明石書店のwebマガジン

MENU

デジタル社会は立憲主義の夢を見るか?

デジタル社会の規範理論を求めて

「デジタル社会は立憲主義の夢を見るか?」――この連載はいったい何を目的とするものなのであろうか。このタイトルは、多くの人が直ちに思い至るようにフィリップ・K. ディックの名作SF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のオマージュである。映画『ブレードランナー』の原作としても知られる同小説のテーマの一つに、「人間」と「アンドロイド」の本質的な違いは何か、というものがある。ディックが示しているのは、生物学的な外面上の区別ではなく、内面的なエンパシーや感情の豊かさが両者を分つというものである。そうだとすれば、彼の認識する世界観において、人間のように振る舞い、感情表現をする「アンドロイド」は、「人間」なのかもしれない――。

***

さて、(定義次第ではあるが)アンドロイドの登場は今しばらく先になりそうだが、私たちが生活する現実社会では、急速にデジタル化が進んでいる。しかし、私たちは依然として、国境(領土)と国民という概念に基づく領域国民国家――本連載の読者の多くはおそらく「日本」――に暮らしている。他方、ここ数年の間に、デジタル空間に仮想の「国家」[1]あるいは国家に匹敵する権力主体[2]が生まれているとの指摘が散見されるようになってきた。それが、GAFAMに代表される、超巨大デジタルプラットフォーム(以下、DPF)である。DPFを国家になぞらえることに関して、オックスフォード大学の経済社会学者ヴィリ・レードンヴィルタは次のような興味深い指摘をしている。

 

プラットフォーム企業は単に強大だから、国家のごとく権威があるように見えているのではない。重要ないくつかの点で、国家のような振る舞いをしているからこそ、強大なのだ〔下線強調点は筆者〕[3]

 

ここで本連載のタイトルにある、もう一つのキーワードを取り上げておこう。「立憲主義」である。この概念の定義はそれ自体が課題となるが[4]、差し当たり、権力分立、人権保障、法の支配、民主主義といった近代的価値を有する憲法による国家権力の樹立と制限を指すもの――近代立憲主義――と考えておこう[5]

現在のデジタル社会あるいはデジタル空間において、国家のように振る舞う私的企業である超巨大DPFの権力制限が喫緊の課題となっている[6]。DPFはどれほど強大だとしても民間企業であり、伝統的な立憲主義――そして憲法学――が相対してきた国家とは異なる。日本の憲法学者である山本龍彦は、トマト・ホッブズが国家のメタファーとして用いる海の怪獣リヴァイアサンと対になる、陸の怪獣ビヒモスにDPFをなぞらえる[7]。これは、どちらも怪獣ではあるが、同じ怪獣ではないことも言い表している。けれど、DPFが国家のように振る舞うことで、強大な権力を持つに至っているのであれば、その権力制限に立憲主義の考え方を応用することはできないだろうか。国家とDPFが何らかの共通性をもつ怪獣であるならば、一方の怪獣を抑えてきた鎖=立憲主義は別の怪獣を抑えるためにも(ある程度は)使えるのではないか。この探求・発想が、「デジタル立憲主義」と呼ばれるヨーロッパを中心に広がっている研究潮流の中心的課題の一つといえる[8]

アブラハム・ボスによる「リヴァイアサン」(左)とウイリアム・ブレイクの描いた「ベヒモス」(右)。なお、ブレイクの絵には下部に「レヴィアタン(リヴァイアサン)」も描かれている(写真は共にパブリックドメイン)

 

ただし、デジタル立憲主義の問題関心はDPF権力の統制に限定されているわけではない。少なくとも、デジタル技術によって変容・強化された国家権力の統制もまたその課題である。最も広くは、デジタル社会の基本原理として立憲的価値を措定した上で、その内容を探求しようとするものといえる。すなわち、デジタル社会の規範理論の構築を目指している。

本連載の目的は、デジタル立憲主義の議論を起点に、DPF権力の統制を現在の中心的課題として念頭に置きつつ、デジタル社会を望ましいものとするための規範理論のあり方を探求することにある。

***

連載の初回にあたる今回は、まずは「デジタル社会」とはどのような社会であり、また現在の中心的課題となっているDPFとはどのような存在であるかを簡単に整理する。そして、本連載の方向性について述べる。

 

デジタル社会とは?

これまで特に断りなく、「デジタル社会」と言ってきたが、これはどのような社会を指すのであろうか。定まった定義があるわけではないが、2021年に施行されたデジタル社会形成基本法2条の定義を借りれば、デジタル社会とは、次のような社会のことを指す。

 

インターネットその他の高度情報通信ネットワークを通じて自由かつ安全に多様な情報又は知識を世界的規模で入手し、共有し、又は発信するとともに、……人工知能関連技術、……インターネット・オブ・シングス活用関連技術、……クラウド・コンピューティング・サービス関連技術その他の……情報通信技術を用いて電磁的記録……として記録された多様かつ大量の情報を適正かつ効果的に活用すること……により、あらゆる分野における創造的かつ活力ある発展が可能となる社会[9]

 

この定義に反映されている通り、デジタル社会の基盤としてはインターネットの登場が決定的に重要である[10]。「デジタル社会」は、この高度情報通信ネットワークに加えて、AIやIoTといった急速に発展する諸技術と多様かつ大量のデータ(個人情報を含む)が、効果的に活用される社会である。初期インターネットの一般的普及から30年以上の時を経た現代のデジタル社会において、私たちのコミュニケーションのあり方、働き方、移動手段、ショッピング、娯楽といった日常生活は一段と変容した。そして、この変容を加速させたのがDPFである。

たとえば、FacebookやInstagram、X、YouTube、TikTokなどの有力なSNSのアカウントを作成すれば、我々は世界中のユーザーが発信する情報を受け取ることができ、また、自らが世界中のユーザーに向けて情報を発信することもできる。Amazonのようなオンラインマーケットプレイスにアクセスすれば、ワンクリックで欲しい商品が自宅に届けられる。Netflixなどのビデオ・オンデマンドサービスに加入すれば、容易には見尽くせない大量の映像作品を楽しむことができる。海外旅行に出かければ、初めて訪れる街でもGoogle Mapを使って評判の良いレストランで食事ができるし、UberやLyftといったライドシェアサービスを利用すれば、目的地まで確実で素早く安全に到着できる。Upworkなどのオンライン上の求人プラットフォームを通じてフリーランスとして働くこともできる。日本では、Yahoo!ニュースに代表されるニュースポータルサイトにアクセスすれば、国内の主要なニュースを知ることができる……などなど。

挙げればきりがないほど、デジタル技術やそれを用いるDPFによって、「あらゆる分野における創造的かつ活力ある発展」が実現している。

 

デジタルプラットフォームとは?

デジタル社会の発展を加速させているDPFは、どのような特徴を持っているのだろうか。ごく簡単に説明しておこう。

DPFとは、デジタル技術を用いて媒介されるプラットフォームのことである。そもそも、一般的にプラットフォームとは、「情報・商品・サービスの提供者と利用者など2者以上の異なる参加者グループの間に介在し、両者を仲介または媒介する場」を指す[11]。プラットフォームのこの特徴は二面市場(あるいは多面市場)とも呼ばれる。したがって、DPF事業者は、DPFを創設し、その場のルールを設定し、場の管理・運営を行っている。たとえば、AmazonのようなDPF事業者は、商品の出品者と商品の購入希望者を媒介する、インターネット上のデジタルマーケットプレイスという場(DPF)を創設し、この場のルールを設定し、出品者と購入者の間で生じた紛争の解決などを行っている。

こうしたプラットフォームの持つ重要な価値の一つがネットワーク効果である。プラットフォームの持つネットワーク効果には直接ネットワーク効果と間接ネットワークス効果がある。直接ネットワーク効果とは、「同一のグループにおける参加者数が増大するほど参加者の便益が増大する効果」である。一方で、間接ネットワーク効果とは、「一方のグループの参加者数が増大するのに伴い他方のグループに属する参加者の便益が増大する効果」のことである[12]。直接ネットワーク効果は、SNSをイメージすると理解しやすい。あるSNSのユーザーが多ければ多いほど、そのSNSを用いてユーザーはより多くの人とコミュニケーションすることができる。間接ネットワーク効果はAmazonのようなマーケットプレイスがイメージしやすいだろう。あるマーケットプレイスへの商品の出品者が増えれば、そのマーケットプレイスで商品を購入しようとするユーザーの便益は増大し、そのマーケットプレイスで買い物をするユーザーが増えれば、商品の出品者の便益が増大する。こうしたネットワーク効果のため、プラットフォームビジネスでは、少しでも利用者の多いDPFに利用者が流れることになる。結果、独占・寡占が生じやすくなり、SNSにせよマーケットプレイにせよ、各領域で初期の競争を制したDPFが強大化していく傾向がある。

 

デジタル・プラットフォーム、ネットワーク効果の概念図(総務省より)

 

デジタル空間のルールとデジタルプラットフォーム

DPFが国家のように振る舞うことを指摘したレードンヴィルタは、DPFが場の複雑なルールの設定者であることに注目している。

デジタル空間の黎明期、国家から独立した自由なサイバーの確立が夢想された。その象徴といえるのが、自らが共同設立した電子フロンティア財団のディレクターであったジョン・ペリー・バーロウが1996年12月に公表した、「サイバースペースの独立宣言(A Declaration of the Independence of Cyberspace)[13]である。この宣言は、まさに国家からのサイバースペースの独立を宣言したものであり、当時のアメリカ合衆国において、「サイバー・リバタリアニズム」と呼ばれる思想を「象徴するもの」であった[14]

しかし、バーロウが夢見た独立したサイバースペースは、十分な社会秩序を構成することができなかった。その空間には、国家も、裁判所も、警察も存在せず、悪事をはたらく者がいても、取り締まることができなかったのである[15]。なぜ、バーロウの宣言は、失敗に終わったのだろうか。サイバー・リバタリアニズムが上手くいかなかったことについては、次回、詳しく扱うことにしよう。ここで重要なのは、DPFが、しだいに「公式の制度――第三者によって強制されるルール――を創設し、それまで廃止しようとしていた厳しい権力の役目を自分で引き受けた」ことである[16]。この権力のことをルール設定権力と呼ぼう。DPFが、ルール設定者として振る舞いはじめたことで、それまで自由だが無秩序だったデジタル空間でのコミュニケーションや取引に秩序が生まれた。しかし、この役目を引き受けたことでDPFはまさに国家へと近づいていく。再びレードンヴィルタの指摘を引用しておこう。

 

……しだいに、私たちが日常生活で従う規則を、プラットフォーム企業が定めるようになっている。何が許され、何が禁止され、誰が誰と交流し、どのような種類の合意が可能で、物事が間違った方向に進んだとき、実際にはどのような種類の権利や補償を得られるのか。これらをプラットフォーム企業が思いのままにしている。……[17]

 

DPFがルールを恣意的に設定したり、変更したり、適用したりする実例はいくつも確認されている[18]。国家権力行使の基本的ルールとして、冒頭で話した(近代)憲法が存在するが、DPFのルール設定権力行使についての公式の基本的ルール――「憲法」――はない。民間企業であるDPFが憲法を持たないことは当然のように思われるが、もしDPFが国家と同じように私たちを強制できるだけのルール設定権力を持っているのであれば、その権力行使を縛る規範が必要となってくるのではないだろうか。

 

本連載の方向性

〈望ましいデジタル社会とは何か〉、〈デジタル社会が抱える現在の問題をどのような方向で解決するべきか〉――本連載では、究極的にはこうしたデジタル社会の規範理論を考えていきたい。デジタル技術やデジタル社会のキープレイヤーは、時代と共に移り変わるだろう。いま現在の問題を素材としつつも、将来のデジタル社会を望ましいものとするための規範理論がありうるのか、今のところ筆者は、「デジタル立憲主義の構想」に魅力を感じているのだが、本連載を通して一定の結論を出せればと思う。

そのため本連載では、最先端のデジタル技術の仕組みを詳細に解説したり、諸外国や日本のデジタル規制法の精巧な解釈論を展開したりすることを目的とはしていない。もっとも、展開の早いこの分野においては、最先端の議論をフォローすることも必要であるだろう。こうした情報や重要な法規制(案)については(筆者に余力があれば)、別途コラムとして掲載することを予定している。また、憲法学を専攻する筆者が、最先端のデジタル技術について技術的にパーフェクトな認識を持つことはもはや不可能に近い現状がある。これは技術だけでなく、個人情報保護法、知的財産法、独占禁止法、消費者保護法、メディア法、プラットフォーム規制法などの関連する個別法分野の最先端の解釈論や、デジタル社会の規範理論のベースにある法哲学・政治哲学・倫理学についても同様である。そのため、各分野の最先端を走る専門家との対談も折を見て実施したいと考えている。

◆第1回 終わり 


[1] ヴィリ・レードンヴィルタ(濱浦奈緒子訳)『デジタルの皇帝たち――プラットフォームが国家を超えるとき』(みすず書房、2024年)4頁。

[2] この権力を、国家そのものではなく中世の教会権力に例えるものとして、大屋雄裕「電子化された社会とその規制」渡部明ほか『情報とメディアの倫理』(ナカニシヤ出版、2008年)55頁、山本龍彦「近代主権国家とデジタル・プラットフォーム――リヴァイアサン対ビヒモス」山元一編『講座 立憲主義と憲法学 第1巻 憲法の基礎理論』(信山社、2022年)147頁以下。

[3] レードンヴィルタ・前掲注1)9頁。訳語については部分的に改めた。

[4] 本連載の第3回以降であつかうことを予定している。

[5] 赤坂正浩「日本の立憲主義とその課題」公法研究80号(2018年)52頁、横大道聡「グローバル立憲主義?」同ほか編『グローバル化のなかで考える憲法』(弘文堂、2021年)4頁など。

[6] たとえば、若江雅子「膨張GAFAとの闘い――デジタル敗戦 霞が関は何をしていたのか」(中央公論新社、2021年)。また、慶應義塾大学出版会から『怪獣化するプラットフォーム権力と法』という全四巻の講座本(2024-2025年)が刊行されている。さらに、日本も「『プラットフォーム新法』の時代を迎えている」との指摘もされている。森亮二「プラットフォーム規制の全体像」ジュリスト1603号(2024年)19頁。

[7] 山本龍彦・前掲注2)。

[8] 山本健人「デジタル立憲主義と憲法学」情報法制研究13号(2023年)56頁以下など。

[9] https://laws.e-gov.go.jp/law/503AC0000000035

[10] インターネットと法規的規律の歴史的展開を見通しよく整理したものとして、成原慧「インターネット法の形成と展開」メディア法研究1号(2018年)115頁以下が参考になる。

[11] 成原慧「プラットフォームはなぜ情報法の問題になるのか」法学セミナー783号(2020年)54頁。

[12] 同上。

[13] John Perry Barlow, A Declaration of the Independence of Cyberspace, The Electronic Frontier Foundation [https://www.eff.org/cyberspace-independence]

[14] 成原・前掲注10)120頁。

[15] レードンヴィルタ・前掲注1)29頁。

[16] レードンヴィルタ・前掲注1)288頁。

[17] レードンヴィルタ・前掲注1)4頁

[18] たとえば、内田聖子『デジタル・デモクラシー――ビッグ・テックを包囲するグローバル市民社会』(地平社、2024年)などを参照。

 

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 山本 健人(やまもと・けんと)

    現職:北九州市立大学法学部准教授/慶應義塾大学KGRI訪問准教授/東京大学みらいビジョン研究センター客員研究員
    慶應義塾大学大学院 法学研究科 公法学専攻後期博士課程単位取得退学、博士(法学)。
    主な著書に、『承認と対話の憲法理論―法の下の宗教的多様性』(ナカニシヤ書店、2025年)共著として石塚壮太郎編『プラットフォームと権力―How to tame the Monsters』所収「デジタル立憲主義―怪獣たちを飼いならす」(慶應義塾大学出版会、2024年)など。また主な論文に「デジタル立憲主義と憲法学」(情報法制研究、2023年)、「デジタル立憲主義と情報空間の立憲化」(法律時報、2024年)、「デジタル技術による政治的コミュニケーションの変容と憲法―カナダにおける多面的アプローチ」(比較憲法学、2024年)など。

閉じる