明石書店のwebマガジン

MENU

デジタル社会は立憲主義の夢を見るか?

デジタル立憲主義の系譜

ここまで「立憲主義」ならびに「近代立憲主義」の概念を確認してきた。この作業の中で、浮上してきた“難問”に向き合いながら、デジタル立憲主義が「立憲主義」というワードを、あるいは概念を盛り込む/こだわる理由について詳述したのが、前回までである。今回からは「デジタル立憲主義」が登場するまでの前史を振り返りつつ、改めてこの概念が何を議論しようとしているのかにスポットライトを当てることで、その射程範囲について考察していく。(編集部)

 前回まで、デジタル立憲主義が登場する背景と(第2回・3回)、デジタル立憲主義を理解するために必要となる前提(第4回・第5回)について議論してきた。今回からの数回では、デジタル立憲主義の構想そのものを扱う。第6回では、デジタル立憲主義がどのように発展してきたのか、その系譜を振り返る。続く、第7回では、デジタル立憲主義に向けられる批判的分析を検討する。そして、第8回以降では、デジタル立憲主義に対する批判に応答し、デジタル立憲主義の構想を改めて整理して提示することにしたい。

 なお、デジタル立憲主義の構想がどのようなものかについては、筆者自身の先行する研究[1]があるほか、山田哲史[2]や陳冠瑋[3]による紹介も公表されている[4]。デジタル立憲主義に関する研究は、現在進行形で進展しているが、基本的な構図は既に日本語で読める各研究を参照することでつかめるだろう。今回の内容は、(特に拙稿を中心とした)先行研究と重なる部分も多いことを予めお断りしておく。

デジタル立憲主義の萌芽:第0世代

 デジタル立憲主義を牽引する研究者の一人である、アイルランドの憲法学者エドアルド・セレストによれば、デジタル立憲主義が興隆してきたのは、2009年~2018年である[5]。彼はこの時期の研究を「第一世代」と呼ぶ。この時期の特徴は後述しよう。

 第一世代の研究が興隆する以前に、デジタル立憲主義の萌芽となる研究が存在していた。それが、オーストラリアの情報法学者ブライアン・フィツジェラルド[6]とアメリカ合衆国の法学者ポール・シフ・バーマン[7]の研究である。

 1999年の論文の冒頭でフィツジェラルドは、次のように述べる。

かつては、立憲主義とは国家の公的機関の権力行使を規定する法的・政治的概念だと考えられていた(と教えられていた)。それが大きく変わった。今日、立憲主義には、特に企業、集団、個人による私的領域での権力行使や、私たちの日常生活における国際機関(多国籍企業を含む)の重要性の高まりを包含する、より広範な定義が必要である[8]

  この問題意識を踏まえて、フィツジェラルドは、「情報立憲主義(informational constitutionalism)」という構想を提示するが、その概要は次のようなものである。①ソフトウェア(コンピューターに動作方法を指示する命令のセット)が、我々の日常生活の重要部分を占める不可欠なものとなってきており、このソフトウェアを規定するソースコードの設計者――多くの場合私的主体――が権力主体となりうる[9]。②情報化社会における権力の行使は、私的主体と依然として強制力を有する公的主体(国家)とによって共有される。③この状況に対して、私的主体の自主規制にのみ任せるのではなく、自主規制に委ねる範囲を国家法(知的財産法、契約法、競争法、プライバシー法)によって統制すべきである。④これらの国家法は、デジタル空間で「憲法的」な役割を果たすものである。

 フィツジェラルドの議論は、私的主体――とりわけ、現在でいうビッグテックや巨大DPF事業者――の行動を法律によって統制するべきだというものである。また、私的主体の行動を統制する「法律」を国家における「憲法」のアナロジーでとらえ、私的主体の権力制限の法的根拠を見出すものといえるだろう。

 2000年のバーマンの研究もまた、私的主体によるコードの設計を強力な権力行使になりうるものと想定する。加えて、アメリカ合衆国の法学者であるバーマンは、合衆国憲法の規範が公的主体あるいは公的主体が行ったとみなせる行為にのみ及ぶとされていることも前提とする。そのうえで、バーマンは私的主体に憲法を直接適用するための理論を構築しようとした。それが「構成的立憲主義(constitutive constitutionalism)」と彼が呼ぶものであり、次のようなものである。①憲法は単に公的主体を規律するだけでなく、「社会の構成的な価値」――当該社会の基本的な価値――を体現するものであり、社会的相互作用を評価するための指標となる。②現代においては社会の構成的な価値でもある憲法の中核的価値が私的主体によって脅かされる可能性がある。③人々は私的主体による脅威に対して何をすべきかを議論するための生産的な言語が必要であることを理解している。④社会の基本的価値を明確にし、困難な政治的問題について合意に達するための場としては裁判所が期待される。⑤裁判所による憲法に基づく裁定は私的主体にも拡大されるべきである。

 バーマンの議論は、憲法を当該社会の基本的価値秩序を反映するものと位置づけ、当該価値が私的主体によって脅かされるのであれば、それへの対処が必要であるとするものである。バーマンはフィツジェラルドと異なり、「立法」ではなく、「司法」にその役割を期待する。そのため、憲法が直接、私的主体の行為に適用されるという構成を採ることになる

デジタル立憲主義の興隆:第1世代

 フィツジェラルドやバーマンの議論は、いまではデジタル立憲主義の最初期の議論と位置づけられるが、彼らは「デジタル立憲主義」を名乗ってはいない。「デジタル立憲主義」という用語を明示的に打ち出したのは、オーストラリアの情報法学者ニコラス・スゾーであるとされる。そして、スゾーの研究[12]以降、デジタル立憲主義に関する様々な研究が展開されていくことになる。この時期は、デジタル立憲主義という概念の明確な定義や体系化は志向されておらず、憲法上の権利や原則の観点から、テック企業の私的権力に関わる問題への対処を考察する研究が展開されていたといえるだろう。いくつか紹介しておこう。

 まずは、スゾーの研究をみておこう。彼は、私企業が運営するバーチャル・コミュニティ[13]の利用規約などを憲法原則――とくに法の支配――によって制御することを検討した。ごく簡単に要約すると次のような議論である。①利用規約等は私的主体によって一方的に形成される内部ルールであるが、利用者はこれに同意しているため、一応は正統なものといえる。②だが、バーチャル・コミュニティの利用規約なども国家法からの制約を全く受けないわけではないとしても、バーチャル・コミュニティにおける国家法の役割は大きく低下している。③私的権力の制限のために、次の2つの形で憲法(的価値)を活用すべきである。第一に、私的主体の利用規約等の適正さを評価する指標として。第二に、私的主体の利用規約等を制限する法律を制定し、発展させる指針として。また、スゾーは2018年の論文で、14の主要なSNSの利用規約等がどの程度法の支配の価値に準拠しているのかを調査し、総じて準拠度のスコアは低いと結論付けている[14]

 スゾーの議論は、憲法を直接適用するわけではなく、評価の指標や立法を導く指針と位置づけつつも、憲法的価値の重要性を強調する点で、フィツジェラルドとバーマンの双方の議論から影響を受けたものといえるだろう。SNSなどの利用規約に着目する研究としては、リー・バイグレイブによる研究[15]やセレストによる研究[16]などもある。なお、バイグレイブは、全世界のドメイン名の配分を行っているICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)のガバナンスに注目する研究も行っている[17]。そこでは、利用規約やICANNのガバナンスに立憲的価値を埋め込むべきだとの主張がなされている。

 また、この時期には、デジタル空間に適用される「憲法規範」のボトムアップによる形成を分析する研究も現れている[18]。たとえば、スイスの法学者ヴァギアス・カラヴァスは、バーチャル世界のガバナンスにおける法や裁判所の役割は、憲法や私法による権威ある秩序を押し付けるのではなく、自律的な社会システムによる自律的な秩序――「市民憲法」――の形成を手助けすることにあると論じ、こうしたアプローチを「デジタル立憲主義」と呼んでいた[19]。このほか、ギル=レディカー=ガッサーは、法的拘束力をもたず、作成経緯の大半に民主的な正統性もない、インターネット空間における権利と義務についての宣言(以下、「インターネット権利章典」という)に着目し、インターネット権利章典を確立しようとする一連の取り組みを包摂する用語としてデジタル立憲主義を用いていた[20]。インターネット権利章典を分析する研究としては、この他に、議会主導のものを分析したマウロ・サンタニエロら[21]による研究などがある。

  この時期、これらの研究で用いられる「デジタル立憲主義」という用語に、共通の使い方はなかったように思われる。また各研究は、デジタル空間の越境性、グローバル化の進展、国家の役割の後退といった同時代的な課題とも共鳴しつつ、多種多様な方向性で議論を展開していた。

デジタル立憲主義の体系化と展開:第2世代?

 セレストは、2019年以降の研究を「第2世代」と位置づける[22]。この時期の特徴を現時点で評するのはやや時期尚早と思われるが、セレストによれば、第1世代が伝統的な憲法領域に属さない主体や法源に焦点をあてたのに対して、第二世代の研究では、立法や判例といった伝統的な研究素材を用いてデジタル立憲主義に関する研究がなされたこと[23]が特徴の1つであると指摘する。また、量子コンピューティングなどの新技術との関係でデジタル立憲主義を議論する研究[24]も登場する。さらに、セレストの自身の研究でもあるデジタル立憲主義の体系化を試みる研究[25]や、デジタル立憲主義を批判的に吟味する研究が現れ始めるのも、この時期である。やはり「第2世代」の研究の特徴がどういったものかを説明することはまだ難しいだろう。

 もっとも、ややカオス的でもあった第1世代の研究を受けて、セレストがデジタル立憲主義の体系化を試みたことは重要な転機であったといえる。ここでは、デジタル立憲主義の議論構造の把握においても重要である、この2019年のセレストの研究を簡単に紹介しておこう。

 セレストは、まず、「デジタル立憲主義」と「デジタル空間の立憲化」を区別する(図①)。セレストによれば、「デジタル立憲主義」とは、デジタル空間を立憲的価値によって統制しようという「理念(ideology)」[26]であると定義される。理念として定義する意図は、「デジタル立憲主義」を純粋に理論的な概念として捉えて、その現実社会への実装プロセスとは区別する点にある。そして、「デジタル空間の立憲化」とは、理念としてのデジタル立憲主義が示す規範となる価値に基づき、デジタル空間を統制する具体的な対処を行ったり、対応策を生み出したりする社会実装プロセスを指している。

 

図①:セレストによるデジタル立憲主義の構造整理[27]

 

 この整理に基づけば、デジタル立憲主義には、理念的次元と理念の実現プロセスの次元が存在することが認識でき、多種多様な方向性を持つ研究がデジタル立憲主義を標榜することを巧みに説明することが可能となる。すわなち、理念のレベルでは合意があっても、実現プロセスにおいては見解が分かれているのである[28]。セレストによれば、立憲化の次元においてこれまでの学説が依拠してきた手法は調和的に捉えることができる。フィツジェラルドやスゾーが示す法律の憲法的役割及び法律による立憲的価値の実現、バーマンが指向する憲法および憲法裁判の役割、ギルらが注目したインターネット権利章典による憲法規範の生成などの様々な手法は、常に相互排他的な関係にはならない。つまり、デジタル空間における国家権力の制限には憲法を、私的権力の制限には(立憲的価値を反映した)法律を用いるといった組合せもありうる。

 こうしたセレストの整理によって、デジタル立憲主義がそもそもどのような研究潮流なのか、また、この概念に関する研究の相互関係や見取図がある程度は示されたといえる。この整理によれば、デジタル立憲主義は、デジタル空間を立憲主義的価値によって統制しようという理念を共有する、多種多様な研究を包摂することになるため、一種のアンブレラタームとして機能しているといえるだろう。

 * * *

 以上、デジタル立憲主義をめぐる議論がどのような形で展開してきたかをごく簡単にみてきた。デジタル立憲主義は、それが登場してきた当初より一貫した構想として提示されたものではなく、デジタル化によって生じた諸問題に対処しようとする様々な研究が共鳴する形で生じた研究潮流といえるだろう。セレストの重要な貢献によって、デジタル立憲主義の見取図が描かれたが、それでもまだその全体像が十分に整序されているわけではない。この点にも関連して、近年ではデジタル立憲主義に対する批判的分析も見られるようになってきている。次回は、デジタル立憲主義に対してどのような批判が向けられているのかを検討する。

◆第6回 終わり


[1] 山本健人「EUのAI規則案とデジタル立憲主義」IFI Working Paper no.13(2023年)、同「デジタル立憲主義と憲法学」情報法制研究13号(2023年)56頁以下、同「デジタル立憲主義と情報空間の立憲化」法律時報96巻5号(2024年)8頁以下、同「デジタル立憲主義――怪獣たちを飼いならす」石塚壮太郎編『プラットフォームと権力』(慶應義塾大学出版会、2024年)21頁以下。

[2] 山田哲史「デジタル立憲主義をめぐって――社会的立憲主義からの展望」浅野有紀ほか編『グローバル法・国家法・ローカル法』(弘文堂、2025年)286頁以下。

[3] 陳冠瑋「EUのデジタル立憲主義の発展と課題」EU法研究17号(2025年)41頁以下。

[4] このほか、髙橋史則「デジタル立憲主義についての覚書(1)――明確化・精緻化に向けた一試論」早稲田法学100巻4号(2025年)43頁以下、松尾隆佑「プラットフォーム企業の権力と正統性――デジタル立憲デモクラシーへ」年報政治学2024年度2号(2024年)173頁以下、水谷瑛嗣郎「デジタルメディア環境の立憲化」情報法制研究14号(2023年)119頁以下などがある。また、デジタル立憲主義に言及するものとして、山本龍彦「近代主権国家とデジタル・プラットフォーム」山元一編『講座 立憲主義と憲法学 第1巻 憲法の基礎理論』(信山社、2022年)147頁以下、曽我部真裕「社会のデジタル化と憲法」憲法理論研究会編『次世代の課題と憲法学』(啓文堂、2022年)33頁以下、宍戸常寿「憲法と社会のデジタル化についての覚書――『デジタル』か『反デジタル』かを超えて」世界2023.11(2023年)156頁以下、長谷部恭男「グローバル立憲主義の可能性」けいそうビブリオフィル(2024年10月1日)などがある。

[5] Edoardo Celeste, “Conceptual Approaches to Digital Constitutionalism: A Counter-Critique” in Laura Schertel Mendes & Ricardo R. Campos eds. Digital Constitutionalism (Nomos, 2025) 15, at 18.

[6] Brian Fitzgerald, “Software as Discourse? A Constitutionalism for Information Society” (1999) 24 Altern. Law J. 144.

[7] Paul Schiff Berman, The Cultural Value of Applying Constitutional Norms to ‘Private’ Regulation” 71 U. Colo. L. Rev. 1263.

[8] Fitzgerald, supra note 6 at 144.

[9] この議論は、「コードは法」であるとの主張を行った、著名なアメリカ合衆国の憲法・情報法学者ローレンス・レッシグの議論とも共鳴する。Lawrence Lessig, Code: And Other Laws of Cyberspace (Basic Books, 1999).

[10] これは、ステイト・アクション法理として知られている。一般的な説明によれば、ステイト・アクション法理とは、私人の行為が公的機能を果たしている場合や、裁判所が私人の行為を執行している場合、政府ないし州の関与、授権、奨励が存在する場合には、私人の行為を政府ないし州の行為とみなし、憲法によって拘束する、というものである。松井茂記『アメリカ憲法入門〔第9版〕』(有斐閣、2023年)206-211頁。

[11] これは、憲法の私人間効力に関する議論であり、バーマンの結論はいわゆる直接効力説(私人間での権利侵害においても、憲法上の権利に基づいて裁判所による救済が図られるという説)に近い。

[12] Nicolas Suzor, “Digital Constitutionalism and the Role of the Rule of Law in the Governance of Virtual Communities” (2010) PhD, Queensland University of Technology. [https://eprints.qut.edu.au/37636/].

[13] ここでのスゾーの研究対象は、いわゆるMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)と呼ばれるオンラインゲームの空間と ‘Second Life’のような仮想世界であるが、後に自身の研究をSNSに拡大している。

[14] Nicolas Suzor, “Digital Constitutionalism: Using the Rule of Law to Evaluate the Legitimacy of Governance by Platforms” (2018) 4 Social Media + Society 1.

[15] Lee A Bygrave, Internet Governance by Contract (Oxford University Press 2015). バイグレイブの研究は、デジタル空間の規律が事業者とユーザー及び事業者間の複雑な契約の網で構築されていることを分析するものである。その一例として、Facebookがプラットフォーム上でのユーザーの行動を規律するルールの総体を‘Lex Facebook’ と呼び、これが国家法以上にデジタル空間を規律している実態を分析する。その後、DPF事業者が設定する利用規約などの内部ルールを「プラットフォーム法」と呼ぶ研究が登場する(e.g. David Kaye, Report of the Special Rapporteur on the promotion and protection of the right to freedom of opinion and expression, U.N. Doc. A/HRC/38/35 (2018))。なお、ここでの「プラットフォーム法」がプラットフォーム規制を行う国家法ではないことには注意が必要である。「プラットフォーム法」についての紹介については、水谷瑛嗣郎「『プラットフォーム法』から見たヘイトスピーチ対策」メディア法研究2号(2024年)133頁以下を参照。

[16] Edoardo Celeste, “Terms of Service and Bills of Rights: New Mechanisms of Constitutionalisation in the Social Media Environment?” (2019) 33 International Review of Law, Computers & Technology 122.

[17] Bygrave, supra note 15. 

[18] こうした系統の議論には、社会的立憲主義を提唱したグンター・トイプナーの影響がみられる。Gunther Teubner, “Societal Constitutionalism; Alternatives to State-Centred Constitutional Theory?” in Christian Joerges, Inger-Johanne Sand, and Gunther Teubner eds, Transnational Governance and Constitutionalism (Hart Publishing Ltd., 2004). グンター・トイプナー(大藤紀子訳)『憲法のフラグメント』(信山社、2022年)等参照。社会的立憲主義とデジタル立憲主義の関係については、山田・前掲注2)が詳しい。

[19] Vagias Karavas, “Governance of Virtual Worlds and the Quest for a Digital Constitution” in Christoph B. Graber and Mira Burri-Nenova eds. In Governance of Digital Game Environments and Cultural Diversity: Transdisciplinary Enquiries (Edward Elgar, 2010).

[20] Lex Gill, Dennis Redeker, and Urs Gasser, “Towards Digital Constitutionalism? Mapping Attempts to Craft an Internet Bill of Rights” Berkman Center Research Publication No. 2015-15. [https://papers.ssrn.com/abstract=2687120]; Dennis Redeker, Lex Gill, and Urs Gasser, “Towards Digital Constitutionalism? Mapping Attempts to Craft an Internet Bill of Rights” (2018) 80 Int. Commun. Gaz. 30.

[21] Mauro Santaniello and others, “The Language of Digital Constitutionalism and the Role of National Parliaments” (2018) 80 International Communication Gazette 320.

[22] Cleste, supra note 5 at 25.

[23] たとえば、欧州司法裁判所の判例を分析するOreste Pollicino, Judicial Protection of Fundamental Rights on the Internet: A Road towards Digital Constitutionalism? (Hart 2021)、EUのデジタル政策及びGDPR(一般データ保護規則)やDSA(デジタルサービス法)などの立法を分析する Giovanni De Gregorio, Digital Constitutionalism in Europe: Reframing Rights and Powers in the Algorithmic Society (Cambridge University Press 2022)などがある。この他、国際人権法についての検討も含めSNS事業者によるコンテンツ・モデレーションの立憲化のあり方を検討するEdoardo Celeste, Nicola Palladino, Dennis Redeker, Kinfe Yilma, The Content Governance Dilemma: Digital Constitutionalism, Social Media and the Search for a Global Standard (Palgrave Macmillan, 2023)もこうした研究の一つといえなくもない。

[24] Miriam Wimmer and Thiago Guimaraes Moraes, “Quantum Computing, Digital Constitutionalism, and the Right to Encryption: Perspectives from Brazil” (2022) 1 Digital Society 12. 同論文では、ブラジルの事例を念頭に置きつつ、量子コンピューター技術の発展が暗号化の権利にどのような影響を与えるかについて、デジタル立憲主義の観点から検討が行われている。

[25] Edoardo Cleste, “Digital constitutionalism: a new systematic theorization” (2019) 33 International Review of Law, Computers & Technology 76. また、オックスフォード大学出版局で、デジタル立憲主義のハンドブックの刊行が進められている。

[26] セレストは、ideologyが時として侮蔑的な意味で用いられていることを自覚したうえで、ここでは、「構造化された価値観や理想の集合として中立的に用いる」としている。日本でも「イデオロギー」には侮蔑的なニュアンスが含まれる場合が多いため、「理念」と訳出した。Cleste, ibid. at 88-89.

[27] Cleste, ibid. at 88を参考に筆者が作成。

[28] なお、デジタル立憲主義に向けられる典型的な疑問として、「憲法」(憲法典/形式的意味の憲法)の位置づけがどのようになるのか、というものがあるが、セレストの整理を踏まえれば、私的主体であるテック企業に対して「憲法」を直接適用せよという議論は、立憲化の手法の一つとして検討されることはあるが、デジタル立憲主義のあらゆる議論が憲法をテック企業に直接適用しようとしているわけではない、と説明することができる。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 山本 健人(やまもと・けんと)

    現職:北九州市立大学法学部准教授/慶應義塾大学KGRI訪問准教授/東京大学みらいビジョン研究センター客員研究員
    慶應義塾大学大学院 法学研究科 公法学専攻後期博士課程単位取得退学、博士(法学)。
    主な著書に、『承認と対話の憲法理論―法の下の宗教的多様性』(ナカニシヤ書店、2025年)共著として石塚壮太郎編『プラットフォームと権力―How to tame the Monsters』所収「デジタル立憲主義―怪獣たちを飼いならす」(慶應義塾大学出版会、2024年)など。また主な論文に「デジタル立憲主義と憲法学」(情報法制研究、2023年)、「デジタル立憲主義と情報空間の立憲化」(法律時報、2024年)、「デジタル技術による政治的コミュニケーションの変容と憲法―カナダにおける多面的アプローチ」(比較憲法学、2024年)など。

閉じる