シュトラウスとスピノザ
レオ・シュトラウス(1899~1973)
米国の政治哲学者。ドイツ生まれのユダヤ人で1938年に渡米。シカゴ大学などで政治哲学を教え、シュトラウス学派と呼ばれる多くの弟子を輩出。実証主義的な社会科学を批判し自然法の復権を訴えた『自然権と歴史』等の著書がある。ユダヤ教に代表される啓示宗教を擁護する立場から、多くの著作でスピノザ批判を展開している。
※本稿は、小社刊、浅野俊哉『スピノザ〈触発の思考〉』の一部を再編集したものです(本文の注・参照文献の表記は、変更あるいは削除しました)。
厳しいスピノザ批判で知られるシュトラウスとスピノザは、一見相容れない思想を展開していますが、両者の間には、少なくともある一つの箇所で接点があります(編集部)。
激しいスピノザ批判
シュトラウスは、先に見たように人類の歴史を、原初に実現されていた完全性からの堕落とみなしますが、そのさい彼は、聖書的伝統を初めて徹底して破壊した張本人が「不正の教師」と名指されたマキァヴェッリであり、スピノザを、その「マキァヴェッリの冷酷な弟子」、いわば師にも勝る「伝統破壊者」として位置づけています。
「デカルトもホッブズもライプニッツもキリスト教徒であることをやめなかったのに、スピノザはユダヤ教徒であり続けなかった」と語るシュトラウスのスピノザに対する評価は、それゆえ辛辣です。「スピノザは驚くほど破廉恥」であって、「マキァヴェリズムを神学的高みにまで持ち上げる」だけではありません。スピノザは近代科学と同様、「啓示を論駁することに失敗」していますが、スピノザは自然的目的論と完全に縁を切ってしまっているがために、「近代科学のほうがスピノザ哲学よりまだまし」なほどです。さらにスピノザは不敵さにおいてホッブズにも勝る存在と言えます――「私は、周知のように大胆なことで名高いホッブズの言葉をよく引用するが、ホッブズは、自分でさえスピノザほど大胆には書かなかった、と語っている」(『スピノザの宗教批判』ほか)。
まさにシュトラウスにとって、「スピノザは、マキァヴェッリに鼓舞されたその冷酷さゆえに、どんなに非難されても正当化される」存在なのです。
この激しい苛立ちと憤怒。レヴィナスがかつて「スピノザの裏切り」を非難したのと同様(『困難な自由』)、シュトラウスによれば、「スピノザはユダヤ教が真理であることを否定した」せいで告発されるべき存在にほかなりません。
「教義と秘蹟を欠いたキリスト教を非公式に奉じたユダヤ人」とも形容してスピノザのキリスト教への「妥協」をもあげつらいつつ、レッシングを引きながら、彼と同様に啓示批判の最左翼とみなすスピノザへの容赦ない批判を遂行しようとするシュトラウスに、スピノザの体系の「秘教的読解」など、実のところ、望むことは困難です。
では、この双方が共に対話できる糸口、共通の基盤を探すことは全く不可能なのでしょうか。
必ずしもそうとは言い切れません。その一つの道は、〈徳〉についてのシュトラウスとスピノザの考えを比較してみることです。
シュトラウスは、〈徳〉を政治的生活における「最も根本的な問題」と考えていました(「政治哲学とは何か」)。同様にスピノザも、〈徳〉を自らの思想体系の中核に据えています。もしシュトラウスによる自らの宗教的な立場への固執と古代ギリシア哲学への回帰とが、徳を基盤にした「より善き政治とは何か」という問題へと普遍化できるならば、それこそスピノザが思考した政治的問いかけの中心的テーマの一つをなすものであり、彼らの思想には、依然として対話の余地があることになります。
本書第2章では、徳をめぐるスピノザとシュトラウスの対立軸を追います。
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