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『スピノザ〈触発の思考〉』の世界

三木清とスピノザ(2)

スピノザにおける「契約」の不在

これらの点を踏まえ三木は、今日のスピノザ解釈において、「後戻りできない試金石」(ネグリ)ともされている重要な洞察に至ります。

すなわちスピノザの『政治論』における、社会契約の不在ないし消滅という事態です。

契約の思想は「スピノザに於いてさほど重要な意味を持たなかった」、「スピノザに於いてもかの「契約」なる語は見いだされるにしても、それは彼にあって、ホッブズに於いてのように中心的位置に立っていたのではなくして、副次的意味のものであったと見られねばならぬ」(『スピノザにおける人間と国家』)。

それゆえ三木によれば、スピノザは、「国家は力の社会的結合として成立する」という点を捉えています。スピノザにおいては、各人の自然権は、ホッブズにおけるように国家へ譲渡されるのではなく、そのもとへ「移行(übergehen)する」のです。

このように三木は、「スピノザによれば国家と個人との関係は根本的には力の関係である」(同上)という点をはっきりと確認できています。

さらに、三木によれば、二人の結合された力は各々の力よりも大きいから、「多数人の結合された力は、個々別々の多数人の力よりも大である。個人に対する国家の権利は個々別々の多数人に対する結合された多数人の力と同一である」。ここで三木は明らかに、スピノザから「社会的結合」ないし「結合した多数者」(いわゆる「マルチチュード」)の原理を取り出すという、20世紀後半以降のスピノザ再評価における中心的な論点の一つに触れています。

三木を囲う構造的フレーム

しかし奇妙なことに、一方でこの論文において彼は、そうした透察を示す度にある種の「揺り戻し」を見せ、分析をさらに広げる一歩手前でそれを中断してしまうかのような態度を何度もとっています。あたかも三木自身の中に、スピノザの帰結を辿ることを禁じるような別種の思考が「騎手」のように宿っていて、それが自分の見通した領野の彼方に向かおうとする奔馬の手綱を絶えず引き締めているような印象です。

仮にこの騎手がいるとしたら、それは何でしょうか。

戦前、ハイデガーやレーヴィットからも直接指導を受け、『構想力の論理』あるいは『人生論ノート』などの著作で知られる三木は、西田幾多郎を継ぐべき稀な俊秀と目されていたにもかかわらず帝大教授の道を断たれ、その後マルクス主義の立場に立つ哲学者として、既成のアカデミズムにとらわれない執筆活動を積極的に行っていました。

治安維持法違反で二度の検挙・拘留を受けた経験があり、二度目の収監中、終戦から一月も経った1945年9月に獄死したこともよく知られています。その印象があまりにも強烈なためか、三木を、戦前の果敢な「反体制知識人」、あるいは良心的「ヒューマニスト」とみなす人々も少なくありません。

しかし彼が、国家総動員法を発令した近衛文麿内閣のブレーンとして、自発的に戦争に加担した事実も忘れるわけにはいかない事実です。それは消極的協力ではありません。むしろ戦争を擁護――というより積極的に唱道――する立場に三木はいました。

確かに彼は、全体主義や国家の統制を批判する時事的な主張も折々に行っています。しかし、それらから受ける印象は、激烈な反骨精神の表出というよりは、「ずるずる」と現状を追認しながら、どこか不徹底な形で、しかし執拗に意見表明をしている知識人の姿です。

そうした一切を、時代のせいであり自主規制の結果に過ぎないと彼を擁護する立場も成立し得るでしょう。

しかしまず必要なのは、彼にそのような行動をとらしめた理由を、外的な状況に求めるより先に、彼の思想の内的論理のうちに探れないかを検討してみることではないでしょうか。そして、そういう視点から彼の思想を順に辿っていくと、どうもそこには、「転向」などという仰々しいものではなく、一本の「筋の通った思考」を見いだすことすらできそうなのです。

本稿では、先述した彼の「スピノザ論文」という小さな入り口から三木の思想に分け入り、そこにおける「揺れ」を確認しつつ、彼の生涯を貫く「一本の筋」をたぐり寄せる試みをしてみたいと考えています。

なるほどそこから見えてくるものは、多面的な三木の思想活動のすべてを貫通するには不十分な補助線の如きものかもしれません。

しかし、三木ほどの才に恵まれた人物が本格的に取り組んだモノグラフが素材であるならば――スピノザのように西洋近代思想史の「臨界点」に属しているとも言われる思想家についてのものならば、なおさら――、その一篇からでも、逆に彼の抱える限界や問題を炙り出すことが一定範囲で可能なのではないでしょうか。

そしておそらく、その作業から浮かび上がってくるのは、三木の思想だけにとどまらず、近代日本、特に大正から昭和初期にかけての知識階層と民衆が幅広く共有していた――そして今日の私たちもそこから逃れているとは決して言えない――思考フレームの抱える構造的な問題でもあると思われます。

 

 

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著者略歴

  1. 浅野 俊哉(あさの・としや)

    1962年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。筑波大学大学院哲学・思想研究科博士課程単位取得満期退学。現在、関東学院大学法学部教員。政治哲学・社会思想史。著書に『スピノザ――共同性のポリティクス』(洛北出版)、翻訳にM・ハート『ドゥルーズの哲学』(法政大学出版局、共訳)など。

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