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『スピノザ〈触発の思考〉』の世界

シュミットとスピノザ(1)

カール・シュミット(1888~1985)

ドイツの公法学者、政治学者。ボン、ケルン大学などを経てベルリン大学教授。民族の政治的実存を起点に近代的自由主義国家思想を批判し、社会に対する国家、経済・文化に対する政治の優位を主張。ヒトラーの政権掌握後、ナチスに入党し全体主義の理論的基盤を提供した。大戦後はアメリカ軍によって一時期勾留されたが、釈放後は故郷のプレッテンベルクで著作活動を続けた。著作に『憲法論』『現代議会主義の精神的地位』『政治的なものの概念』『大地のノモス』など多数。スピノザの思想を部分的に評価しつつも、厳しく批判。 

※本稿は、小社刊、浅野俊哉『スピノザ〈触発の思考〉』の一部を再編集したものです(本文の注・参照文献の表記は、変更あるいは削除しました)。

 

シュミットは、『リヴァイアサン』に代表されるホッブズの主権論を崩壊させる「蟻の一穴」を、スピノザが穿ったと非難します。シュミットによって「アウトサイダーの思考」と呼ばれたスピノザの立場は、シュミットの立場とどのような点で異なるのでしょうか。(編集部)

 

 

蟻の一穴

「ユダヤ的実存に由来する思考運動の小さな切り替えが、最も単純な一貫性でもって、わずか数年のうちにレヴィアタンの運命における決定的な転換をもたらした」――時にナチスの「桂冠法学者」と評されることもあるドイツの公法・政治学者C・シュミットは、1938年に発表された「レヴィアタン――その意義と挫折」と題するホッブズ論(以下「レヴィアタン」論)の中で、スピノザについてこう述べています。

後述するように、シュミットが指摘しているのは、ホッブズの体系に内包されていた「内面留保」――『リヴァイアサン』第42章で示された、個人の内面的な信仰の問題には国家の強制は及ばないという考え――を梃子にして、スピノザが、超越的な主権権力の正当化を目論むホッブズ的国家論を内側から瓦解させてしまったという認識です。

「千丈の堤も螻蟻(ろうぎ)の穴を以て潰ゆ」と言うべきでしょうか、「可視の神」(deus mortalis)とも称された強大な主権権力の弁証を企図したホッブズ的な国家像が骨抜きにされる事態を、シュミットは慨嘆とも諦観ともとれる口調で記しています。

確かに、いささか劇画的な描写ではあります。しかし、ここに示された誇張表現は、単にホッブズの体系にとってと言うにとどまらず、シュミット自身にとって、スピノザの思想が与える衝撃の大きさを暗に物語っていると考えることもできるのではないでしょうか。「その概念の影響力という点で彼に並ぶ哲学者はいない」というほどにホッブズを熱賛していたシュミット、ディドロに倣って『リヴァイアサン』を「終生読みかつ注釈すべき書」とし、終戦後獄中にあってもボダンとともにホッブズを「私の同室者」とまで語っていた彼にとって、ホッブズに対する批判は、そのまま彼の思想、あるいは彼の姿勢への批判に直結する方向性をも有しているためです。

それゆえ、スピノザが、ホッブズの擁護した絶対王政にその頂点をみる国家主権を中心とする理論から近代自由主義の思想への転換点を形作ったという、シュミットが伝える表のストーリーにのみ注目するのでは、事の本質を見誤る可能性があります。後に見るようにスピノザは、自由主義の唱道者としてというより、極めて現実主義的な――唯物論的と言ってもよい――水準で主権を捉えている点でシュミットとは大きく立場が異なっており、リベラリズム的な立場よりも一歩深い地点から、彼の考えに異議申し立てをしているためです。

実際、シュミットのほうも注釈集の『グロッサリウム』の中で、「スピノザの学説は、共同体に対する感情や歴史といった結びつきに縛られていないアウトサイダーの教義(Lehre eines Abseitsstehenden)である」と記し、自らの思想とスピノザの立場との違和の念を隠していません。

所与の「共同体」への情緒的ないし想像的な紐帯の契機を強調する思考と「アウトサイダー」の思考――いみじくもここには、シュミットとスピノザを分かつ特性がはっきりと示されていますが、その差異とはどのようなものでしょうか。

本稿では、「レヴィアタン」論を最初の例として、そこで表されている「ホッブズの体系に一撃を与えるスピノザ」という一見して了解できる構図ではなく、シュミットが意識的にせよ無意識的にせよ触れないでいる「シュミットの主権論体系を掘り崩すスピノザ」という背景的な構造に分け入り、両者の思想の対比、およびその捻れた関係性の軌跡を辿ってみます。

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著者略歴

  1. 浅野 俊哉

    1962年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。慶応義塾大学法学部を経て筑波大学大学院哲学・思想研究科単位取得満期退学。2004年より関東学院大学法学部教授。2005年より同大学大学院法学研究科教授。政治哲学・社会思想史。著書に『スピノザ――共同性のポリティクス』(洛北出版)、翻訳にM・ハート『ドゥルーズの哲学』(法政大学出版局、共訳)など。

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