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『スピノザ〈触発の思考〉』の世界

はじめに

※本稿は、小社刊、浅野俊哉『スピノザ〈触発の思考〉』の一部を再編集したものです(本文の注・参照文献の表記は、変更あるいは削除しました)。

 

『スピノザ〈触発の思考〉』は、スピノザを、「良心」「暴力」「民主主義」「自由」「権力」といった政治思想の中心的概念に注目しながら彼と縁の深い他の思想家と対峙させ、そこから垣間見えてくる「もう一つのあり得る思考」の可能性を探ろうとする試みです。

この連載では、シュトラウス、アドルノ、バーリン、ネグリ、シュミット、三木清といった各章の思想家を取り上げ、本書の一部分を再編集し、紹介します。(編集部)

 

スピノザの哲学が思想史上の〈異物〉(Fremdkörper)であるという認識は、レーヴィットやハイデガーをはじめとして多くの論者から、これまで繰り返し示されてきました。本書の論考はいずれも、喩えるならば、何らかの形でスピノザと接点のある他の思想家の液体の中に、この異物が、それの持つ異物性を減じられることなく投げ入れられた場合、どのような色彩や組成の変化が起こるかを確認しようと試みるものとなっています。

取り上げた思想家の中には、スピノザの思想を批判ないし否定する者も少なくありません。しかし、ある思想的な枠組みから嫌悪され、否認され続ける存在とは、逆に、その思想の臨界点(あるいは限界)を示していたり、それが隠蔽する地層に属していたりするものであると規定することもできます(例えば、ヘーゲルやハイデガーにおけるスピノザがそうであるように)。仮に影の濃さが光の強さを示すのだとしたら、その影の側から明るみの側を測定しようとしたらどうなるか――そこから立ち現れる世界を、垣間見たいと考えました。

発表する時期も媒体も異なっている独立した論文を集めたものであるため、多少なりともスピノザの著作に親しんでいる人にとっては周知となっている観点を、各稿で飽かず繰り返す結果となっています。しかしながらそのような欠点は、見方を変えれば、彼の著作にあまり馴染みがない読者に対しては、スピノザの中心的な考えのいくつかに反復して触れる機会を提供するものになっていると言い直せるかもしれません。

*   *

スピノザの思考の根幹にあるのは、例えば「無媒介性」(あるいは弁証法/目的論の拒否)、「外部なき思考」(あるいは内在性)、「力」(あるいは力能/能力)、そして「触発」(変様)といった概念――これらはどれもひとつの主題の変奏にほかなりません――などです。確固とした輪郭と実質を持つと想定されている概念が、実は様々な諸力の組み合わせを通して構成される暫定的な構築物のひとつに過ぎないという認識も、当然そこに含まれます。さらに政治思想においては、反ユートピア的な現実主義という特徴も付け加わります。

スピノザが見ていたのは次のような世界のありようです。何かと何かが出会い、そこに前と異なる状態が現出します。出会う対象は、人同士だけでなく、ものや情報、思想やイメージでもよいし、何らかの情動、欲望、あるいは力――権力であれ影響力であれ――でも構いません。世界とは、それらが遭遇し、反発し合ったり、時にひとつに合わさって新たな存在や力を創出したりしながら、絶えず変化を続けて止まない生成の過程以外のものではありません。ある変化が別の変化を生み、それらが凝集してひとつの大きな力を作り出すこともあれば、出会いによってひとつの関係性が解体され、ある部分が細かな捉えられない流れとなってシステムから漏出し、新たな変異を形作ることもあります。それらの一切が、様態というひとつの同じ平面上で生起するのです。

このような諸力の渦巻く場に起こる出来事のありようを、スピノザは触発=変様(アフェクチオ)と呼びました。表題はそこから借りました。

 

 

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著者略歴

  1. 浅野 俊哉(あさの・としや)

    1962年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。筑波大学大学院哲学・思想研究科博士課程単位取得満期退学。現在、関東学院大学法学部教員。政治哲学・社会思想史。著書に『スピノザ――共同性のポリティクス』(洛北出版)、翻訳にM・ハート『ドゥルーズの哲学』(法政大学出版局、共訳)など。

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