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『ウクライナを知るための65章』特別公開

現代ウクライナにおける 日本文化の受容(セルゲイ・ゲラシコフ/訳:原田義也)

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は全世界に衝撃を与えました。ウクライナへの時事的な関心が高まっている今だからこそ、多角的にウクライナという国を理解する必要があります。
メディアではいろいろな情報が錯綜していますが、そもそもウクライナとはどのような国なのでしょうか?
さまざまな専門家が自然、歴史、民族、言語、宗教、文化などの面からウクライナを紹介する『ウクライナを知るための65章』(2018年刊行)は、そうした疑問に答える格好の1冊です。今般の関心の高まりから注目を集めている本書の一部を、このたび特別公開。 ウクライナを知り、今何が起きているのかを冷静に考えるためにお役立ていただき、是非書籍も手に取ってみてください。

現代ウクライナにおける日本文化の受容~ステレオタイプを超えて~

日本は長らく、日本研究に従事するウクライナの研究者たちの狭いグループの間でのみ、学習・認識可能な対象であった。同時に、ウクライナ社会の側からの日本に関する情報への需要は、大きなものであり続けている。

こんにち、日本の文化や歴史、言語は、ウクライナ科学アカデミー東洋学研究所や各種専門機関、主要都市の大学に置かれた数ある学科など、ウクライナの多くの学術拠点で学ばれ、日本文化に関連する諸問題は、哲学、歴史、芸術、言語等々の学位論文の中で分析されている。さらに、ウクライナと日本の文化間に共通する特徴を探し求めながら比較研究を行なっている者もいる。

ウクライナには多くの民間団体があり、様々なレベルで日本文化を普及させている(例えば、「ウクライナ・日本」協会、キエフ工科大学付属ウクライナ・日本センター、文化センター「サン(仙)」(キエフ)、文化センター「ダルマ(達磨)」(テルノーピリ)、日本文化協会「タチカゼ(太刀風)」(ミコラーイフ)、日本文化協会「フドウシンカン(不動心館)」(ドニプロ)など)。これらの団体は、交流や文化イベント組織の機会提供や、国際協力の提供を通じて、ウクライナと日本の人々の間の友好関係の発展をサポートしている。そこでは日本語を学んだり、図書館を利用したり、日本の武道を体験したり、折り紙、生け花、碁、将棋、水引、簪などの日本の伝統的な芸術のレクチャーやマスタークラスを受講することができる。

現代のウクライナ人は、一方では日本について多くの知識を持っており、他方ではそれをほとんど持ち併せていない。毎年、伝統的なものから現代的なものまで、日本文化フェスティバルが開催され、2017年はウクライナにおける日本年と表明された。ウクライナ人の側からの日本文化に対するこのような関心は、何によって呼び起こされるのだろうか。ここで次のような言い回しを思い出す。「日本が素晴らしいのは、一人ひとりに独自の面を見せてくれるから」。おそらく日本文化は、異なる年代や社会的立場の人々の好みを満足させることができるのだ。年配の女性は生け花、子供は折り紙、男性は武道、学生はアニメや漫画を好み、日本料理は万人のお気に入りである。たとえ政治や経済が面白くなくても、あるいは芸術や文学に興味がなくても、いずれにせよ誰もが日本の中に彼の心に深い感動を与える何かを見出すことができるのだ。

同時に、歴史的・地理的隔絶や、少なからぬ作り話のために、こんにちウクライナにとっての日本は、日本にとってのウクライナと同様に、多くの点で象徴的かつ想像上のものとなっている。こうした形象はしばしばオリジナルとの間に僅かな共通性しか持ち得ておらず、結果として固定的なステレオタイプに帰してしまうのである。このため、現代のウクライナにおいて最もポピュラーな日本が「存在しない日本」であることも、驚くべきことではない。自国のイメージに対する日本人の弛まぬ働きかけと、ウクライナ人による自己調練の結果、日本の本質的部分は、ほぼ完全に、「日出ずるロマンティックな国」という現象の陰に消えてしまっている。

ウクライナにおける日本のイメージ形成に際して最も興味深いのは、それが往々にして、自ら日本を考え出し、のちにその日本を信じるようになるウクライナ人自身の尽力によって実現している、ということである。ウクライナ人に「お気に入り」の日本の姿が出来上がる基となっている一連の要素をピックアップしてみよう。

1 経済的奇跡:電子帝国、「ソニーとトヨタの国」。

2 日本的性格:勤労と規律、教育水準の高さ―「日本人は皆、利口である」。

3 最高水準の文化を持つ国:「皆がお茶を呑み、桜の花を愛でている」。

4 ゲイシャ(芸者)とサムライ(侍)の国:すべての男性は武道に勤しみ、女性たちは着物を着て生け花を嗜んでいる。

(イラスト:マリーナ・ジニャコワ)

(イラスト:マリーナ・ジニャコワ)

日本にはすでに長らくサムライは存在せず、多くの日本人が人生のうちで一度もゲイシャを目にすることがない、ということの理解をウクライナ人に頑なに拒ませているのは、一体何であろうか? この国の何がここまで人々を惹き付け、なぜこの国から何かア・プリオリに素晴らしいものを期待してしまうのか?

すでにソ連時代、多くの制限にがんじがらめにされていたソ連の人々にとっての魅惑的な国として、日本のステレオタイプは創造されていた。様々な変革と外的影響にもかかわらず、民族的独自性を保持することができた社会の模範として、日本は特別な関心を呼び起こしていた。その際、社会のニーズに応じて、日本の独自性の程度はしばしば誇張されたが、そのような独自性は世界の他の民族にも本質的に備わっているものであると事実上考えられていた。

このような創造的「自励」の結果、すでに数十年間、日本は多くのウクライナ人から見て完全に調和したものとして立ち現われており、しかも物質的な生活水準の高さと、発達した精神的諸価値との理想的融合を表していた。現代日本の生活のネガティブな局面については、ウクライナではほぼ知られていない。そのような情報はウクライナ人の関心をそそらないのである―お伽話が立ち消えてしまうのは不愉快であるし、現象は本質に譲歩するものであるから。

こんにち、日本文化はしばしば、他の国(まず英語圏)を経由してウクライナに入ってくる。これは由々しき問題だ―なぜなら日本語を知っているウクライナ人の数は、未だに多くはないからである。他方、「ロシア」からの日本文化の普及ルートも、依然として存在する。これは一種の「流行への追従」である。その意味は、日本由来の特定のブランドが、あっという間に幅広い大衆層の間においてポピュラーなものとなる、ということである。例えば最近では、ウクライナの書店の棚は村上春樹の本で溢れ返っていた。彼は突然、多くの人々にとっての有名でお気に入りの作家となり、彼の作品への強い関心は長年にわたって維持された。この傾向は症候的なものであり、ムラカミゼーションと名付けることができるだろう。つまりこれが、ウクライナにおける日本文化の受容のメカニズムなのである。

この問題を、ウクライナで非常にポピュラーな、「日本では皆が武術を実践している」という日本についてのもう一つの「神話」を例として、もう少し詳しく検討してみよう。周知のように、20世紀に日本の武術は世界中に広まったが、東ヨーロッパも例外ではなかった。その普遍性ゆえに武道がウクライナで非常にポピュラーなものとなったのは、実を言えば、日本それ自体と同様に、武道が事実上あらゆる希望者の欲求や抱負を満たすことができる、という理由によるものである。

概して、ウクライナで武術一般に勤しんでいる人々の数は150万を超えるが、これは世界で最も高い指標の一つである。これらの人々にまつわるリストの中で、日本の武道が主導的な立場を担っていることを指摘しておきたい。ウクライナ武術ポータルによって行なわれたアンケート調査で、「あなたはどのような武術に勤しんでいますか?」という問いが立てられた。断トツの一位(26・7%)となったのは空手道で、柔道、柔術、合気道も10位以内に入る健闘を見せた。ウクライナにおける武道の人気ぶりには、日本の達人たちも驚くほどである。

近い将来、ウクライナの人々が、日出ずる国のイメージの新しいニュアンスに触れざるを得なくなる、そしてとりわけ「日本のイメージ」と「日本人のイメージ」とを区別することを学ばざるを得なくなる、ということは、充分にあり得ることである。このための端緖はすでに開かれている。この「新たなもの」を客観的に受容するために必要なのは、日本について何が実際にウクライナの人々にとって周知のことであるのかを十分に検討すること、現実と神話を区別することを学ぶことである。ひとえに、より多くを知ることだ。

(セルゲイ・ゲラシコフ/訳:原田義也)

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著者略歴

  1. ゲラシコフ セルゲイ(Geraskov, Sergii)

    ウクライナ大統領付属国家行政アカデミー 社会・人文研究センター長。
    【主要著作】
    “Religion and Politics in Contemporary Ukraine: The Problem of Interaction,” Annual Review of the Institute of for Advanced Social Research, Kwansei Gakuin University, Vol. 14, 2017; “Ukraine and Japan Culture Relationship: Shevchenkiana and Murakamization,” Kobe Gakuin Economic Papers, Vol. 47, 2015.

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