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『スピノザ〈触発の思考〉』の世界

スピノザにおける〈良心〉/あるいは、悲しみの情動(3)

スピノザは〈良心〉に基づく現象を、意識や自覚といった側面よりも広い文脈に位置づけようとしています。

 

〈悲しみ〉との闘い

なるほど先に引用した『短論文』の記述を見る限り、「あとで後悔するようなことをしてしまうくらいなら、最初から確たる理性的洞察とそれに基づいた行動をすべし」というような合理性への訴えが彼の主張のように見えなくもありません。しかし、それだけが理由で、良心の呵責に対して、あれだけの激しい物言い――有害であり、悪として遠ざけるべきであり、避けかつ逃れるべきものであるというような――が出てくるでしょうか。

むしろこれらの記述から受ける印象は、敵視に近い激しさであり、弾劾の口調です。スピノザは何かを、はっきりと、自分の攻撃の対象に見据えています。それは理性の称揚よりも深いところに根ざした彼の姿勢、あるものを擁護するために、あるものを断固として退けようとする厳しさとみなすことができます。

その攻撃の対象となっているもの、それが、先に見た『短論文』の記述や『エチカ』全体を通して批判されている、「悲しみ」の情動であるのは明らかです。

すでに見たように、スピノザの良心論の第一の特徴は、彼が良心の呵責を、悲しみという「情動」に解消した点にあります。

ちなみに「情動」(affectus)と「感情」は同じではありません。「情動とは、私たちの身体の活動力を増大し、あるいは減少し、促進し、あるいは阻害する身体の変様(アフェクチオ)、そして同時にそうした変様の観念である」(『エチカ』第3部定義3)と述べられている通り、情動は、私たちの身体についての感覚(感情)のような意識に還元されるような状態ではなく、身体そのものにおける変化と反応を含みこみ、身体における能動的な力、すなわち活動力(potentiaagendi)の発現の度合いを示す指標のことだからです(エチカ』第4部定理7証明)。

スピノザは、悲しみを、「直接的に悪である」としました(『エチカ』第4部定理41)。

その理由は、悲しみが身体の活動力を減少しあるいは阻害する情動だからであり、精神の能力ではなく「無能力」を表すものだからです。この見方の基礎には、喜びが「人間をより小さな完全性からより大きな完全性へと至らしめるもの」であるのに対し、「悲しみは、人間がより大きな完全性からより小さな完全性へと移行することである」(『エチカ』第3部感情の定義3)という考えがあります。ここでのより大きな完全性とは、人間が精神的にも身体的にもより多くの能動的な諸力に満たされた状態を指しています。

このようにスピノザは悲しみを、人間の意識的側面ではなく、「情動」という身体と精神の双方を含みこんだ、個体の全体的な反応として捉えています。つまり、カントやヘーゲル、ハイデガーやフロイトなど従来型の良心論と系譜的に異なり、スピノザは、良心に関わる現象を――すなわち「悲しみ」を――人間の意識的領域に還元していません。

さらにスピノザの良心論には、第二の特徴があります。

 

 

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連載第3回「シュトラウスとスピノザ」は、2月3日頃、公開の予定です。

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著者略歴

  1. 浅野 俊哉

    1962年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。慶応義塾大学法学部を経て筑波大学大学院哲学・思想研究科単位取得満期退学。2004年より関東学院大学法学部教授。2005年より同大学大学院法学研究科教授。政治哲学・社会思想史。著書に『スピノザ――共同性のポリティクス』(洛北出版)、翻訳にM・ハート『ドゥルーズの哲学』(法政大学出版局、共訳)など。

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