナ人とロシア人の両親の下、ウクライナ南部のベルジャンスクに生まれた。十代半ばからモスクワやパリでモデル活動をした後、2008年に007映画シリーズのボンドガールとして抜擢され、世界的女優として有名になった。

ロシアの反体制派ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ(1958~2006)もウクライナとゆかりの深い人物であった。彼女の父親ステパン・マゼーパはチェルニーヒフ出身のウクライナ人で、ソ連時代、ウクライナ・ソヴィエト共和国の国連代表を務めていたとき、アンナ・マゼーパがニューヨークで生まれた。長じて彼女は、世界的なジャーナリストとして活躍して、プーチン政権とチェチェン紛争の闇を暴いた。2006年の暗殺時には北米在住のウクライナ人からも深い哀悼の意が寄せられた。

(光吉淑江)

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著者略歴

  1. 光吉 淑江

    西南学院大学 非常勤講師、久留米大学 非常勤講師。
    【主要著作】
    “Maternalism, Soviet-Style: The Working ‘Mothers with Many Children’ in Postwar Western Ukraine,” edited by Marian van der Klein, Maternalism reconsidered : motherhood, welfare and social policy in the twentieth century, Berghahn Books, 2012. “The Zhinviddil Resurrected: Soviet Women’s Organizations in Postwar Western Ukraine,” Journal of Ukrainian Studies, Vol.36, 2011.「 離散するアーカイブとウクライナ史」(『歴史学研究』第 790号、2004年)。

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