『ウクライナを知るための65章』重版に寄せて(服部倫卓)
明石書店では、この度の情勢変動を受けて『ウクライナを知るための65章』を緊急重版することといたしました。
ウクライナへの知識を深めたいとのお声に対して素早く書籍をお届けするため、今回の重版では修正なしとしておりますが、編著者の服部倫卓先生から本重版に際してのご寄稿をいただきましたのでWebあかしにて公開いたします。
なお、本重版(3刷以降)の現物にはこちらのご寄稿を挟み込んでおります。ぜひ現物でもご覧いただけましたら幸いです。
『ウクライナを知るための65章』重版に寄せて
本書『ウクライナを知るための65章』の初版が刊行されたのは、2018年10月のことであった。それから約3年半が経過したにすぎないが、同国をめぐる状況は激変している。
ウクライナ政治の大きな変化と言えば、2019年3、4月の大統領選挙で、新人のゼレンスキーが現職のポロシェンコに対し地滑り的勝利を収め、第6代ウクライナ大統領に就任したことだろう。
晩年のポロシェンコ大統領は、親欧米・反ロシアの姿勢を鮮明にしていた。その結果、2019年にはウクライナ正教会がロシア正教会からの独立を果たし、また憲法にはウクライナの欧州連合(EU)および北大西洋条約機構(NATO)加盟路線が明記されるという進展があった。しかし、国民が身近な経済・社会問題の解決を望む中で、民心はポロシェンコから離れ、それが敗因となった。
対するゼレンスキーは、元々は人気コメディアンであり、政治家や富豪、汚職を風刺するネタで注目を集めた。特に、テレビドラマでひょんなことから大統領に選出される教師を演じたのが当たり役となり、国民の中からゼレンスキー待望論が自然に湧き上がった。2018年の大晦日にゼレンスキーが実際に大統領選出馬を表明すると、人気は鰻登りとなり、結局、国のトップにまで駆け上がることになったのである。
ただ、ウクライナが内外で抱える難問は、そう簡単に解決できるものではない。当初、ロシアとの交渉に柔軟姿勢で臨むかとも思われていたゼレンスキー政権は、次第に前任者のような親欧米・反ロシアの路線に傾き、欧米の後ろ盾を得てクリミアを奪還するといった姿勢を見せるようになった。むろんウクライナ側に非のあることではないが、ロシアのプーチン政権がゼレンスキー政権を見る目が厳しくなったことは事実だろう。
プーチン大統領は2021年7月、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と題する論文を発表した。ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人は歴史的に一体の存在であり、ソ連による誤った民族政策によりウクライナという枠組みが人工的に作られたにすぎず、今日ウクライナは欧米の介入によりロシアへの敵対政策を強めているというのが、その主張であった。今振り返ればこの論文は、後のウクライナ侵攻を正当化するために用意されたものとしか思えない。
ロシアは2021年秋に対ウクライナ国境に大規模な兵力を集結させ、12月にはロシア軍が近くウクライナに侵攻するとの米国情報機関による報告が報じられた。
2022年に入りロシアは2月21日、ウクライナ・ドンバス地方の自称ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を国家承認する決定を行い、それぞれと条約を結んで、ロシアから「平和維持部隊」を送る(実際には以前から存在していたが)ことを取り決めた。この決定が重大だったのは、ロシア自身が執心していたはずのいわゆる「ミンスク合意」に終止符が打たれ、和平の拠り所が完全に失われたことであった。
そして、プーチン大統領は2月24日、国民向けのテレビ演説で、ウクライナに対し「特別軍事作戦」を開始すると表明した。実際に、ロシア軍は同日からウクライナへの大規模な侵攻を開始している。プーチンがどのような表現を使おうと、ロシアの行動は主権国家に対する明白な軍事侵略に他ならない。プーチンはゼレンスキー政権の打倒と傀儡政権の樹立、ウクライナの軍事的無力化などを狙っていると見られる。
ロシア軍は、首都キエフをはじめとするウクライナの広大なエリアの制圧を目指しているものの、ウクライナ軍の勇敢な抵抗や、ロシア自身の作戦のずさんさや士気の低さもあって、苦戦を強いられている。いずれにしても、事態は混沌としており、2022年3月上旬現在、ウクライナという国が元あった姿で存続できるかさえもが不確かな状況となっている。その一方で、ウクライナが現在の危機を乗り切ったあかつきには、EUが将来的にウクライナを加盟国として受け入れる可能性も出てきた。
2018年に本書『ウクライナを知るための65章』の初版を上梓した際には、各方面から歓迎の声をいただいたとともに、現代の政治に関する章についての異論も聞かれた。編者としては、そうしたご意見にも耳を傾けながら、いつの日か改訂版をという思いを抱き続けてきた。増してや、現在ウクライナが激動のただなかに置かれていることを考えれば、いずれそれを反映した新版を世に問うことは必須であろう。
ただ、今現在、ウクライナへの情報ニーズが劇的に高まっている以上、スピード感をもってそれにお応えすることには意味があるはずだ。在庫が払底しご迷惑をかけていたので、今回あえて2018年の初版のまま、『ウクライナを知るための65章』を重版することとなった次第である。内容の改善と更新は他日を期すとして、まずは2018年版でウクライナ入門を果たしていただければ幸甚である。
――――――――――
明石書店では、この度の情勢変動を受けて『ウクライナを知るための65章』を緊急重版し、
それに伴って【ウクライナ情勢を考えるための30冊】を選書いたしました。
また、弊社では、今後の課題として表面化するであろう、安全保障や難民問題等の書籍も取り扱っております。
併せてご用命いただき、深い学びにお役立ていただけましたら幸いです。
※ 【ウクライナ情勢を考えるための30冊】は こちら