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『ウクライナを知るための65章』特別公開

ウクライナとNATO(東野篤子)

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻は全世界に衝撃を与えました。ウクライナへの時事的な関心が高まっている今だからこそ、多角的にウクライナという国を理解する必要があります。
メディアではいろいろな情報が錯綜していますが、そもそもウクライナとはどのような国なのでしょうか?
さまざまな専門家が自然、歴史、民族、言語、宗教、文化などの面からウクライナを紹介する『ウクライナを知るための65章』(2018年刊行)は、そうした疑問に答える格好の1冊です。今般の関心の高まりから注目を集めている本書の一部を、このたび特別公開。 ウクライナを知り、今何が起きているのかを冷静に考えるためにお役立ていただき、是非書籍も手に取ってみてください。

ウクライナとNATO~遠い加盟への道のり~

 ウクライナと北大西洋条約機構(NATO)との関係構築は、1991年12月に、NATOがワルシャワ条約機構諸国との協議体として北大西洋協力理事会(NACC)を創設したことに端を発する。NACC初回会合の同日にソ連は崩壊し、ウクライナは1991年12月の独立以降、他の独立国家共同体(CIS)諸国とともにNACCに参加することになった。その後1994年1月に、NATOが非NATO加盟国との間の実践的な軍事協力枠組みである「平和のためのパートナーシップ(PfP)」を打ち出すと、ウクライナは翌月にはこの枠組みへの参加を果たしている。ただし、ほぼ同時期に加盟したハンガリーやポーランドなどの中・東欧諸国が、PfPを将来的なNATO加盟のための準備ステップと捉えていたのに対し、PfP参加当初のウクライナにとっては、将来的なNATO加盟は必ずしも自明の目標として意識されていたわけではなかった。

1997年に入ると、中・東欧諸国への拡大がNATO内部で真剣に議論されるようになり、それに対するロシアの反発を宥めるためにNATO・ロシア関係も進展した。この二つの大きな動きの陰で目立たないながらもウクライナとNATOとの関係構築も進み、1997年5月にNATOとウクライナとの間で特権的パートナーシップ協定が合意され、その枠組みでNATO・ウクライナ委員会(NUC)が創設された。

地図 NATOとパートナーシップ諸国

数次にわたるNATOの東方拡大により、NATOとウクライナとの物理的・心理的な距離は次第に縮まっていった。1999年のポーランドとハンガリーの加盟、そして2004年のスロヴァキアとルーマニアの加盟に伴い、ウクライナの西側の国境はすべてNATO加盟国と接することになった。しかしこのことは同時に、NATO拡大に対するロシアの疑念をさらに深めることになる。2004年には旧ソ連のバルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)の加盟も実現したこととも相俟って、ロシアはNATOの一層の拡大への警戒を露わにするようになっていた。

ロシアの懸念とは裏腹に、ウクライナはNATO加盟への意欲を顕在化させていく。2002年には当時のクチマ大統領から、同国の将来的なNATO加盟希望が表明された。また、2004年秋以降の「オレンジ革命」で、親欧州連合(EU)・NATOを掲げるユーシチェンコ政権が成立したことも、同国のNATOへの接近を後押しした。2005年4月にはNATO・ウクライナ緊密化対話が設置され、同国の加盟および必要な改革についての協議が開始されることとなった。そして2008年4月のブカレストNATO首脳会議では、ウクライナとジョージアが将来的にNATO加盟国となることを宣言した。ドイツやフランスが「時期尚早」、「ロシアを不必要に刺激する」との反論を唱える中、米国のブッシュ政権が強引に押し切るかたちでの宣言だったとされる。

この一連の展開は実際に、ロシアからの強い反応を呼び起こすこととなった。2008年8月に発生したジョージア・ロシア戦争は、その4カ月前のブカレスト首脳会議が直接・間接の原因になっているとの指摘も少なくない。そしてなによりNATOの側では、この戦争をきっかけに、ロシアが極めて強い戦略的関心を有している旧ソ連諸国への拡大への機運が急速にしぼんでいった。ウクライナでもジョージア戦争を経て、NATO加盟の是非は国論を二分する論争点となっていき、2010年、当時のヤヌコーヴィチ大統領は、同国がいかなる政治・軍事同盟にも属さないという内容が盛り込まれた法律を発効させた。

これ以降NATOでは、ウクライナの加盟プロセスは凍結されたとの認識が支配的となっている。これに加え、2014年3月のロシアによるクリミア併合も、ウクライナのNATO加盟にとっては大打撃となった。この事件はヨーロッパの安全保障に対するロシアの脅威をヨーロッパ諸国に痛感させると同時に、ウクライナに対するロシアの固執も改めて再認識させるに至った。NATO加盟諸国の間では、ロシアをこれ以上刺激すること、そしてウクライナをNATOに加盟させることで、同国の抱える紛争をNATO内部に持ち込むことは避けるべきとの認識が広まった。このためクリミア併合を経て、ウクライナのNATO加盟は大きく遠のいたと見てよいであろう。2015年12月にNATOが発表した自らの拡大政策に関する文書においても、ウクライナに関する言及はまったくなされていなかった。

ただし、これはウクライナとNATOとの関係が希薄になったことを意味するわけではない。NATO側は2000年代以降、ウクライナがNATOの実施しているすべての作戦・ミッションにパートナーとして参加している点を高く評価している。またNATO自身も、ロシアによるクリミア併合およびウクライナ東部での戦闘激化以降、様々な支援をウクライナに対して実施してきた。

このような状況の中、同国のポロシェンコ大統領は2017年7月に実施されたストルテンベルグNATO事務総長との会談の際の記者会見で、「ウクライナはNATO加盟の準備を再開し、2020年までに加盟基準を充足することを目指す」と言及し、西側社会を驚かせた。ウクライナではNATO加盟支持が着実に増えており、2017年6月の世論調査では69%に達している(2014年には30~40%程度)。しかし、この数字の裏には皮肉な事実が存在する。2014年のクリミア併合により、ウクライナのNATO加盟には強く反対してきたクリミアのロシア系住民が切り離されたことで、ウクライナ内政における西側志向が強化され、したがってNATO加盟支持も構造的に上昇したのである。

ただしポロシェンコ自身も「ただちに加盟申請を行なうわけではない」ことは明言しており、当面は改革の継続に注力するとしている。またNATOも、同国の汚職対策やガバナンス能力の向上、そしてサイバー攻撃対策などの改革支援の継続は明らかにしているものの、このポロシェンコ発言によってNATOの同国への関与を大きく変化させるつもりはないとされる。ポーランドやバルト諸国など、ロシアの脅威に敏感な中・東欧のNATO加盟諸国が、将来的なウクライナのNATO加盟に対して好意的な姿勢を有していることは事実ではあるものの、その他の多くの加盟国はウクライナのNATO加盟には否定的である。クリミア併合を経て、NATOの対ロシア抑止姿勢は、ジョージア戦争時とは比較にならないほど強化されたが、だからこそウクライナのNATO加盟もまた、少なくとも短期的には想定不可能となってしまったというのが実情であろう。また、クリミア併合やウクライナ東部での戦闘状態が未解決の状況で、ウクライナがNATOに加盟すれば、同国が抱える不安定要因をそのままNATOに輸入することになる。つまり、ロシアを刺激するリスクを冒してまで、不安定なウクライナの加盟を急ぐ動機がNATOには存在しないのである。こうした状況から、同国としては当面、国内改革を粛々と進めつつ、NATOとのパートナーシップの強化を図っていく以外にないだろう。

(東野篤子)

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著者略歴

  1. 東野 篤子(ひがしの・あつこ)

    筑波大学大学院人文社会系国際公共政策専攻 准教授。
    【主要著作】
    『解体後のユーゴスラヴィア』(共著、晃洋書房、2017 年)、『グローバル・ガバナンス学Ⅰ 理論・歴史・規範』(共著、法律文化社、2015 年)、『EU の規範政治―グローバルヨーロッパの理想と現実』(共著、ナカニシヤ出版、2015 年)。

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