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『スピノザ〈触発の思考〉』の世界

ネグリとスピノザ

アントニオ・ネグリ(1933-)

イタリアの哲学者、政治活動家。パドヴァ大学などで教鞭を執る。モーロ首相誘拐・殺人事件等で嫌疑を受け逮捕されるがフランスに亡命。のちに帰国し2003年に拘留解除。資本を超える潜勢力を常に有する労働者の自律性という概念を中心に据えたマルクス主義理論を展開。『マルクスを超えるマルクス』『構成的権力』等のほか、M・ハートとの共著として『帝国』『マルチチュード』『コモンウェルス』などがある。『野生のアノマリー』その他の著作を通し、スピノザの哲学を肯定的に捉え直し、現在におけるその政治的意義を訴える。  

 

※本稿は、小社刊、浅野俊哉『スピノザ〈触発の思考〉』の一部を再編集したものです(本文の注・参照文献の表記は、変更あるいは削除しました)。

 

ネグリは多くの著作でスピノザの思想を肯定的に紹介していますが、実際には、スピノザの政治的思考とネグリのそれとのあいだには、大きな開きがあります。(編集部)

 

制度としてのデモクラシー

率直に言って、スピノザのデモクラシーは、ネグリのそれと、いくつかの点で際立った違いを見せています。本節では、スピノザ最晩年の『政治論』の記述に注目して、その内容を確認していきます。

まず、スピノザにとってデモクラシーとは、さしあたり民主化の運動としてではなく、民主制という統治様式として捉えられていた、という点を確認しておく必要があります。「完全に絶対的な統治権――これを我々は民主的統治権と名付ける」(『政治論』第11章第1節)。

スピノザにおいて民主主義(デモクラティア)とは、例えば、権利の平等を求める社会的な異議申し立てのようなものであるというより、「共同社会状態(status civilis)には、民主的・貴族的・君主的の三種がある」と言われる通り、一つの統治形態ないし政体のあり方なのです。

したがって、スピノザの考える「デモクラシー」は、「自由に向けた人類の進歩」といったような理念的な到達目標ではありません。

だからこそ、条件さえ変動すれば、「民主制政体は貴族制政体に、貴族制政体が君主制政体に変わってしまう」可能性があり得るし、この政体が、持続性や安定性の点で他の政体よりも優れているとも主張されてはいません。実際、「民主制政体ほど長続きのしなかったものもない。民主制政体においてほど反乱の多かったところもない」(『政治論』第6章第4節)というのがスピノザの認識――ルソーも同様の考えでしたが――なのですから。

情動の「効果」としての国家

「国家の法という古典的概念による支配の終焉」という認識を前提に、「法の至上権という諸条件は消失している」(『ディオニソスの労働』)とみなすネグリが解釈するように、「スピノザは、いかなる超越的規範からも解放された絶対的統治、完全に内在的な統治として民主主義を捉えた」と断言することが、スピノザの政治思想の核心を突いたものとは必ずしも言えません。

スピノザは、共同社会を、「必要」というより、「必然的」ないし「自然的」に生起するものとして捉え、法的規制による安定性を伴った統治状態を共同社会の要諦とすら考えていたためです。「実に、法こそ共同社会の生命である」(『政治論』第10章第9節)という主張の根拠は、そこに由来します。

人は孤立した状態では決して自己保存を貫徹できないがゆえに、そして先に引用した通り、「各人は恐れるべき原因を持つことが多ければ多いほどなし得ることが一層少なくなり、その結果、権利を保有することが一層少なくなる」がゆえに、強力な内在的な衝動に促されて相互に孤立的な状況を解消しようとします。そして、そうした感情と欲求が、共同社会の形成を必然的に要請します。

スピノザにおいては、マルクス主義の伝統におけるように、共同社会と国家を同一視した上で、後者をいずれ遠い将来において解消したり廃絶したりすることが可能だとは考えないのです。

この理由は、スピノザが、「国家」ないし共同社会を、改廃可能な機械や装置のようにではなく、人間の相互的な情動という力学から産出される「効果」と見ているためです。

したがって、しばしば彼に帰せられて誤解されるような「愛に基づく共同体」などは、スピノザによれば幻想以外の何ものでもありません。

 

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連載第6回「バーリンとスピノザ」は、2月24日頃、公開の予定です。

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著者略歴

  1. 浅野 俊哉(あさの・としや)

    1962年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。筑波大学大学院哲学・思想研究科博士課程単位取得満期退学。現在、関東学院大学法学部教員。政治哲学・社会思想史。著書に『スピノザ――共同性のポリティクス』(洛北出版)、翻訳にM・ハート『ドゥルーズの哲学』(法政大学出版局、共訳)など。

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