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デジタル社会は立憲主義の夢を見るか?

第11回 デジタル権威主義とは何か

数回に渡り、デジタル主権とデジタル民主主義について概観してきた。今回のテーマは、デジタル権威主義である。中国やロシアなどの台頭により、21世紀は「権威主義」が批判的な意味も込めて大きな注目を集めている。同時代的に隆盛してきたデジタル技術が権威主義と合流することで、果たして、何が起こるのか。はたまた、デジタル立憲主義とデジタル権威主義はどのような関係性を取り結ぶのか――。(編集部)

 今回は、デジタル権威主義(digital authoritarianism)について扱う。デジタル権威主義は、デジタル自由主義やデジタル立憲主義との対比の中で持ち出され、基本的にはネガティブな評価を伴うものとして位置付けられている。しかし、多くの場面で、明確な定義が語られないまま、デジタル権威主義への言及がなされている。

 日本においては、2024年に大澤傑編著の『デジタル権威主義』[1]が刊行されたことで、デジタル権威主義の議論状況を比較的容易に把握できるようになった。今回は、その後の英語圏での議論についても若干の補足をしつつ、デジタル権威主義がどのような概念であるかを整理し、デジタル立憲主義との関係について考察することにしたい。

デジタル権威主義の研究潮流

 デジタル権威主義がいつから、どのように議論されてきたかを理解するためには、デジタル権威主義及びその関連概念を扱う論文を対象に体系的文献レビューを行ったトニー・ロバーツ&マルヨーク・オーステルロムの研究[2]が重要である。ごく簡単に言えば、この研究では、網羅的な文献探索によって得られたデジタル権威主義及びその関連概念に関する4840本の論文を何段階かに分けてスクリーニングし、最終的に最も関連性の高い論文32本を選定したうえで、彼ら自身が全文を再読し分析している。

 ロバーツ&オーステルロムによれば、「デジタル権威主義(digital authoritarianism)」という用語が初めて用いられたのは、2011年に公表されたフレデリック・エレクソン&ホスク・リーマキヤマによるワーキングペーパー[3]である。デジタル権威主義の関連概念としては、「デジタル抑圧(digital repression)」[4]、「ネットワーク型権威主義(networked authoritarianism)」[5]などがあり、これらもほぼ同時期に提唱された[6]。2010年頃から2018年にかけてはネットワーク型権威主義が頻繁に用いられていたが、それ以降は急速にデジタル権威主義が人気になっていく。その理由として、ネットワーク型権威主義は、インターネットを用いたネットワーク型社会に焦点をあてていたが、AIなどのデジタル技術の台頭によって、より広範なデジタル技術への着目へと議論がシフトしていったことが要因であると考えられる。加えて、2018年には、フリーダム・ハウスの年次報告書がその総論部分においてデジタル権威主義の台頭を指摘したこと[7]、米国上院司法委員会が「米国に対する中国の非伝統的スパイ活動――その脅威と考えうる政策的対応」と題する公聴会を開催したこと[8]もあり、「デジタル権威主義」という言葉が注目を集めることになった。また、デジタル抑圧は後述するデジタル権威主義の定義からすれば、デジタル権威主義の一部を構成する概念として捉えることが可能である。そのため、「デジタル抑圧」よりも「デジタル権威主義」の方が用いられる頻度が高いと言えそうである。

 ロバーツ&オーステルロムが選定した32本の論文の代表的な研究分野の内訳は、メディア・コミュニケーション論及びジャーナリズム論に関するものが12本、政治学(国際関係論、外交政策を含む)に関するものが10本、市民団体によるレポートが3本、監視研究(surveillance studies)についてが2本、法学についてが2本であった。この他に、政策担当者が書いたもの、地域研究に関するもの、データサイエンスに関するものが各1本である[9]

 研究の地域的対象の観点からは、中国を対象とするものが9本、ロシアを対象とするものが6本(内2本の研究は中国とロシアの両方を扱っていた)と多く、次いで、イラン、シリアを扱うものが各2本となっている。また、パキスタン、シンガポール、アメリカ合衆国、カンボジアを扱うものが各1本あり、アフリカ諸国、ヨーロッパ諸国を扱うものが各2本、全世界を対象とするものが7本となっている[10]。他方、V-Demの民主主義指数において、中国よりも一貫して権威主義的と評価されている、エリトリア、ニカラグア、アフガニスタン、ミャンマー、ベラルーシなどを対象とした詳細な研究は行われていない。

 まとめると、ロバーツ&オーステルロムの研究では、いくつかの関連する概念がデジタル権威主義に収斂しつつあること、デジタル権威主義に関する研究領域、研究対象地域には一定の偏りがあることが示されている。 

デジタル権威主義の定義

 それでは、「デジタル権威主義」とは何なのか。

 まずは、この概念を日本に紹介した第一人者である大澤傑による説明を確認しておこう。大澤は、その定義が定まっていないことを留保しつつ、「一応のところ、デジタル技術を駆使して、人々の監視や諜報を行う体制(ないし、統治手法)であるという一定の合意は見られる」としたうえで、権威主義体制の安定性を維持するために政府が用いる、抑圧・懐柔・正統化の「手法に対するデジタル技術の有効性を意味する用語」としてデジタル権威主義を位置付けている[11]。ここでいう、抑圧・懐柔・正統化はそれぞれ次のように説明されている[12]。 

抑圧

暴力などを用いて反対派を排除し、体制に挑戦する者の登場を防ぐこと

懐柔

政治・社会・経済的なアメを与えることにより、反対派を体制に取り込むとともに、親体制派が離反しないようにすること

正統化

独裁者個人や体制の正統性を高めるためのプロパガンダなどに代表されるように、人々が自ら体制を支持するように仕向けること

 すなわち、「デジタル権威主義とは、権威主義的統治にデジタル技術が組み合わさったものであり、『デジタル技術が権威主義を強化する』とは、『デジタル技術が権威主義の体制維持のための手法を強化、ないし効率化する』という意味で理解できる」[13]

 この説明は、もともと権威主義体制下にある国家が主体となって、自らの権威主義体制を維持・効率化・強化するために、デジタル技術を用いることを念頭においているもので、デジタル権威主義の研究において広く受け入れられているものといえるだろう[14]。たとえば、ウガンダにおけるデジタル権威主義を分析するムバンギジ・オドマロ=サリ・ヴィック・ルクワゴは、デジタル権威主義を、権威主義政権が「デジタル技術を利用して国民を統制・操作し、反対意見を抑圧し、権力を強化するものをいう」とする[15]

 しかしその一方でオドマロ=ルクワゴは、アメリカ合衆国のトランプ大統領によるSNSの利用の仕方を例に挙げ、次のように述べている。 

トランプ自身、選挙が妨害されたという主張を続けるために大量のツイートを発信し、実際に多くの支持者を得た。民主主義を支持しているように見せかけて、実際には民主主義を弱体化させることを目的とした、また別のタイプのデジタル権威主義が存在する[16]

 このようにデジタル権威主義が、民主主義国家におけるデジタル技術の利用にも関連する概念であるとの議論は、近年強まっている。たとえば、セラフィン・F・マーツは、デジタル権威主義的実践が民主主義体制にどのような影響を与えるかを論じている[17]

 大澤自身も留保する通り、デジタル権威主義の確立された定義はないが、ここでも、体系的な文献レビューを行ったロバーツ&オーステルロムの研究が重要になる。彼らは、デジタル権威主義及びその関連語の定義を試みた32本の文献を分析した結果、各論文の著者らはデジタル権威主義として異なる要素を挙げているが、すべての要素を包括した定義をしている研究はないと述べる[18]。そして、各論者らが挙げる要素から5つの主要な要素を抽出し、これらの要素を考慮した定義が必要だと主張している。すなわち、

 デジタル権威主義とは、①特定の主体(権力主体)が、②特定のデジタル技術(またはアナログ技術とデジタル技術の組合せ)を用いて、③抑圧的行為(監視や偽情報の流布、あるいはその両方など)を実行し、それによって、④一次的効果(公共の場における反対意見の抑圧など)を生じさせ、最終的に、⑤意図された二次的効果(政治権力の維持または獲得)を達成することをいう[19]

 この定義は、まず、①主体を権威主義国家に限定していない。民主主義国家も個人としての愛国的ハッカー(patriotic hackers)やテクノロジー企業のような私的主体も含みうる。このとき、テクノロジー企業は国家によって協力を余儀なくされる場合もあれば、積極的に国家と関係を築く場合も、自主的に抑圧的行為を行う場合もある。次に、②デジタル技術をインターネットなどの特定のものに限定せず、かつ、物理的なインフラや法律との組み合わせも視野に入れている。そして、③抑圧的行為の効果を、④一次的効果と⑤二次的効果に区別する。大澤も強調していたように、デジタル権威主義に関する議論は、権威主義体制の維持という⑤二次的効果の側面に焦点をあててきたが(そしてそれは確かに重要な側面であるが)、抑圧的行為によって、市民に対して生じる効果――④一次的効果――と、権力者にとっての効果――⑤二次的効果――は区別されるべきであろう。また、この定義によれば、⑤二次的効果を意図していないデジタル技術を用いた抑圧――単なるデジタル抑圧――を、デジタル権威主義とは呼ばないと解することになるため、⑤二次的効果を欠く場合は「デジタル抑圧」と整理することが適当であると思われる。それゆえ、テクノロジー企業等が単独でデジタル権威主義の主体になることは理論上ありえるものの、多くの場合は、国家や政党などの政治的主体と(自主的かどうかは別として)協力関係にある場合が多いと考えられる。他方で、テクノロジー企業が単独でデジタル抑圧の主体となることは、十分に観測される[20]

 現時点では、ロバーツ&オーステルロムが提唱する上記の定義によって、デジタル権威主義を捉えておくことが、その全体像の把握と関連概念との関係整理のために有益だと思われる。

デジタル権威主義の実践 

 デジタル権威主義が上記のようなものだとすると、実際にはどのような抑圧的行為――デジタル抑圧の実例、またはデジタル権威主義的実践(digital authoritarian practices)などと言われる――が行われているのだろうか。

 ロバーツ&オーステルロムは、主要な形態として、㋐オンライン検閲(online censorship)、㋑デジタル監視、㋒偽・誤情報、㋓抑圧的法律を挙げている[21]。それぞれについて、簡単に概要を紹介しておこう。

㋐オンライン検閲として議論されているものは、日本の憲法学で用いられている「検閲」概念[22]とはかなり異なる。オンライン検閲には、インターネットのフィルタリング、特定のウェブサイト・キーワードのブロッキング、帯域制御、ネットワーク遮断などが含まれている。たとえば、少なくとも2015年時点での中国では、「公安部が運用するネット検閲システムでは、『法輪功』『多党制』『自由』『民主』など1041個にも及ぶ単語がNGワードとしてフィルタリング対象に設定され、検閲に対応できない海外サイトは『防火長城(グレート・ファイヤーウォール;GFW)』でアクセスが遮断された」と指摘されている[23]。この他にも、サウジアラビアでは、「政府に批判的な内容を掲載するニュースサイトはブロックされる。たとえば、ロンドンを拠点とするオンラインニュースMiddle East Eyeや、同じくロンドンを拠点とするAI-Araby AI-Jadeedのウェブサイトなどは国内ではアクセスできない」などの例がある[24]

㋑デジタル監視には、大量監視(mass surveillance)と標的監視(targeted surveillance)の2種類があるとされる。前者は、全市民を無差別かつ大量に監視するもので、エドワード・スノーデンの暴露によって、アメリカ合衆国やイギリスのような民主主義国家でも実施されていたことが明らかになっている[25]。後者は、活動家、ジャーナリスト、野党政治家といった特定の対象を監視するものである。標的監視において、大きな論争を呼んだのが、イスラエルの民間企業NSO Groupが開発・販売する商用スパイウェア「ペガサス(Pegasus)」である。ペガサスは、「不正アクセスに成功すれば、基本的に相手のスマートフォン」を乗っ取る。「スマートフォンを使って送受信したあらゆるテキスト、通話内容、位置情報、写真、動画、メモ、閲覧履歴」を取得できるだけでなく、「ユーザーに感づかれることなく、カメラとマイクロフォンも起動できる」ため、「遠隔操作による完璧な個人監視が可能になる」NSO Groupは、このペガサスを正式に40か国を超える国家に販売している[27]。さらに、WhatsAppなどの脆弱性を利用することで、ゼロクリックで標的のスマートフォンにペガサスを侵入させている事例がある[28]。たとえば、サウジアラビアの著名な女性人権活動家[29]や、タイの反体制派活動家[30]のスマートフォンに対してペガサスを用いた攻撃が行われている。顔認識技術や音声認識、ドローン、AI技術の深化によって監視技術はさらに発展していくと考えられる。

㋒は、SNSなどを通じて、政治的に有利な形で議論を誘導するために、流布される偽・誤情報を指す。なお、偽情報は、「誤りが含まれる情報のうち、発信者が事実でない事項を事実であると誤認・誤解させる意図を持って発信したもの」を指し、誤情報は「誤りが含まれる情報のうち、発信者が事実でない事項を事実であると誤認・誤解させる意図を持たずに発信したもの」を指しており[31]、この両方が活用されているとされる。またたとえば、サウジアラビアでは、政府がSNSなどのデジタル表現空間を自身にとって都合の良い情報で埋め尽くそうとしてきたとされており[32]、単に偽・誤情報を用いて公論を誘導するだけでなく、偽・誤情報を含む大量の情報で不都合な情報を覆い隠すこともこの類型に含まれる。その意味では、㋒は「偽・誤情報」よりも、「デジタル影響工作(digital influence operation)」とカテゴライズした方が適切かもしれない。デジタル影響工作は、SNSやインターネットなどのデジタル技術を用いて行われる影響工作――「実施主体(国家や非国家主体)が自らの目標に望ましい状況を作り出すため、国内外の標的に対して影響を与えるために行う活動」――を指す[33]。こうしたデジタル影響工作は、国外に向けても行われている。その理由は、自国にとって有利な国際関係を作り出すためと考えるが、大澤によれば、さらに「民主主義国家の政治体制を内側から傷つけ、相対的に自国が体制維持をしやすい環境」を作り出すために行われているとの可能性もある。これは、民主主義国家が弱体化することで、権威主義国家の正統性が高まるという発想である[34]

㋓抑圧的法律は、㋐~㋒とはやや次元が異なり、正確には㋐~㋒を実行するための根拠を提供するものというべきであろう。国家が法律によって、デジタル検閲やデジタル監視をテクノロジー企業に義務付けるものもここに含まれる。たとえば、テクノロジー企業がサービスを提供する中で取得した「個人情報及び重要データ」に中国政府がアクセスすることを可能にする中国サイバーセキュリティ法などの例がある[35]。米国がTikTokやWeChatを規制しようとした懸念の源泉はここにある[36]

* * *

 以上、デジタル権威主義がどのような形で議論されてきたか、そして、実際にどのようなデジタル権威主義的実践が行われてきたかを概観してきた。こうした実践が、実際にどの程度の④一次的効果・⑤二次的効果を発揮しているかについては、実証的な研究が続けられているが[37]、ここでは、この点には踏み込まない。

デジタル権威主義とデジタル立憲主義

 最後に、デジタル権威主義とデジタル立憲主義の関係について考察する。

 デジタル立憲主義は、EUのデジタル政策を説明するための記述的概念として用いられることもあるが[38]、多くの論者は、デジタル社会の規範理論の一つとしてデジタル立憲主義に言及しているように思われる(第6回参照)。

 これに対して、デジタル権威主義は、多くの場合、権力主体によるデジタル技術を用いた抑圧的行為の実態を説明する記述的概念として用いられていると考えられる。そして、立憲主義及び民主主義の定着した国に拠点を持つ研究者からすれば、デジタル権威主義をデジタル社会の規範理論と位置付けることは奇異に映る。しかし、権威主義国家の内部あるいは権威主義的体制の構築を試みようとする主体からすれば、目指すべきデジタル社会像としてデジタル権威主義を掲げることはありうる。その場合、たとえば、一次的効果を抑制しつつ(一次的効果が強くなり過ぎれば市民からの反発を制御しきれなくなる可能性がある)、意図した二次的効果を獲得するために、どのようなデジタル技術を用いるか、どの程度の抑圧的行為を行うべきかなどが追求されることになるだろう。これを憲法論の観点から敷衍すれば、適切なデジタル権威主義の実現のためには、どのような憲法解釈や憲法改正、法制度の設計を行うべきかが議論されることになる。

 このようなデジタル権威主義に関する議論を精確に把握しておくことは、少なくとも、次のような意義がある。

 第一に、デジタル立憲主義は法律によるデジタル空間の立憲化を主張するが、法律を用いた国家の関与を要請することは、国家による抑圧的行為と紙一重である(第10回も参照)。どのような国家による関与が権威主義的な抑圧行為であるといえるのか、デジタル技術を用いた抑圧行為にはどのようなバリエーションがあるのかを理解しておくことは、国家による関与の適切性を制御するために不可欠な視点である。

 第二に、デジタル社会の規範理論の観点からは、デジタル権威主義が「幸福な監視社会」をもたらしている可能性を無視できない[39]。権威主義国家のもとで暮らす市民の視点からみれば、監視社会は、(監視や個人の信用度のスコアリングなどによる)信頼・信用や安全・安心といった価値を持つことになる。権力主体の抑圧的行為が激化すれば、こうした価値も消失するが、適度に制御されたデジタル権威主義に基づく社会像を直ちに排除する必要もないように思われる[40]

 デジタル立憲主義にはより魅力的な社会像を提示して、適度に制御されたデジタル権威主義に基づく社会像を退けることが求められる。もっとも、現代の民主制国家においてもデジタル技術を用いた大量監視が行われており、安全保障や治安維持の観点から正当化が試みられていることを忘れてはならない。デジタル立憲主義は、自由と安全、あるいは自由と幸福のトレードオフをどのように考えるのか、デジタル権威主義の議論はこの問題を示唆しているように思われる。

 その問いへの筆者の回答は、今後の宿題としたい。

◆第11回 おわり 


[1] 大澤傑『デジタル権威主義――技術が変える独裁の“かたち”』(芙蓉書房出版、2024年)〔『デジタル権威主義』〕。

[2] Tony Roberts & Marjoke Oosterom, “Digital Authoritarianism: A Systematic Literature Review” (2025) 31 Inf. Technol. Dev. 860.

[3] See, Fredrik Erixon & Hosuk Lee-Makiyama, “Digital authoritarianism: Human rights, geopolitics and commerce” (2011) ECIPE Occasional Paper, No. 5/2011, European Centre for International Political Economy (ECIPE).

[4] See, Ronald Deibert, John Palfrey, Rafal Rohozinski and Jonathan L. Zittrain eds., Access Denied: The Practice and Policy of Global Internet Filtering (MIT Press, 2008).

[5]See, Rebecca MacKinnon, “Liberation Technology: China’s ‘networked authoritarianism’” (2011) 22(2) Journal of Democracy 32.

[6] このほか、「デジタル・レーニン主義(digital Leninism)」などの用語が用いられることもある。大屋雄裕「個人信用スコアの社会的意義」情報通信政策研究2巻2号(2019年)15頁以下などを参照。

[7] Adrian Shahbaz, "The Rise of Digital Authoritarianism," Freedom on the Net 2018 (Freedom House, 2018).

[8] China's Non-Traditional Espionage Against the United States: The Threat and Potential Policy Responses: Hearing Before the S. Comm. on the Judiciary, 115th Cong. (2018).

[9] Roberts & Oosterom, supra note 2, at 870.

[10] Ibid. at 871. なお、大澤編『デジタル権威主義』には、中国、ロシア、中東、東南アジア、ラテンアメリカ、ウガンダにおけるデジタル権威主義を対象とした論文が収録されている。

[11] 大澤傑「デジタル権威主義の分析枠組み――デジタル技術が権威主義体制の安定化/不安定化にもたらす効果」同編『デジタル権威主義』16-17頁。

[12] 同上17頁。大澤によれば、権威主義国家は民主的正統性が低いため、それを補うためにこれらの手法を用いて、自らの統治を正統化しようとするとされる(同16頁)。

[13] 同上。なお、同書での検討を踏まえた終章での定義においても、この点は維持されている。大澤傑「デジタル権威主義論再考ーーデジタル技術と政治体制の関係を問い直す」大澤編『デジタル権威主義』259頁。

[14] See, Alina Polyakova & Chris Meserole, “Exporting digital authoritarianism: The Russian and Chinese models”, (2019) Democracy and Disorder Series 1.

[15] ムバンギジ・オドマロ=サリ・ヴィック・ルクワゴ(野呂瀬葉子訳)「ウガンダにおけるデジタル権威主義――ハイブリッド独裁国家におけるソーシャルメディアを巡る駆け引き」大澤編『デジタル権威主義』152頁。

[16] 同上154頁。

[17] Seraphine F. Maerz, “How Practices of Digital Authoritarianism Harm Democracy”, (2026) 33 Democratization 163.

[18] Roberts & Oosterom, supra note 2, at 873.

[19] Ibid.

[20] 後述する、NSO Groupのスパイアプリに関する事例や、ショシャナ・ズボフ(野中香方子訳)『監視資本主義――人類の未来を賭けた戦い』(東洋経済新報社、2021年)などを参照。

[21] Roberts & Oosterom, supra note 2, at 875. オンライン選挙の操作を挙げるものもある。岡田美保「ロシアにおけるデジタル権威主義――なぜ反戦は反プーチンにならないのか?」大澤編『デジタル権威主義』64頁。

[22] 日本の憲法学でいうところの「検閲」は、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」を指す(最大判昭和59年12月12日民集38巻12号1308頁)。この検閲概念は相当に限定されているが、これは、日本国憲法21条2項が検閲に該当するものを「禁止」するという立て付けになっているため、何が「検閲」に該当するかを絞り込むアプローチを採っていることによる。

[23] 五十嵐隆幸「中国の『デジタル権威主義』――『中国式の統治システム』は、なぜ民主主義に対する脅威と言われるのか」大澤編『デジタル権威主義』36頁、および、同書も参照する山谷剛史『中国のインターネット史――ワールドワイドウェブからの独立』(星海社、2015年)も参照。

[24] 溝渕正季「中東におけるデジタル権威主義――デジタル抑圧、地政学、『監視資本主義』」大澤編『デジタル権威主義』95頁。

[25] デイヴィッド・ライアン(田島泰彦ほか訳)『スノーデン・ショック』(岩波書店、2016年)等を参照。

[26] ローラン・リシャール&サンドリーヌ・リゴー(江口泰子訳)『世界最凶のスパイウェア・ペガサス』(早川書房、2025年、Kindle版)10頁。

[27] 同上。

[28] Bill Marczak et al., “FORCEDENTRY: NSO Group iMessage Zero-Click Exploit Captured in the Wild”, Citizen Lab Research Report No. 143 (2021).

[29] 溝渕・前掲注24)96頁。

[30] 木場紗綾「東南アジアにおけるデジタル抑圧および影響工作と市民社会」大澤編『デジタル権威主義』112-113頁。

[31] なお、フェイクニュース(fake news)という概念もよく知られているが、フェイクニュースは多義的な概念となっており、学術的な議論では使い難くなっている。すなわち、フェイクニュースには、①偽情報と互換的に用いる用法、②ニュース・メディアの形式やニュース報道を装って行われる誤りを含む情報の発信と捉える用法、③トランプ前大統領など一部の政治家が自らの気に入らない報道機関の報道に対して、当該報道はフェイクであると攻撃する手段としての用法、がある。偽・誤情報とその周辺概念の整理については、山本健人「偽誤情報対策と表現の自由論」ジュリスト1603号(2024年)26頁以下、藤代裕之「フェイクニュース対策における「ニューストラスト」の重要性」情報通信学会誌41巻3=4号(2024年)69頁を参照。

[32] 溝渕・前掲注24)96-97頁。

[33] 久古聡美「デジタル影響工作をめぐる動向と対応」国立国会図書館調査及び立法考査局編『デジタル時代の技術と社会 科学技術に関する調査プロジェクト報告書』(2024年)31頁。

[34] 大澤・前掲注11)20頁。

[35] たとえば、横大道聡「安全保障の構造変容と情報法――米国の中国プラットフォーム事業者の規制を手がかりに」石井由梨佳編『講座 情報法の未来をひらく 第7巻 安全保障』(法律文化社、2024年)21-26頁などを参照。

[36] 同上。

[37] デジタル権威主義的実践の効果に関する興味深い指摘として、ティベリウ・ドラグとヨナタン・ループによるものがある。彼らは、デジタル技術の発展によって、体制への反対派が組織される前にこれを封じる予防的抑圧が増加することを指摘し、近年観測されている大量虐殺などの身体的暴力の減少は、人権規範の浸透ではなく、非暴力的な予防的抑圧が成功した結果であるとの可能性を指摘している。See, Tiberiu Dragu & Yonatan Lupu, “Digital Authoritarianism and the Future of Human Rights” (2021) 75 Int. Organ. 991.

[38] デジタル立憲主義を記述的概念としてのみ扱っているわけではないが、現段階のEUのデジタル政策をデジタル立憲主義だと整理するものとして、Giovanni De Gregorio, Digital Constitutionalism in Europe: Reframing Rights and Powers in the Algorithmic Society (Cambridge University Press 2022).

[39] 梶谷懐=高口康太『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書、2019年)等を参照。

[40] 山本健人「デジタル立憲主義と憲法学」情報法制研究13号(2023年)66頁、大屋・前掲注6)24頁を参照。

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著者略歴

  1. 山本 健人(やまもと・けんと)

    現職:関西大学社会学部メディア専攻准教授/慶應義塾大学KGRI訪問准教授/東京大学みらいビジョン研究センター客員研究員
    慶應義塾大学大学院 法学研究科 公法学専攻後期博士課程単位取得退学、博士(法学)。
    主著に、『承認と対話の憲法理論――法の下の宗教的多様性』(ナカニシヤ出版、2025年)、共編著として『合理的配慮と憲法――日韓欧米各国における差別の緩和・解消の試み』(ナカニシヤ出版、2025年)など。また主な論文に「デジタル立憲主義と憲法学」(情報法制研究、2023年)、「デジタル立憲主義と情報空間の立憲化」(法律時報、2024年)、「世論・法・アルゴクラシー――法における世論と統治における世論」(法学セミナー、2025年)、「情報空間への国家介入の見取り図――DPF規制に向けた放送規制の根拠論とその応用可能性」(法学研究、2026年)など。

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