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居場所がうまれるとき~団地の「語り」から見えてくるもの

ケアと労働──佐藤あかりさん(2)

倉数 茂

さまざまな仕事

 佐藤さんの話は具体的な人間関係と仕事の話題が多い。人間関係とは、家族(両親、兄弟、夫、子どもたち)、仕事で関わった人たち、近所の人たちとの関係である。仕事の話はそのまま人間関係についての語りでもある。佐藤さんの選ぶ仕事は、単独で自律して行うようなものではなく、スナックや保険営業などの積極的に人と関わってコミュニケーションしていくものか、惣菜工場のような集団で労働するようなものだからだ。
 家族との関係で、佐藤さんはいつも積極的に子どもや夫のことを配慮し、ケアする存在として現れる。そしてこの態度は仕事の現場でも当てはまる。インタビューで出てきただけでも、スナック、カラオケボックススタッフ、コンビニで販売するサラダ作り、生命保険の営業、運送会社事務、印刷物の検品、施設の調理補助といったさまざまな仕事をしてきたし、深刻なパワハラも経験しているのだが、仕事について語る言葉は基本的に明るい。いつも一生懸命体を動かして働いて、家族を支えてきたという誇りがあるのだろう。
 スナックで働いていたのは30代のはじめだ。

 子どもがちっちゃいから、昼間はね、幼稚園、子どもがちっちゃいし、稼げるのは夜しかないと思って、みんなが寝てる間に働けばいいんだと思って、その母のお友達が、スナックというかなんかちょっと踊ったりもできるようなそんなところをやってたのね。
 うち(実家)ももう売るっていうことになって、それで売っちゃったんですよ。
 売っちゃって、母はだからちょっと友達のアパートに住まわせてもらって、そこのアパートの下がスナックみたいなところだったので、そこだったら働いていいよって言われて、それで旦那に了解を取らず、働くのはわたしだからと威張っちゃって、それで夜、そこで働いて、それはね30代前半ぐらいかな32ぐらいかもしれない。子どもまだちっちゃかったので。

 子どもを育てながら夜に働いていた佐藤さん、昼は工場、夜は内職と、仕事を掛け持ちしていた佐藤さんの母親。二人とも大変な働きものだ。もちろん夫の稼ぎが頼りにならない中で、家族のため必死にならざるを得なかったということはあるだろう。しかし人と関わる仕事は楽しかったのだともいう。
 次の発言は、妹さんが経営していたカラオケボックスの店員をやっていたころについてのものだ。働くのはもちろん生活のためだが、同時にカラオケボックスを経営している妹を助けることにもなっている。ここで繰り返される「若いから」という言葉が、若さ=活力を全身で発揮して働いてきたことへの満足感を示している。

 カラオケボックスに「ちょっとお姉ちゃん来てくれない」って言われて、夜、うん。それもね、何時か忘れちゃったんだけど、本当にラストまで、妹と交代交代で、うん、それを結構やってたのかな。受付もやって、あとお客さんを入れたらもう料理のオーダーとか来たら、料理もあったんですよ、焼きうどんや焼きそばとかをポテトとか、うん。ちょっとしたもの、いつもストックしておくわけじゃないので、下がコンビニで、オーダー入って、材料がなかったら下に買いに行って、それで作って、お酒も作って、うん。お部屋も掃除しなきゃいけないし、すごい忙しかったの。やっぱ若いから。

─カラオケ屋さん、何部屋あったんですか

 8部屋くらいあったのかな。そのぐらいありました。全部1人で。もうすごかった。(お客さんが部屋に)入っちゃえばいいんですけど。でもオーダーが(ひっきりなしに)。うん。若い子なんか、(たくさん)頼むし。大変でしたね。もう(お客さんが出たあとの部屋が)ひっちゃかめっちゃかになってるじゃない。掃除もしないといけないし。トイレも。もう本当に大変であんまりどうにもなんないときは、妹に電話して。でも電話する暇もないくらい、結局忙しいから。「時間なので出てください」ってコールも自分で時間を覚えとかなきゃいけないから、伝票見ながら電話です。今はできないです。うんやっぱり若いからね。

 カラオケでのシフトは夜8時から。客が入店できるのは平日は12時まで、土日は深夜2時までだった。客は2時間いられるので、1時59分に入店した客がいれば、3時59分まで応対しなければならない。客がいなければいないで、客室をワックスがけするなど、やることはたくさんある。

世代を貫くケア

 そもそも働くのは家族のためである。そして働くとは具体的には、その時その時の顧客や同僚のことを配慮し、積極的に動くことである。そうやって働くことで家族も養える(ケアできる)。働くことと家族をケアすることが絡まり合い混ざり合い、佐藤さんの人生の中心を貫く流れになっている。
 さらにインタビュー時、佐藤さんがたずさわっていた自治会活動に話が及ぶと、母親のことが想起された。

 小学生のときは私静かでおとなしいと言われてたんですけど、でも母が多分きっとこんな感じ。そうだ、結構いろんな自治会のことだったり、学校のことだったり、何か青少年指導員とか言って、なんか変なブレザー着て、こんな指導したり。自分の息子が不良ぽくなってるのに(笑)。自分の息子にもね、厳しかったですけど、うん。

 祈祷師をしていた祖母、「いろんな自治会のことだったり、学校のことだったり」と積極的に活動をしていた母親、そして佐藤さん本人と、語りの中からアクティブでコミュニカティブな3代の女たちの姿が浮かび上がる。いずれも一生懸命働き、家族を支えていた母親でもある。つまり、働くこととケアすることは、佐藤さんただ一人ではなく、それ以前の世代をも貫いて流れているものである。
 ちなみに佐藤さんは生まれ育った地域から動いていない。ずっと33年間暮らしているS団地は祖母と母と暮らしていた地域の近辺だし、独立した娘や息子が暮らしているのも周辺地域である。これまでの仕事先もずっと地域内にあった。つまり佐藤さんの人生は相模原市内の特定の地域と深く結びついている。
 これまでわたしは人生において何度か転居を繰り返すのを当然のことだと思っていた。進学や就職を機に住む場所を変える。それに応じて人間関係もある程度変わっていく(例えば、子どもの頃の友人とは会わなくなる)。それが普通だと思っていた。もちろん子どもの頃から引っ越しを繰り返していたわたし自身の育ち方の影響も大きい。
 しかし佐藤さんは、何らかの特定の目的のために転居する(それが人生の「転機」になる)という生き方をしていない。
 佐藤さんの人生はローカルな地域のネットワーク(人間関係)と深く結びついており、仕事とケアという活動はそのネットワークの上で行われる。と同時に、佐藤さんの活動によって新たな結線が行われ、ネットワークは活性化する。
 佐藤さんは40代で今の夫と再婚する。
 保険会社の営業していたときに客として出会った人で、トラックの運転手をしていた。
 41歳で文香ちゃんを出産。早産で帝王切開での出産だった。未熟児だった新生児は直ちに入院。当時新しい夫も病気で病院に通わなければいけなかったため、佐藤さんは家と新生児のいる病院と夫の通う病院の三ヵ所を行き来する生活を過ごす。

─じゃあ赤ちゃんはしばらく保育器ですね。

 そう、保育器ですね。よくテレビでやってる病院のNICUで、こんなちっちゃくて、こんなちっちゃいオムツもあるんですよね。うん。こうやって指先で持ってオムツを替える。足なんてもうこんなちっちゃくて。(…)
 ちょうどその頃旦那が病気で、一時期歩けなくなっちゃって、痛くて救急車呼んだことがあったんですね。まだふみちゃんが入院してる頃かな、そのときにすぐ痛くなっちゃって救急車を呼んで運んだことがあったんですね。それで毎回点滴通わなきゃいけなかったんですよ、うちの主人が。その点滴も連れて行かなきゃいけないので、わたしもう、旦那の家の近辺の病院に点滴、連れてって、それで何かご飯作って、今度文香、おっぱいも絞って、病院に。

─体力ありますね。

 そう、だから、うちに来たのはすぐじゃないんですよね。もう生まれて、しばらく、お家、病院。そのときは産休を取ってたので。だから、わたしが普通に仕事してたら、結婚もしてない、赤の他人を病院に連れてくってことになりますからね。そう、絶対できなかった。だから、文香が生まれて、しかもお腹が大きかったら、絶対そんなことできないですもんね。早産で生まれてくれたおかげで、そうやって病院に通って、見てやることができたっていうのがすごいですよね。家族として固まったみたい。そうそうそう。だからもしお腹が大きいままのときに、そういうふうになっちゃっても、わたしそんな動けないですから、そのために早くあの子生まれてきてくれたんだ、きっとそうなんだよっていうのを言ったことあるんですけど。

 赤ん坊が超未熟児で生まれてきたこと、夫が病気で通院しなければいけなかったことは、それぞれ独立した無関係の出来事だが、病院間を行き来する佐藤さんの働きによって結びつけられる。早産であったことも、予定より「早く生まれてきてくれた」おかげで夫のケアをすることができたと再解釈される。つまり時間と空間の双方にまたがって、独立した事象が結線され、新しいネットワークが作られる。そのことが新メンバー(新しい夫と新しい子ども)を迎え入れた「家族」の再形成を促す。

自治会の仕事

 子どもたちが自立したこともあって、いま佐藤さんは働いていない。しかし、働くこととケアすることという大きな流れはそのまま団地の自治会活動に引き継がれているように見える。
 例に漏れず、S団地も高齢化が進んでいる。平日の昼間、団地を訪れると、団地の敷地内はひっそりと静まり返っており、まれに見かけるのは建物の間を杖や歩行具の助けを借りながらそろそろと移動している高齢者の姿だけである。病や障害を抱えた老人の一人暮らしも多い。
 自治会は、そうした高齢者、独居家庭、外国人といった孤立しがちな人々をつなぐ大切なセイフティ・ネットになる。

─どんなトラブルがあるんですか。本当に困ることってあります?

 本当に困るのは、今やっぱり近隣の何だろう。騒音だったり水もれだったりっていうことで、そういうのって、本来は自治会はね関与できないから、そこの人たちだけでやることなんですが、やっぱりね、被害を受けてる人は、言いたくて、自治会はね、もう本当何もできないから話を聞くことしかできないので。ただ今、団地の中でどういうことが起こってるかっていうのは知っておく必要もあるし、それをちゃんと周知、会長たちにね、ちょっと周知してもらう、何ができるわけじゃないんですけどね。だから本当に聞いてもらって「ちょっと安心したわ」とかって、言ってくれるので。自分もね何か解決はしなくてもちょっと聞いてもらうと気持ちが楽になるっていうことですよね。
 結構最近ありますね。もうどうにもならなかったり、ちょっと精神的にちょっと壊れちゃってる人が住んでるとか。住んでて、下から放射能照射されてるって。

─いくつぐらいの方なんですか?

 えーとね、73、74って言ってたかな。一人暮らしの男性。何とかいう人じゃないんですよ。もう本当穏やかに丁寧に話してくれる人なんですけど、だけど妄想。もう警察もうちに入ってみて、何にもないって確認してるんだとか、照射されてるとか言って、こちらも話しを合わせて「照射されてるんですか、誰に照射されてるんですか」って(笑)、「いやでもそんなに簡単にできないですよ」とかって言うと、「いやできる」って、なんかちょっと難しい言葉並べてみたり、何かお話にならなくて。

 ここで語られているのは、自分が放射能による攻撃を受けているという妄想を抱えた住人との関わりである。警察や管理会社が訪問しても扉を開けようとしない難しい住人だった。しかし水漏れのトラブルがあり、佐藤さんが行ってチャイムを押すと、開けてくれて話を聞くことができた。佐藤さんは妄想を否定せず、彼の話を聞く。「誰に照射されてるんですか」と尋ね、「そんなに簡単にできないですよ」と意見も述べる。
 もちろんそれによって男性の妄想が消えたりはしない。けれどもそれまで妄想に閉じ込められていた男性の世界にひとつの窓が開いたとは言えるだろう。
 また自治会の役員でありながら、怒って大きな声を出してしまうので敬遠されている男性がいた。けれども佐藤さんはなぜか親しまれ、時々電話がかかってきていろいろな話を聞いた。その高齢男性は一人で暮らせなくなって病院に移り、やがて亡くなるのだが、その8日前にも病院から電話をしてくるほど、佐藤さんを信頼していた。

─すごいいろんな人に頼られるんですね。

面白いんですけどね。本当にすごい面白いですよ。

 佐藤さんはそのような住人たちと関わりあうことが「面白い」という。いろいろな人のところに行って話に耳を傾ける。そのことが面白い。それは佐藤さんにとって「面白い」と同時に、相手にとってもありがたい、あるいはホッとすることだろう。話を聞いてもらっても妄想が消えるわけではないし、怒りっぽい人を怒りっぽくさせている状況がなくなるわけではない。しかし話を聞いてもらうことで、いくばくかの安堵とつながりが生まれる。
 次はその怒りっぽい男性の電話が通じないので、直接住居を訪れて様子を確かめたときの話である。「心配して来てくれたのか」と男性は「すごく嬉しそう」な表情を見せる。

 やっぱり一人暮らしだから何かあったらやだと思って、もうどうしていいかわかんなくて、もう直接おうちに行ってトントンってやったときがあって、そしたら出てきて、「生きてた? 死んじゃったかと思って、電話もね、通じないし」言ったら「心配して来てくれたのか」って「当たり前じゃないよ」とかって言って、すごく嬉しそうで。

 自治会にできることは限られている。住民の集まりに過ぎない自治会には、専門的な知識も権限も予算もないからだ。団地で具体的な問題として経験されるような建物の老朽化や水漏れ、住人の疾病や精神疾患などに直接介入する力はない。自治会はトラブルに際して「話を聞くことしかできない」のだが、住人は「ちょっと安心した」と感じる。つまり佐藤さんのような人が動くことで、つながりが生まれ、コミュニティが維持される。ローカルなネットワークが活性化する。
 佐藤さんのケアの本質は、直接会いに行き、話を聞くことだろう。団地にはいろいろな人がいる。中にはあまり近づきたくない人、対応の難しい人もいる。しかし佐藤さんは義務感からではなくいろんな人たちに会いに行き、話を聞いて「面白い」と感じることができる。

─いろんな人と話ができそうですね。

 そうですね。なんかもうみんな面白いんですよね。みんなきっといい人ばっかり。わたしのこの周りの人が面白いんですよね。大変な人いますけどね。だけど面白いんです。はい。

 「面白い」と言いながら、いろいろな人たちの間を移動し、耳を傾け、人と人とをつなぐこと。そうした行為の積み重ねが、地域のコミュニティを存続させる。団地の生活を支えているのは、そうした佐藤さんのような人たちの無数のささやかな営みにちがいない。

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著者略歴

  1. 杉山 春(すぎやま・はる)

    一般社団法人てとてと代表理事。東京生まれ。ルポライター。児童虐待、家族問題、ひきこもり、自死などについて取材してきた。著書に『満州女塾』(新潮社)、『ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館文庫 小学館ノンフィクション大賞受賞)、『移民環流』(新潮社)、『ルポ虐待:大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)、『家族幻想 ひきこもりから問う』(ちくま新書)、『自死は、向き合える』(岩波ブックレット)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)など。公営団地内で子どもや母親の居場所を仲間と一緒に運営している。

  2. 倉数 茂(くらかず・しげる)

    小説家、日本近代文学研究。著書に『私自身であろうとする衝動 関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ』(以文社)、『黒揚羽の夏』(ポプラ社)、『名もなき王国』(ポプラ社)、『あがない』(河出書房新社)など。現在ウェブで連載しているものに、「再魔術化するテクスト カルトとスピリチュアルの時代の文化批評」(https://note.com/bungakuplus/n/n720620af6f98)。東海大学文芸創作学科准教授。

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