バーリンとスピノザ(1)
アイザイア・バーリン(1909~1997)
イギリスの政治学者。ラトビアに生まれ、幼時にイギリスに移住。ニューヨーク、ワシントン、モスクワで情報活動に従事したのちオックスフォード大学に戻り、オックスフォード大学社会・政治理論講座教授などを歴任。鋭い現実感覚と明晰な言語分析によって価値一元論を批判し、多元論に基づく自由主義を主張。『自由論』『ヴィーコとヘルダー』など多方面の著書論文を発表した。積極的自由に対して消極的自由を擁護する立場に立ち、スピノザを前者に属するものとして批判した。
※本稿は、小社刊、浅野俊哉『スピノザ〈触発の思考〉』の一部を再編集したものです(本文の注・参照文献の表記は、変更あるいは削除しました)。
「二つの自由」――積極的自由:~へ自由、消極的自由:~からの自由――の区別で知られるバーリンは、スピノザを、自身が擁護する消極的自由とは異なる積極的自由論者とみなし、批判をしています。しかしその批判は妥当なものでしょうか。(編集部)
積極的自由論者としてのスピノザ
「何かが付け加えられるか、さもなければ変更されなければならない」――最晩年のバーリンは、スピノザの哲学についてこう述べました。あまり知られていない論考、「デイヴィッド・ウエストへの返答」の末尾です。
何をめぐってそう言われているかは後に見ますが、著名なイギリスの政治哲学者、政治思想史家であるバーリンは、周知のように「積極的自由」(positive liberty)と「消極的自由」(negative liberty)の区別を主張し、後者の価値を断固として擁護します。この議論は後の政治思想研究に一方ならぬ影響を与えましたが、そのバーリンにとってスピノザは、彼が批判する積極的自由――簡約すると自律的ないし合理的自由――の基盤となる啓蒙および合理主義の礎を築いた存在です。
音楽や数学に当てはまることは、原則的には、自由な自己展開を妨げる多くの外的要素として出現するあらゆる他の障害物にも当てはまるに違いない――これがスピノザからヘーゲルに至る最新の(時として無自覚な)弟子たちが戴く啓蒙的合理主義の綱領である。(バーリン「二つの自由」)
なるほど通説的な思想史を踏まえれば、バーリンが言うようにスピノザを啓蒙的合理主義の創始とみなすという解釈は誤りとは言えません。したがって、もしバーリンが、積極的自由の論拠となる啓蒙や合理主義の立場を批判しようとするならば、彼がスピノザを槍玉に挙げる構図はさほど不自然なものではないとも言えます。しかし、ここで賭けられている問題は、そのような図式的解釈に収まるほど単純なのでしょうか。
本稿でも検討するように、そもそもバーリンの主張には、自由に関する広範な問題を、独自の二項対立的な軸に還元し、概念の豊かさを増すというよりはその単純化へと向かう傾向が少なからずありました。したがって、この対立軸そのものを疑い、図式を一度リセットした上で、「自由とは何か」という問いを改めて提起してみる価値は大いにあると思われます。
そしてまた、そのことと平行して検討すべき課題は、バーリンが解したようにスピノザが単なる合理主義者であり、積極的自由の体現者である――それゆえバーリン的な枠組みの内部では否定されるべき立場である――という議論の妥当性です。
実のところ、バーリンの見解を糸口にスピノザの思想を改めて辿り直してみるならば、そこには、バーリンが唱える二つの自由論とはいくぶん位相の異なる自由概念が展開されていることが見えてきます。バーリン的な二項図式を逸脱するような自由の概念をスピノザが提供しているとしたら、それはどのようなものでしょうか。
このような問いかけ自体には先行者がおり、それが先述した政治学者のD・ウエストです。彼はPolitical Studies 誌に「スピノザの積極的自由」という論文を寄せ、バーリンの攻撃するような積極的自由論の唱道者にスピノザを含めることに異を唱えます。その中で彼は、バーリンのスピノザ解釈を批判しつつ、スピノザをリベラリズムの伝統に位置づけ直そうとする主張をしましたが、それに対してバーリンが同誌上で自説を弁護する返答をします。冒頭に挙げたのは、その一節です。
彼らの論戦は、果たしてスピノザの思想的意義を適切に評価し、スピノザにおける自由の意味内容を十分に捉えたものと言えるでしょうか。
コナトゥスを無視した伝統的解釈
しかしより一層重要なのは、バーリンが、ウエストの議論の主眼点であったスピノザのコナトゥスに関して一言も触れていない点です。彼はその概念の重要性をほとんど解していない可能性があります。
またスピノザの『神学・政治論』や『政治論』といった政治的文献への言及も一切なく、スピノザの思想をトータルに捉える姿勢に欠けています。実際、『神学政治論』においてスピノザが「国家は自由のために存在する」と述べ、社会的な地平で自由概念を捉えようとしていた点を無視して、スピノザの自由が内的・精神的自由にとどまっていると規定するバーリンの理解は、不十分の誹りを免れないでしょう。
バーリンのスピノザ理解は、従来の一般的な思想史家が、もっぱら『エチカ』に焦点を絞ってスピノザを捉えてきた古典的なスタイルの枠を出ていません。
以上の点を踏まえると、バーリンが言うように、スピノザの体系には、「何かが付け加わる必要」があり、「何かが修正される必要がある」のは確かなのです。というのも、従来型のスピノザ解釈が辿ってきた『エティカ』中心の解釈をとると、バーリンのような解釈にほぼ必ず陥ってしまうためであり、それを避けるには、新たに文献が追加され、解釈が変更されること――すなわち、『エチカ』のみならず『神学・政治論』や『政治論』等も含めてスピノザの著作をひとつの体系的業績と捉えた上で、『エチカ』の社会性を再確認する作業――がどうしても必要だからです。
またそれと並んで、スピノザの合理主義を、単なる理性の教説としてではなく、コナトゥスの概念を中心軸に読み直すという再構成の作業も必要になります。これは、スピノザの学説を、形而上学な学的体系としてよりは、情動や身体に関わる自然の学――すなわち自然的であると同時に社会的でもある物質的過程を扱う一つの研究――として捉え直す試みでもあります。
したがって、付け加えられ、修正されなければならない点の多くは、スピノザというよりバーリンの側――および彼も含む伝統的解釈者らの側――にあるのではないか。これが本稿の立場です。
次節からは、このような観点からスピノザの自由論について考察していきます。